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『ゴジラ』VS.『ゴジラ-1.0』(4)~視覚効果について

『ゴジラ-1.0』が、アカデミー賞視覚効果賞を受賞しました。日本映画では初めてのことで、まさに快挙といえます。『シン・ゴジラ』の時点ですでに凄いと思っていましたので、今回国際的な評価を得られたことをとても嬉しく思いました。

1.伝統的な日本の「特撮」

「視覚効果」(Visual Effects, VFX)には、本来幅広い内容が含まれます。怪獣や恐竜を出現させるだけでなく、俳優に特殊なメイクを施したり、霧がたちこめるようなスモークをたいたり、本当は降っていない雨を降らせたり。もしかしたら、ガラスが割れる場面で危なくないようにキャンディでつくったガラスを割るのも、VFXと言えるかもしれません。俳優とは別人のスタントマンが演じるのも、VFXでしょう。昼間に撮影したのに、画面を暗くして、夜に見せるなんていうのも、よく見かけます。

そういう幅広い意味においては、日本も欧米とかなり共通するVFXをやってきたのだと思います。しかし、こと巨大生物については、日本映画はとてもユニークな発展を遂げました。

日本では、第一作目の『ゴジラ』('54)が、巨大生物を登場させた(多分)最初の映画・映像作品でした(透明人間などはそれ以前にもありましたが)。そこで、円谷英二率いる東宝の特殊撮影チームは、人間に怪獣の着ぐるみを着せて、ミニチュアで作った街を破壊させるという方法をとりました。白黒映画で、かつ夜の場面を多くしたこともあり、とても人間が中に入っているとは思えない恐怖を感じさせました。

第一作『ゴジラ』初公開時の宣伝用ポスター(地方版、筆者蔵)。実際には白黒映画。

このことが、その後の日本の特殊撮影の道筋を決めることになりました。ひたすら精巧なミニチアをつくり、それを一発撮影で色々な怪獣に壊させたのです。これは、東宝以外の会社の怪獣映画や、テレビのウルトラマンにも受け継がれました。この頃から使われた「特殊撮影」(=「特撮」)という言葉は、その後このような手法をつかった日本の映画・テレビのひとつのジャンルの名前となりました。

しかし、作品がカラーになると、色々な粗が見えてきてしまいます。特に、海や湖の水しぶきや燃え上がる炎は、ミニチュアと同じように小さくはなってくれず、特撮スタッフを悩ませました。また、怪獣が互いに戦うようになると、人間が中に入っていることが見えてきてしまい、プロレスのようになってきてしまいます。徐々に怪獣映画・テレビは恐怖の対象ではなくなり、それがかえって子供達に受け入れられていきました。

2.ハリウッドのモデル・アニメーション

ハリウッドでも、着ぐるみという手法は使われてきましたが、それは主に人間と等身大の怪物・ロボットや、むしろ人間より小さい生物でした。『エイリアン』シリーズのエイリアンや『スターウォーズ』シリーズのヨーダやイウォーク、C3PO、R2D2などは当初ほとんど着ぐるみで撮影していました(徐々に機械操作やCGが多くなりましたが)。

一方で、巨大生物については、俳優にメイクを施す場合もありました(アカデミー特殊効果賞を受賞した『バグダッドの盗賊』('40)など)が、人間と全く形の違う怪獣・怪物の場合は、モデル・アニメーション(ストップ・モーション・アニメーション)という手法をとりました。これは、怪物の可動式のモデルを作成し、これを少しづつ動かし、1コマづつ撮影し、それを背景と合成するというもので、これは大変に手間のかかる手法です。

最初の『キング・コング』('33)はまさにこの手法によって撮影されました。当時はアカデミー賞に特殊効果賞(後の視覚効果賞)が創設されていませんでしたが、もしこの賞があったなら確実に受賞していたはずの作品です(後年、同じ手法を用いた『猿人ジョー・ヤング』('49)が受賞しています)。その後の巨大生物ものや、人と等身大でも着ぐるみで撮影できないようなもの(骸骨が動いて剣を振り回すなど)に、この手法は繰り返し利用されました。ちなみに、『スターウォーズ』のミレニアム・ファルコン号の中に備え付けられている「怪獣チェス」は、このモデル・アニメーションで撮影されています。

キング・コングという怪物を生み出した33年版『キング・コング』。日本公開時パンフレットによれば、コングの可動式モデルは1メートルほどの大きさだったそうです。

3.日米の「格差」

日本でも、あの精巧な街並みのミニチュアを作ってきた技術をもってすれば、モデル・アニメーションも技術的には可能であったのだと思います。しかし、大変に手間がかかるため、十分な期間と予算が必要になります。立て続けに怪獣映画・テレビ番組を量産することを求められていた特撮スタッフには、とてもその余裕はなかったでしょう。大規模な予算をかけられるハリウッドとは根本的に条件が異なっていたわけです。

また、「合成」というプロセスにも障壁がありました。日本でも「合成」ということは行われてきました。遠くで怪獣が暴れていたり、ウルトラマンと闘っている場面を、手前の岩陰から登場人物が見ているというような場合です。岩の形で画面が区分され、その向こう側とこちら側とで別に撮影した映像を合成するわけです。この画面が区分される境界が動かない場合には、比較的単純なのですが、動く場合には話は複雑になってきます。背景の映像に入り込む形で人が動いたり、または戦闘機が飛んでいったりという場合です。

背景の映像を写しながら、その前で演技をしたり、または戦闘機のモデルを動かしたりして、それを手前から撮影するという形になります。その戦闘機が複数、それも不規則に動く場合など、何度も撮影を繰り返さなければなりません。そうすると、背景用に特別に輝度の高いスクリーンが必要になったり、背景を手前から映す必要があったり(フロント・プロジェクション)と、特別な装置も必要になります。

そういったことが重なって、その手間、期間、費用は莫大になっていきます。そのコストをかけられるハリウッドと日本では大きな違いがありました。コストをかけて繰り返しVFXの技術を上げて行ったハリウッドに、日本映画界は太刀打ちできなかったのです。

ちなみに、このCG以前のハリウッドVFXの至高の傑作場面が『スターウォーズ・ジェダイの復讐』('83)にあります。ストーリー終盤の宇宙での戦闘場面。数え切れないほど多くの宇宙船、戦闘機が不規則に入り乱れる場面です。ほんの2カット、4~5秒の場面なのですが、このカットがあるのとないのとでは全く違う、これぞ宇宙における「戦争」だと思わせる場面です。これをCGなしで撮ったのかと思うと、感涙ものです。是非、刮目して見てください。

4.日本にとってのCGは途上国における携帯電話

このようなハリウッドと日本との「格差」を埋めるようになったのが、CGの登場だったわけです。CGが初めて映画に利用されたのが『トロン』('82)だと言われていますが、まだまだ黎明期であり、本格的に利用されるのは90年代に入ってから、『ターミネーター2』('91)の、あのぬめっとした敵、そして何よりも『ジュラシック・パーク』('93)の恐竜からでした。

このCGによって、VFXにかかるコストが飛躍的に低減していきました。当初はCGでも相当なコストがかかりましたが、人間生活のあらゆる側面でコンピューターが不可欠なものとなることにより、コンピューター関連の技術的な改善は急速に進み、コストは大幅に下がっていきました。それによって、劣悪な製作環境、勤務環境に置かれている日本の映画関係者にチャンスが芽生えたのです。

この状況は、開発途上国における電話の普及を思い出させます。固定電話を普及させるためには、国土の全体にわたって電柱を立て、電話線を張り巡らせなければなりません。そのため、なかなか電話は普及しませんでした。ところが、携帯電話の技術が登場し、インフラにかかるコストが低減。爆発的に電話が普及していきました。

日本映画界も、CG以前の技術においてハリウッドに追いつくプロセスを捨象、一つの段階を大きくリープして、新たにCG技術で挑んだのです。そして、この『ゴジラ-1.0』において、ついに名実ともにハリウッドに比肩するレベルに到達したのです。

技術水準が大きく左右する視覚効果について、第一作『ゴジラ』と今回の『ゴジラ-1.0』の間で優劣をつけることにあまり意味はないでしょう。ただ、第一作『ゴジラ』で実質的に始まった日本のVFXが、独特の発展過程を経て『ゴジラ-1.0』に到達したことには、感慨深いものがあると思いました。



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