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他人の人生で自分の幸せは定まらないっすわ

早いものでもう12月。

今年の初めに立てた目標も、正直達成できていない。

けれど、想定していなかった趣味というか楽しみも増えた一年だったので、まあいいとしよう。

まさか自分が原付免許を取得して、スーパーカブを乗り回す日が来るとは思っていなかったし。

しばらくの間、夜中に起きては静まり返った街中をカブで走り回っておりました…そしてこの一週間ほどで仕事でもカブに乗るようになり、多少怖い思いもしつつ、

なんやかんや恐怖心に打ち勝ちながら、私はすっかり愛車「ビバップ号」の虜になっている。

(…のでnoteからもえらい遠ざかっておりました。少しずつ皆様のところにもお伺いしますので、お待ちください。いつもありがとうございます。)

一時期は「できれば無事故無違反を維持し続けて、あんまり行かずに済む場所になるといいなあと感じました、免許センター…。」なんて感じていたものの、今となってはいずれ原付二種を取りにいきたいとすら思っているしだい。

勿論、ビバップ号をボアアップ(排気量を上げること)して乗りたい。

コロナ禍以来、季節の変わり目が来るたび、以前よりもパワーがマシマシになった鬱が、皆の心を襲っている気がする。

数年前のまだマスクも要らなかった時期には、ここまで荒れ果てた様子をネット上に感じることも無かった気がする、のは私だけだろうか。

私も私で、まあ、いろんなことがあった。

詳しいことはようわからんけれど、私はおそらく、自己愛性人格障害とかそんな感じのものを持つ人に見下されがちなのだ。

私を「自分より格下」として認識することで安心した人のターゲットにされる、ということが、思い返せば人生で幾度となくあって、上記のツイートの件もまた、そうして見下していた相手(=私)が幸せそうにしているから、私のことを友達(という呼び方をした見下し対象)から外してしまったのだろう、彼女の中で。

(ちなみに私がCMに出た頃からぱったり連絡が無くなった。)

彼女も彼女でいろんなことがあったと思うし、ある意味では私よりもすさまじい苦労を重ねてきた人なのだろう。

だからと言って私は彼女に同情はしないし、見下され対象で居続ける気も無い。

こういう前向きな気持ちで在られる様になったのも、理由のひとつには、カブに乗るとかそういう楽しいことをちゃんと心に置いておけているからかな、なんて思う。

結局、自分の幸せというのは自分の心で感じるものでしか無いのだ。

人と比べて、その優越感から見出す幸せなんて、虚構?虚像?…とりあえず、そんなのまがいものでしかないのだと思う。

昔の私は「ひとりでいる」ことが恥ずかしいことに思えて、「ひとりになりたくない」から、見下されていることがわかっていても、名ばかりの友達関係を続けてきた—苦しみながら。

でも今の私は、ひとりでも楽しく過ごせる方法を知っている。

相田みつをさんのこのお言葉は、ほんと仰る通りだなあと…つくづくそう思わされた。

そんな、12月の始まり。2021年の終わりも、幸せに包まれていたい。

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