人間関係とはどうぶつの森のお引越しの如し

その昔、まだ私がかなり過酷な環境に置かれながら日々ぜぇはぁと生きていた頃、私はとある友達に絶縁を言い渡された。

どんどんと駄目人間になっていく私を、高校時代から数年も支えてきてくれた友達だった。心根の優しく、とても賢いコ。どんどん周りから疎ましがられていく私を、ずっと見守って見棄てずにきてくれたコだった。

ある日、私は電話口で彼女にたしなめられた。「もうそういう生活辞めなよ」的な、明らかに優しさからくる助言だ。

しかし私には「そういう生活」を送るだけでも精一杯、それが唯一の生きてゆく手段だった。職業がどうとかっていうより、すがっていたモノがあった—と、このくらいにしておこう。「桃胡 雪」としては語らないと決めたことが、私の人生にもまだ幾つか残っているのだ。

彼女には当時、年上の恋人がいた。すごくうまくいっていることだけは知っていた。彼女は敢えて、私にあまり多くを語ってこなかったのかも知れない。それでも私は、彼女が恋人に愛されていることを知っていたのだ。知っていたからこそ私は、彼女に激怒した。

「愛されている人間になんか、私の気持ちはわからないよ。」

すぐに電話は切れた—というか、私が切ったのか彼女から切ったのか、よく覚えていない。

しばらくして彼女からメールが届いた。「このままじゃあいずれ、雪に『死ね』って言われる気がする。それが怖いからもう、連絡取るの辞めるね』、そんな内容だった。死ねなんて、そんなことを言うつもりなんてまったく無かった。ただ、彼女と私の間には「愛されているかそうでないか」という大きな違いが横たわっているのだと、私はそんな風に考えて悲しかっただけなのに—私はそれなりにうなだれた。しかし、私のやってしまったことが彼女を遠ざけたのは事実であって、彼女は二度と私と関わろうとはしなかった。

一度だけ、mixi上でたまたま彼女を見つけ、ダメ元で声を掛けたことがある。彼女はブロックはしなかったと思うけれど、私を完全にスルーした。仕方ないのだと諦めようとしたものの、せめて謝りたいと思った私のそれは、単に自分がラクになりたかっただけなのだ。私は彼女に嫌われた、それをもう、受け止めて生きてゆくしか無かった。

あれからもうえらい年月が経ったけれど、私はずっと、そのことが苦しかった。

仲直りがしたかった、というか、やっぱり自分がラクになりたいがゆえに、とにかく謝って赦して欲しかった。あんないいコに嫌われた自分を、私はどうしても「最低な奴」だと感じた。

しかし、だ。

もしも万が一このnoteを彼女が読んだなら、きっと不快に思うことだろう。先に謝っておこう、Aちゃん、ごめん。でも、私はもう、前に進まなくっちゃいけないんだ。

ここ最近ふと、その彼女とのことを思い出し、改めて私は過去の自分を想った。あの頃の私の毎日は、とにかくもう過酷だった。生まれたことを何度も呪ったし、そんな環境下でも私をどうにか生かしてゆく為に、脳はいくらでもバグを起こした。バグによっていろんなことを補おうとして、私の思考回路はうんとおかしくなった。善悪の区別すら曖昧になり、たくさんの人を傷つけ、嫌われた。

ただ、それくらい苦しんでいた自分のことも、認めてやらねばならないと思ったのだ。

人並みの生活が営めるようになった今、いろんなことが俯瞰できるようになった。

ああそんなことをTwitterで言っちゃいけないよ、と、いつも見る度ハラハラさせられてしまう知人が、過去の私を投影しているみたいに感じられた。きっとその知人も、防衛機制みたいなモノがはたらいて、その結果で善悪の区別がつきづらくなっているのだと思う。

自分のやったことを棚に上げようなんざ思わない。ただ、あの頃の私は本当に、もうどうしようも無かったのだと思う。

「愛されている人間になんか、私の気持ちはわからないよ。」

あの日に自分の口から出た言葉を、私は今でもこうして覚えている。

それは当時の私が何よりも主張したかった、心の叫びだったのだろう。

それを無視してまで「あのコに嫌われた自分」に罪悪感を持ち続けるのは、さすがに自分自身がかわいそうな気がした。それでは私自身ですら私を愛していないことになってしまう。誰にも愛されないと嘆いている私を、私までもが見棄ててしまっていいものか?否、いいワケが無い。

だから、あの時あのコに嫌われてしまったのは、もうあのコとの縁に寿命が来るタイミングだったのだと、そう思うことにすると決めた。

愛されたかった。けれど友達たちには恋人がいて、私は独りきりの自分を奮い立たさて生きてゆくしか無かった。なんやかんや、何かあれば恋人を取るのだみんな—そんな風に思いながら、私はChildren Of Bodomを流しっぱなしにしている真夜中の部屋で、泣いた。もしも私に「泣くな」と言って肩を支えてくれる恋人がいたらば、あの頃の私はきっと、あのコを失わずには済んだことだろう。

自分に甘すぎるかも知れないけれど、あの頃の私には本当に、仕方のない結果だったのだと思う。

その代わり、それからしばらくすると私の前には新たなご縁がばばーっと広がり、また違った人間関係が築かれたのだった。きっとそういうものなのだ、縁って。どうぶつの森みたいに誰かが他所へ引っ越していったら、また誰かが新たに引っ越して来る。ずっと居続ける人もいるかも知れないし、きれいさっぱり新たな顔ぶれになることがあったっていいのだ。

嫌われたくなかった、誰にでもいい顔をして愛されたかった。そうやって人の機嫌を窺ってでも、とにかく愛されたかった。自分の気持ちなんか二の次、いつも愛されようとして私は必死だった。

だからある日突然、感情が爆発した。火を吹いておかしくなっている私を見、いろんな人が離れていった。

もう、そんな無理をしなくていいのだとわかった気がする。

離れてゆく人とは、きっと「そういう時」というだけなのだ。それこそご縁があれば、また繋がれる。だから罪悪感なんか持たずに、また新たな出逢いに胸をときめかそう。

きっとそれでいいのだろう、この世っていうモノでは。

画像1


頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。