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1年目の自己紹介

初めてnoteを書いてから今日まであれやこれやと自分の話ばかりしてきた。
そしたら、いつの間にやら1年が経っていた。

週に1,2回のペースだとは言え、まさかこんなにも続くなんて初めてnoteを書いたあの頃から考えたら想像もつかない。
毎日毎日自分の内側に向き合っていたらここまで来てしまった。

パチパチとキーボードを叩いてきた軌跡を振り返ってみると、
そういえば、自己紹介的なことをしていなかったな。と気付く。
ここまで来たらせっかくだからちゃんと自分の話をしようと思う。

まぁ、簡単に自己紹介してしまえば、
好きなものは、読書と音楽とコーヒー。あと自称HSP。
そんなありふれたアラサー独身男性サラリーマン。

終わりの見えない自分語り

noteで一年も何を書いていたかと言うと、
正直、大したことは何一つ書いていない気がする。

殆どが、自分の人生を振り返って感じることを思うままに書いている。

最初の頃はエッセイストの真似事のつもりであれこれ書いていた。
けれど、ここ最近エッセイというよりも、日記の色の方が濃いんじゃないかと思いつつある。

立ち止まってエッセイの定義を調べれば、
”自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。”
と、出てくる。

だから、書いている本人がエッセイだと思えばエッセイなんだと思うし、日記だと思えば日記だ。僕はエッセイと日記の間の曖昧な何かを書いているんだ。と言い切っておく。
どんなものを書いているかは正直どうでもいい。
日々何を感じて、何をか考えて、何がしたいか。
それを書くことで自分自身の意思を再確認している。

僕にとって書くことはいろんな意味を持っている。

書くことを通して、
自分自身の人生と折り合いをつけている。
自分自身に祈りをささげている。
自分自身の人生を言葉で描いている。
自分自身の心の痛みに爪を立てて自傷行為をしている。

そんなことを僕はここでやっている。

読書の日々

僕という人間を構成するパーツの一つが読書。

毎日毎日何かしらの本を読んでいる。
ジャンルは問わずいろいろと呼んでいる。

小説、エッセイ、心理学、行動経済学、脳科学、生物学、哲学、社会学...etc

特に読むのがここら辺のジャンル。
とはいっても、自分が何のジャンルを読んでいるのか正直分かってないまま読んでいることも多々。
僕が好きな、進化心理学というジャンルは心理学なのか。それとも生物学なのか…。

とにかく、自分の好奇心の赴くまま気の向くまま本を読んでいる。

昔はミステリーばかり読んでいたけれど、ちょっとした悔しい思いがあってから物語以外にも手を出すようになって、1年間で100冊読む目標を立てた。

僕のカバンの中にたまたま入っていた本を見ると、何を目指してるんだ?と言われることが多々ある。その時は宗教について勉強していたのでその手の本が鞄の中にはいっていた気がする。

特に何かを目指すわけでもなく興味ある本を片っ端から買って読んで無駄な知識をモリモリと蓄えている。

その傍らで小説やエッセイを読んでいる。
ちなみに、特に読む作家は森博嗣。

森博嗣はミステリーやエッセイ、新書などを書いているので結果的に一番読む作家になった。

最近はミステリーよりも人間性が描かれた物語や、筆者の考えが直接現れているエッセイばかり読んでいる。

人間の感情の機微に心が揺らされる感覚を楽しんでいる。

人生のBGM

そして僕を構成するもう一つのパーツが音楽。

特に聞くのがヒップホップ。

僕のiPhoneに入っている曲の8割はヒップホップ。
残りは洋楽とJPOPとボーカロイド。

10年くらい前にヒップホップを聞いてからヒップホップにドはまりした。
その時聞いた曲はいまだ飽きることなく聞き続けている。
たぶんきっと本当に好きな音楽は一生聴き続けるんだと思った。

ヒップホップは、自分が語りの音楽だ。
自分の人生を切り取って曲に乗せて歌にする。
時に詩的に、時にユーモラスに、時に直接的に。

過去を、弱さを、傷を、見栄を、罪を、夢を、愛を、未来を、現実を、
それぞれの言葉で描き歌う。

人生の瞬間瞬間がそのまま音楽になる。それがヒップホップだと思ってる。

誰かの背中を押すわけでもない。
誰かの愛を歌うわけでもない。
誰かの悲しみを歌うわけでもない。
誰かの喜びを歌うわけでもない。

いつだって彼らは彼ら自身を歌にする。
彼らの物語の歌が僕の心を揺らす。
そんな音楽が僕は大好きだ。

綺麗ごと無しに、人間臭さを直接的に、詩的に、ユーモラスに歌う彼らの音楽が僕の人生のBGMになった。

珈琲と僕

僕の好きなものは何だろう。と、自問自答した時に真っ先に思いついたのが先に述べた「読書」と「音楽」そして、付け足すならば。と思いついたのが「コーヒー」

毎日毎日、わざわざ豆を挽いてドリップしてコーヒーを飲んでいる。
手間のかかる作業だけど、この作業がかなり好きだったりする。

0.1g単位で豆の量を測ったり、
温度計でお湯の温度を正確に確認しながらドリップしたり、
一投目に30mlを注いで、2投目は…。
そんなこまごましたことをやりながら僕はコーヒー時間を楽しんでいる。

コップ一杯のコーヒーをドリップするのに10分くらいかけてコーヒーを飲んでいる。
ここ最近は、ロースターを買ったので生豆を焙煎することもしてたりする。

色々と手間のかかることをしながらコーヒーを飲んでいる。

何でそんな面倒なことをしているのか、といえば。
好きだから。という理由が一番最初に来る。
そして2番目に来るのが、そんなこまごまとしたことをしながらコーヒーをドリップしている細やかな時間で僕の心と頭が休まるからだ。

豆を量り取る時、生豆が器の底を叩くカラカラとした音、
豆を砕いたときに立ちあがる香り、
お湯を注いだ時の香りと音。
ポツポツとフィルターから零れるエキス。

それを感じ取っている時は頭が空っぽになる。
意識が一杯のコーヒーに注がれる。
それ以上のことは何も考える必要がなくなる。

そして、ドリップした一杯のコーヒーを味で楽しむ。
そうやって、五感で感じている瞬間が好きなのだ。

”自称”HSP

多分僕はHSP。巷で言うところの、繊細さん。
しかるべき場所でちゃんと診断を受けたわけじゃなく、本のチェックリストを埋めてったらHSPと結果が出た。
だから”自称”HSP。とのたまっている。

HSPと結果が出て、HSPについて調べれば調べるほど自分の今までの人生の中にあった様々な記憶がつながって納得できた。
僕の人生の生きづらさのあれやこれやはHSP気質のおかげだったのか。
とひとり納得した。

ただ、私はHSPです。と現実社会で言って回るのも憚られる。
それにHSPといっても伝わらないことが多かった。
だから、HSP気質の可能性があることは黙って日々を生きている。

けれど、この電子の世界ではHSPですと自称させてもらっている。

それは、このnoteという世界には意外と僕と似たような人が多かった。
だから、隠す必要はないんだなと思ってこの世界の中だけはHSPである自分となって語らせてもらっている。

人生のカケラの手記

振り返ってあれやこれやと自分のことを書いてみたけれど、自分のことを語るのはなかなか難しい。
自分自身はこんな人間だ。と思った矢先にその閃きは幻想に変わり、また新たな自分自身が生まれるの繰り返し。
追いかけても追いかけても決してたどり着けない蜃気楼に似ている。

もしかしらた自分自身を追い求めるよりも、夜空に浮かぶ月や星を目指す方が近いのかもしれない。なんてことを自己紹介を書きながら思う。

たぶんきっとそんなことを僕はここで延々と続けていくのだろう。

人生をよりよく生きる閃きも、誰かの人生をよくするアドバイス、本の中で気づいた、知った知識を共有することもしないだろう。

ただただ気の向くまま本を読み、
人生のBGMを耳から流し込み、
立ち上がるコーヒーの香りに夢想する。
そんな人生のカケラを書き残し続ける。

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