Thinkthink

思考の練習をはじめます。 まずは書くこと、記録すること。 深いところまで考えることがで…

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思考の練習をはじめます。 まずは書くこと、記録すること。 深いところまで考えることができるようになるのだ。(怖くても)

最近の記事

自分が自分であることを証明する

自分が自分であることを証明するのは難しい。 役所に行って、運転免許証を忘れたときも手段がなくて四苦八苦した記憶があるけれど。 (それは身分の証明というだけだけども) 考えていることの固有性だとか、自分の特徴を言語化する必要が出てきたときに。 自分という人間が如何様なものなのか、人様に説明する必要が出てきたときに。 証明できるものなど何もありませんよ〜と白旗を振ってやり過ごしたいことも多くある。 自分など何者でもないですよ、無色透明なので気にしないでくださいと言ったとして

    • 本当の理由は他にある。

      大人になって(いっぱしの社会人のふりをするようになって)言語化しない言葉が増えた。 あの人の言葉の選び方がニガテ、とか 実はよくわかってないけど、空気を読んで説明を求めない、とか タバコはキライ、喫煙後に近くに来ないでとか 場の空気を読んだり、感覚的に失礼になりそうな言葉を先んじて慎んでいる気がする。 それはそれで、衝突を避ける世間的な大人というイメージがあるけれど、時間が長くなるほどに厚い皮を被っていっている気もするのだ。 反面周りの人との付き合いもそうなりがちで、

      • 不幸を見つける才能

        幸せが見つけにくいことはよくあるが、まったく不幸が見つからないことはあまりないと思う。 不幸を愚痴や不満や落ち込みに変換しても同じことで、いつだって欠けていると考えるようなこと。 愛があっても金がない 金があっても夢がない 希望があっても才能がない 生きていても死にたい 死にたくても怖いから生きたい できないからできない 不幸を見つける才能に満ちている。 しかし、それだけ欠けているという自覚があってなぜ幸せを真ん丸なボールみたいな形で考えてしまうのだろう。 欠けていない

        • おとなしい人

          生まれてはじめて大人しい人と言われた。 もう2年以上の付き合いがある知り合いだった。 正直混乱する。 しょっちゅう慌てて、失敗し、パニックになっている。 心の中は毎日大騒ぎなのだが、漏れていなかったのだろうか。。 他人とコミュニケーションをすり合わせるのは苦手なので、仕事の付き合いの人たちと話すときはできるだけ傾聴に回っているせいだろうか。 他人の評価というのは思いもよらない角度から来るなあと思う。 交渉やコミュニケーションを仕事としている人からの評価でもあるから、その

        自分が自分であることを証明する

          できないことをできないと言う

          他人にできないことをできないと言うのは怖い。 特に上司や先輩やよくしゃべるひとには。 そうやって、ぐるぐる同じところで30年回ってきた。 “こわい” “こわい” 人に見下されるのが、バカにされるのが、嫌われるのが。 こわくて嫌いなひとはいなくなればいい。 そうして他人との関係を切ってしまうことが多かった。 けれど、一旦自分の感情をテーブルの端に置いておいて何が起こっているのか考えてみる。 1.何を失敗したのか。 2.どうして失敗したのか。 3.自分にできる対策は何か

          できないことをできないと言う

          自分を嫌いになるとき

          ・ミスをしたとき ・ミスをして他者にそれをカバーしてもらったとき ・単純に相手に迷惑をかけたとき 自分が嫌になるのはプライドのせいだろうか? それとも迷惑をかけない自分を正しいと思っているからだろうか? ミスをする前の自分の見落としや、頭が混乱していたり、忙しくて真っ白になっていたことを偶然だと思いたいからだろうか? (体調が悪かった、タイミングが悪かった、普通ではなかった) 自分のせいではない、あるいはすべて自分のせいで死にたい、という極端な結論はどこから来るのだろう

          自分を嫌いになるとき

          おんな子どもってだれ

          つい先日会話をしていて、自分にない語彙にびっくりした。 「ああ、これは女子どもでも取り扱いができますよー」 おんな、こども…? くくりが大きい、というか健康な成人男性以外を表すのに初めて使っているのを聞いた語彙だった。 しかし、気になって見るようになると年配男性のインタビューだったり、男性同士の会話では出番があるようだ。 そこはかとなくことばに漂う見下しの気配に、聞くと勝手にいたたまれなくなってしまう。 ・力が(健康成人男性に比べて)弱いひと ・女性特有の、あるいは親

          おんな子どもってだれ

          勝ちず嫌い

          負けず嫌い、という言葉がある。 賛否はともかく、自分から見ると負けず嫌いな人はギラギラしていて、絶対に食い下がらず、泥臭くも生命力がある力強い存在だ。 対して、自分の執着を見返すとどうも“勝ちず嫌い”なところがあるように思える。 (そんな言葉があれば、だが) 要は勝ちたくない、勝つのが怖いという習性だ。 明確に意識したのは小学生のとき、テニスの試合に“勝ちたくない”と思ったとき。 打ち合いや練習は楽しかったのに、試合になると急にイヤなものになる。 勝ちず嫌い、は競争し

          勝ちず嫌い

          意志は鍛えられるのか

          意志薄弱な方ではないと思う。 18の頃から独り暮らしをして、フリーランスなり会社勤めなり、誰と付き合うか何をするか自分で決めてきた。 国外で暮らしたり、作品を発表したりやりたいように生きてきた。 しかし誰かと意識をすり合わせて、あるいは誰かの反対を押しきりお願いをするような明確な意志を持って何かを貫き通す経験はなかったかもしれない。 強い意見があれば流されやすく、快適さを求める性質があるのだ。 「意志も鍛えられるものだよ」 と力説する筋肉好きの意見にはじめ懐疑的だったが

          意志は鍛えられるのか

          わからないことがわからない。

          わからないことがわからない。 わからない、ことをどう表現すれば相手に自分のわからない部分が伝わるのかがわからない。 「いや、何言ってるのかわからない」 「ちゃんとわからないところ聞きなよ」 「そんなこと聞くな、調べろよ」 沈黙してしまうと、いろんな言葉が降ってくる。 たまにテレパスみたいに勘のいい人がいて汲み取ってくれると、表現能力差に驚くばかり。 簡単なことを聞いているんだよ、という枕詞のあとに一ミリも解釈できない質問をされたときの絶望感たるや。。 みんなどうし

          わからないことがわからない。

          交渉ができないまま大人になった

          交渉が苦手だ。 大人になって、仕事が始まると営業職でなくても度々交渉の場面が出てくる。 しかし、日本の職場、仲間意識が強い場所であれば空気を読むことが優先されがちで「いやー困ってるんですよね」という雰囲気を出せば許されることも多い。 レールに乗って流されれば許される学生時代は言わずもがな、大きく道を逸れた卒業後は逆に交渉というよりも「こうなってるんですよね」という結果を伝えることが多かった。 交渉が必要なのは、相手とすり合わせる必要があるとき、誰かと近くにいるときなんだ

          交渉ができないまま大人になった