見出し画像

大切なのは温かいお節介。

#25 川っぺりムコリッタ


現代社会において忘れらてしまった何か

本作の監督の荻上直子さんは、『かもめ食堂』や『めがね』など食にスポットを当てた作品を多く手がけられている。
今回私が見た『川っぺリムコリッタ』もまた、「おいしい食」と「心をほぐす幸せ」をテーマに描かれている。
そんな、ほのぼのとした心温まる作品のだが、同時に
「孤独との向き合い方」と言う裏テーマも織り込まれている。
現代社会において、単身家庭の人が増え、食べ物はコンビニですぐ買えるようなこの時代。
私たちが忘れてしまっていた、何かを教えてくれる作品である。
今回のnoteでその”何か”を紐解いていく。
読者の方もそれが分かった時、
心に萩上監督方のメッセージが深く響くのではないだろうか。

食べると言うこと

まず、”食べる”と言うことは人が生きていく中で最も重要且つ、
基本の行為である。
美味しいものを食べた時、人はお腹も、心も、満たされる。
”食べる”と言う行為を選んだその瞬間、
私たちは自ずと”生きる”ことを選んでいるのだ。

作ると言うこと

また本作では、”食べる”のではなく、
”作る”ことの尊さも教えてくれる。
米を炊く、育てた野菜を食べる。
こだわった豪勢なものでなく、質素でシンプルなご飯であっても、
作ると言う行為は、自分を生かすだけでなく、幸福にし、
愛する行為なのだと思う。
私の大好きな料理家の土井善晴先生はこう言っている、

材料を買って・調理して・ご飯を食べて・後片付けをして”
これを全部まとめて「家の食事」です。
そういうことと「生きる」ということは同じことだと思うんです。

文化放送 ドコモ団塊倶楽部より
炊き立てのご飯と塩辛、お味噌汁を頬張る山田

お節介

近年、ご近所付きや、家族間ですら、希薄にな関係になっていると言う記事を目にすることが増えた。
故に孤独死の数が増えていく。
本来、人間は群れを好む生き物であり、一人では生きられない。
では、松山ケンイチが演じる山田のように、社会との関わりを自ら避け、
孤独に生きる人はどうしたら救えるのだろうか。
本作では、ムロツヨシ演じる島田が、驚くほどのお節介を焼くことで、
山田は徐々に心を開き、自ずとご近所付き合いが増え、
最終的には山田が自ら島田と食事を共にしたいと思うようになる。
孤独から人を救うには、時には、他者からのお節介も必要なのかもしれない。
昨今、他人には干渉しないことが正しいとされ、プライベートに踏み込む
行為はタブーとされている。
しかし、昭和時代のような、ご近所付き合いや、職場での会話は、
決して全てを否定できないのではないだろうか。
他者からのお節介は時には孤独から人を救う。
大切なのは関わらないのではなく、干渉しないことだ。
干渉とお節介の境界線は曖昧だが、全ての人が他者に対して
「温かいお節介」を焼けるようになれば少しは救われる人が増えるのではないだろうか。


不協和音が合わさりできるハーモニー

本作では、様々な不協和音がある。
蛆虫と塩辛
骨と幽霊
嵐と川縁
子供と墓石
本来、交わることがないもの同士が交わる。
不協和音が合わさり協和音が作り出される。
最後、川べりで演奏しながら行進するシーンを見てそう感じた。
人生を歩む中で、互いに交わるはずのないものが、
ふとした瞬間に融合し、私たちの想像を超えた出来事が起こることがある。その不思議な結びつきは、時に私たちに思わぬ救いの手を差し伸べることもあるのではないだろうか。
そうした偶然の巡り合わせが持つ力を、本作のテーマの”生きる”ということのようにも感じた。

ラストの行進シーン



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?