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怒りというのは、傷の深さに比例しているのだと感じた

先日、仕事で伺っているとある金融機関にて、非常に不愉快な仕打ちを受けた。
とはいえ相手はこちらのサービスにお金を支払っているという立場の「客」、だから文句を口にするのもぐっと堪え、何が悪いのか見当もついていないといった風の窓口担当のお嬢さんに、せめて私は「ありがとうございました」を言わないというささやかな抵抗を見せるだけに終わった。

まあまあ、大人なんだし仕事なんだし、そうやって怒りを抑え込むのが常識であることはよくわかっているつもりだ。
ただでさえ窓口のお姉さんがコロコロ変わるところで察しの付く職場環境に置かれ、そこでうまいことやってのけているのならきっと人とはちょっと違った思考回路を持っているのであろう—そういった種類の人に「事故られた」だけなのだ、と、必死で自分に言い聞かせた。
私がもし大金持って「預けたいんだけど、」なんて言って見せたらどんな態度取るんだろーなーとか、くだらない妄想をしてみたりすらした。

でもその「事故」は案外、私に深手を負わせたらしかった。

二日経った今でも、怒りがどうしても収まらないのだ。

今まで幾度となくこんなことには遭遇してきたし、なんなら件の金融機関で他の窓口の人にお金を投げて寄越されたこともあった。どうも私の職種、人に見下されがちなんだよなあ…。
(一応、大概のお客さんにはとても良くしていただいているので、私の態度が著しくおかしいというワケでは無い…はず。)
けれどもそういった理不尽を、私はいつも通り越して来られたはずなのだ。
なのに今回だけはどうしても、イライラが収まってくれない。

そもそも私は、怒りをうまく受け流すのが得意なはずだった。
前職で「切り替え」という言葉を知った。障がいのある子ども達に接していて、彼らがたとえば個室で静養したりして、イライラとかそういった心の「切り替え」に向き合う姿を見、自分もそうして心を「切り替え」る為のきっかけ―世の中ではよく「自分で自分の機嫌を取る」なんて言うけれども、つまりそれって「切り替え」のきっかけを自ら作るということだなあと、そんな風に思う―を、うまく見出そうと感じる様になった。
その結果、ある程度は怒りをコントロールする術を得ていたはずだった。
でも今回は、どうもそうはいかない様なのだ。

なんでこうもずっと怒りがくすぶっているのかな、と自分でも困り果てた。
最近はちょっと瞑想とかそういったものにも興味を持っていたので、思いつく方法でいろいろやってみたものの、それでも怒りは時間を置いて浮上してくる。
でも、あんまり怒りを「見ない」ようにしていると、かえってそれが自分の感情に対しての蓋になってしまう気もした。
蓋を開けたら、玉手箱のように怒りが沸いてくるのだ。

そうしてぐずぐずやっている内にふと「ああ、これは傷なのかも知れない」—そう思った。

傷は、浅ければすぐ閉じる。
私がこないだのこぎりで裂いてしまった左手の薬指の先っちょの皮膚は、あれだけ血が出た割に翌日には絆創膏要らずだった。
けれどもきっと、今回の「怒り」は、案外深い傷を負った結果だったのだろう。
私が思うよりも、ずっと。

私は婚外子という立場に生まれたのもあって、感じなくてもいいはずの疎外感とか劣等感みたいなものは、割と常に付きまとう人生だった。
それも今となっては昔の話でしかなく、今の私は昔よりよっぽど図太く暮らしている。
ただ、だからこそ「人から失礼な仕打ちを受ける」ことが大嫌いなのだろう。

つい昨日もこの記事が気になって読んでみて、

怒りそのものは「あなたを守ろうとする命がけの感情」

自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術についての記事「よけいな“怒り”に振り回されないために。身につけておきたい“心のコントロール術”」より

という一文を見、すごく納得した。
そうだよね、傷つけられたらそりゃあ怒るよね、こっちの命がかかっているんだから。
この本、すごく読みたいぞ…。

とりあえずもう、気の済むまで=傷がふさがるまで、怒りたければ怒るスタンスでいくことにした。
気にならない時間だってそれなりにあるのだ、そうして少しずつ回復したらいい。
別にその場で相手に怒鳴り散らしたわけでもない、私は「一人で勝手に怒っている」だけなのだ、誰にも迷惑は掛けていない。
ただし肌に蕁麻疹が出たり、いろいろとストレスとしての負荷は掛かっているのも事実なので、そこはもうお薬代わりに、ネイルしてみたりとか庭の手入れしたりとかカブでドライブしたりとか、自分の「好きなこと」をできるだけしていきたいと思う。

にしても、もうとっくに失効したけれど販売士の資格を持っていた身としては、最近「なんかもどうでもいいっす」という感じの接客業の人を見かけることが多いなと思う。ド不景気だからだろうか。
高校生くらいのバイトさんならまあ若いしね、とも割り切れるけれど、下手すると初孫できたばっかりですくらいの年齢の人が、なんかもうやりたくないけど致し方なく嫌々、な雰囲気駄々洩れでレジを打っていたりする。
海外だとまあそんなものだとも聞くし、日本が丁寧すぎるのかも知れない。
ただ私は「お互い嫌な気持ちになるのは避けたい」タイプなので、愛想笑いでもしておけば万事オッケー(๑´ڡ`๑)なのに、スマイルを0円で売る余裕も無いのか…と、相手に同情とまではいかないけれど、働きたくないんだろうなという気持ちだけ察して生ぬるく見守っている。

そしてそういうことがいちいち気になる自分にも疲弊して、セルフレジのある店舗ばかりを選んでしまっている今日この頃なのだ。

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新譜がもうすぐ出ます。

5日にYoutubeでもトレーラー動画が公開されますので、良かったら是非ご視聴くださいませ!



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