印刷物は要らない

学校にはとにかく紙の印刷物が多過ぎる。

DXが進まないとか、そういうレベルの話でなく、
学校の教員は紙のコストをゼロだと思っている。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、本当にそうなのだ。
紙は使った分だけ自動的に湧いてくるものだと思っている。
印刷コストも同様だ。
紙と印刷は無限にあって、いくら使ってもいいと思っているのだ。

プリントをグチャグチャにして床に落としっ放しにしている子供に、
教員がこのように言っているのを良く耳にする。
「あなた!この紙はタダじゃないんですよ!!日本中の人が
あなたたちに勉強してもらうために少しづつ出してもらったお金で
買っているのですよ!もっと大切にしなさい!!」と。

しかし、残念ながらそう言っている教員は、紙をタダだと思っているのだ。
正確に言えば、無料だとは思っていないが、
自分が使った紙に、どのくらいの税金が使われているかは知らない。
コスト感覚がないということは、タダだと思っている人に等しい。

そんな人たちに、本当に物の大切さを教えられるだろうか?
個人的には「物の大切さ」などはまだいい。
コスト感覚が子供に伝わることがないことの方が100倍危険だと思う。
このような教員らに育てられた子供は、
「このくらいのコストなのに、こんなパフォーマンスが出せるなんて凄い!」
とか
「こんなにコストをかけたのに、これしかパフォーマンスが出せないなんて、なにか問題があるはずだ!」
とかいう感覚は絶対に育たない。

そして学校の教員らは、紙を無駄に使うことに、このような悪影響があるということを気づくこともなく、毎日汗水たらして、次の日に使うプリントを
何十枚も何百枚も刷り続けるのだ。
本当に悲惨である。

老害ど真ん中のベテラン教諭や管理職などは、もはや手の施しようがない。
公立学校には教育計画という、一年間の学校の教育計画を150〜200ページにわたって記したものがあり、それらは全て学校で印刷したものをファイリングして、全教員に配られる。
そして新規採用教員ならまだしも、普通の教員は年に数回見るか見ないかの代物である。
ある時、この教育計画をPDF化して共有してはどうかと管理職に提案したが
「紙じゃないと余白にメモできないでしょ?」と却下された。他にも、全体に共有すべき内容をPDFにしてメールで流した際にも
「管理職には、紙で渡してくれないとダメだよ!」と叱責されたこともあった。

紙を大切にするとか、そんな次元の問題でないことに
いつ気がつくのか。
全くもって嘆かわしい。

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