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死ぬことはまだ怖い。

僕の人生観の一部に間違いなく「死にたくない」という気持ちがある。
一部というか大部分。
この思いは24年間生きてきて何も変わらない。

小学校のときはよくパニックになってた。
寝る前自分の心音を聞いていたり、
歴史の勉強中過去の偉人に想いを馳せてたり、
理科で過去の世界を想像したりするとき。
自分が生きてることだったり、生まれる前を想うとすごく怖かった。
てか今も怖い。
物心がついたときに自意識が“生まれ”、
死ぬ時に“消える”。
その後何十何百の年数を経てもこの自意識が再び生まれることはない。
今の人生が一度でもう二度とない。
二度と、だ。
輪廻転生があろうとなかろうと、この自意識は唯一無二なんだ。
この事実がたまらなく怖い。

小学校のときは寝る前が一番多かった。
寝る前の心音。
自分が生きてることを確認してしまうとパニックになってしまう。
今もたまーになる。
死ぬことはまだ怖い。

自分の人生はこの想いで動いてる。
自分が建築を選んだのもそれは理由だ。
何かを遺す。
人の一生よりも長い寿命を持つ建築。
とても偉大で文化の象徴。
建築がすごく好きだ。

今自分は宗教建築に興味がある。
宗教と死生観は切っても切り離せない。
そして文化も。
宗教は死をどう見るかを形作るし、文化を形成する。
死をどう見てるかが宗教を作ることもある。
この宗教や文化を養成する建築、
つまり宗教建築を後世に遺していきたい。
そう本気で思う。

自分の中で明確な幸せの基準がある。
それは死について考えないこと。
自分の人生が充実してる時、人は死ぬことを考えない。
考える暇すらない。
逆に死を考える時は、暇か何か不満かだ。

多分今後も死への恐怖は一生拭えないんだと思う。
自分の中で一生かかっても解決できないんじゃないかな。
いや、もしかしたら死ぬ一瞬前に解決するのかも。
まあでも分かってるのは自分じゃ解決できないことを人は後世に託すんだ。
そして後世の人たちは自分たちと同じように同じようなことで悩み苦しみ生きていく。
だから継承するんだ。
一生をかけて。

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