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プラレールとインターネットと人生と。

男の人の方が好きとか気が合うとか、そういうんでは無い。ただ「女同士の関係性」にときどき辟易する。思えばずっとそんな塩梅で生きてきた、そう感じている。

幼い女の子同士ですらマウントを取り合うのはもはや、本能みたいなものなのかも知れない。幼稚園の頃から私はカースト最下位にされていたし(さくら組の女王様に、ブロックで見立てたドッグフードをお供えする奴隷みたいな役を演じさせられていた。なぜにドッグフード…)、小学校の時には商品化されてすらいない「魔法陣グルグルのククリの30センチ超えフィギュア」を「あたしは持っているんだからね!家にあるけど見せてやんない!」と、クラスの女子に自慢された。皆、想像力が豊かでけっこうけっこう。今思い返すとほほえましい限りだ。

私はなんだか嫌われやすい性質の子どもだったんだろう。それはもう、しょうがなかったと諦めてしまうことにして、仲良くしてくれた友達に感謝をしながら生きてゆくことにする…ほぼ、もう疎遠になって久しいけれど。

そんなこんなで大人になって、私は「一緒にディズニーに行く」とか「一緒に富士急ハイランドに行く」とか、そういう女友達ができない人生を送ってきた。自慢にはならないが、人の結婚式に伺ったことも無い。呼ばれたこともあったけど、二十年以上会ってないのに呼ぶとか数稼ぎだよね?と感じて丁重にお断りした。

一緒に洋服を買いに行くとかそういう友達はいたことがあって、それは楽しかった。そんな彼女も今はもう音信不通で、でも人の縁というのも常に繋がっているわけでも無いと思うので、彼女との関係性は、いつかまたそれこそご縁があれば繋がるのだと、そんな風にポジティブに諦めている。

20代の初めの頃だろうか、とある人にこんなことを言われたことがある。mixiで繋がっていた、年上のお姉さんに、だ。

「好きな人とお別れしたって、またご縁があれば必ず再会できるよ。実際、私は数年ぶりに再会した人と今、関係を持っているのだから。」

なんだか複雑な環境下にあったお姉さんだった様に記憶している。mixiという場所は今のSNSより余程、魔窟状態だった。開いている様な閉じている様なコミュニティが幾つも築かれていて、そこではどんな自分をも演じられた。そこで出逢ったそのお姉さんは、大昔にAVに出ていたけれど紆余曲折あって、そういう過去を隠し通しながら介護職員になって職場の男性と不倫をしながら、且つ最近、昔の恋人と再会した―と語っていた。リアルではなかなか出逢えない存在だ。

そんな人の「またご縁があれば必ず再会できるよ」という言葉には、やけに重みがあった。嘘ぶるには小綺麗でないストーリーを語る彼女はきっと、いつだって真実を話してくれていたのだと思う。今、いったいどんな生活を送っているんだろうなあ。

もしも人生がプラレールだったとして、私はそのレールひとつ分に値する時間だけ、そうして共に濃密な時を過ごす女友達?知人?…に恵まれた人生だったと思う。否、まだ人生終わってないけども。


レールが変われば、共に過ごす人も変わる。だから私は同窓会にも呼ばれないけれど、クラスが一緒だった「だけ」の女友達とわちゃわちゃするより、そうやって人生において重要な教訓を与えてくれるお姉さんと言葉を交わすことの方が余程、私にとって必要な時間であると思っている。

そして、たとえ疎遠になってしまっても、またいつか、ご縁があれば再会できる―それはこの先の人生においての楽しみのひとつであるというか、私は「これから誰と再会できるかな♪」と、まだ知らぬ未来に思いを馳せてはわくわくしている。一人や二人はまた出逢えるだろう。これだけネットも発達しているのだし。

前の前の職場はとにかく「友達関係みたいな同僚関係」を強いられてしんどかった。私は同棲を始めるタイミングで「一抜けた」と退職することができたけれど、今度の休みにディズニー行こうだハイジ牧場に行こうだ、そういうことに誘われるのが心からしんどかった。一人暮らししている人間に、万札の飛ぶ出費を強制しないで欲しい。そして断るとまた「つきあいが悪い」と白い目で見られる…そういう、女子特有のノリが本当につらかった。次の職場で年上のお姉さまがたと鎌倉に行ったり、同年代の同僚とダイエーでプリパラをやったりしたのは普通に楽しかったけれど…ああ、私のやりたいことがそこに含まれているか否かが大きかったのだと思う。

そうそう高校の頃、うちの高校はクラスキャンプをやるのが伝統になっていて、私の在学中にそのクラスキャンプがきっかけで、我が校は不名誉な内容で全国ニュースに取り沙汰された。キャンプ場での乱痴気騒ぎがうるさすぎて近隣住民に通報され、そこでの未成年飲酒や喫煙がバレてしまったのだ。

すさまじい出来事だった。学校全体の三分の一とかそれ以上が謹慎を食らって、数日間休んだりしたのだ。勿論、言い逃れをしてしれっと停学を免れたずるがしこい生徒も多かった。けれども素直で純朴なコたちは、ほんの一口や二口お酒を呑んだことを白状し、甘んじて処分を受けた。

私は自分のクラスが大嫌いだったし、だもんでクラスキャンプなんてただの一回も参加しなかったので、飄々と通学した。人の少ない学校は何とも居心地が良かった。

あの頃から私は、白い目で見られようとつるみたくない時はつるまない精神だったのだと思う。だから媚びてまでして女子のグループに居場所を求めなかったし、場の雰囲気で一口でもお酒を呑んで停学になった同級生はバカだと思った。

なんだか思い出し笑いならぬ思い出し辛辣を爆発させてしまったけれど、そんなこんなで私は今、リアルで遊ぶ様な女友達は、皆無だ。

けれども、それが心地いい。

いとこから聞かされるママ友マウント話はもうひどいもので、自分の子どもの凄さでしか自らの価値を語れない、そして無駄なマウントの取り合いを繰り広げる人たちを「友」という言葉で括っていいものなのか、ナゾでしかない。その犠牲者の子どもたちはかわいそうでしかないし、ほんと辟易させられる。

私には、たとえばnoteだったり、そうしたネット上でいろんな人と出逢って、そこで知り合った魅力的な女性たちとネットを介してお話し、その素敵さにときめかせていただくこの距離感が、一番向いているのだと思う。

ネット上の方が、純粋な本人を見られるような気がするのだ。純粋な本人、ってなんだか野暮ったい表現だな…うーん。

でも、それこそさっきの「大昔にAVに出ていたけれど紆余曲折あって、そういう過去を隠し通しながら介護職員になって職場の男性と不倫をしながら、且つ最近、昔の恋人と再会した」お姉さんの場合と同じで、嘘にしては小綺麗でない自伝を語る人たちは、まるで海水から造った塩みたいに純度の高い存在だと思うのだ。

勿論、嘘っぱちだなあとか誇張しているなあという人もいる。でもそういう人は大概、それが透けているからわかり易い。嘘というのは、そんなに上手につけないものだ。どんなに巧妙にお金を稼いでいたって「捕まっていないだけの詐欺師」だなんて喩えられてしまったりするのと一緒だ…って、この表現はまずいかな、まーいっか。

今は、いい時代だ。画面の向こう側にも誰かがいて、自分と向き合って話をしてくれる。

会って一緒に出掛けることだけが友情じゃあ無い、それを学ぶことはきっと、これから先の世にとっても重要なことだろう。ソーシャルディスタンスでも、心が近けりゃいいんだよ。






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