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自己紹介

遠足へ行った翌日の1時間目、総合の時間に書く昨日の感想文。見学したスポーツ飲料の工場を見てどう思ったか、何を学んだか。その後行った森林公園で友達とどのように過ごし、何が楽しかったのか。20行目までは書いてくださいね。書いたら前に持ってくること。終わった人から漢ドp20〜進めてください。p 25までが宿題です。


隣の席のR君は枠線をはみ出す勢いの巨大なひらがなで、昨日もらった工場のパンフレットの内容を書き写し始めました。ちなみに漢ドとは漢字ドリルのことです。猫のタマとかミケとかそんな名前のキャラクターが住み着いた横長のドリルでした。平成10年前後生まれの方々、覚えていらっしゃいますか。ちなみに、忍たま乱太郎の表紙の縦長の青いやつは計算ドリル通称計ドです。今でもあるのかな。


私は総じて、感想文なるものがだいすきでした。書くのも、読むのもです。今でもすきです。道徳とか総合の時間に書けと言われてめんどくさいと思ったことは一度もありません。また、20行目まで書けと言われてやべえそんなにネタないよと困ったことも一度もありません。さっき言ったことを言い換えりゃあいいので、行を埋めるのなんて楽々。むしろプリントの枠線をはみ出して申し訳なさそうに鉛筆で数行追加するなんてザラでした。



はっきり言って本当にどうでも良かった。一刻も早く提出して、枠線をはみ出すくらいたくさん書けたのですねと褒められれば、なんでもよかったのです。私が文章を好きだと思ったきっかけは、早くたくさん書くとみんなの前で学校の先生に褒められるからでした。


文章の一貫性を指摘されたのは、中学受験用の塾に通い始めたときでした。作文は結論を決めてから書き始めなさい。1行目を書くときと20行目を書くときの気持ちは、同じでなければなりません。だから書く前に、考えを整理する必要があるのです、と。衝撃でした。自分の感じたことを気ままにそのままリアルタイムで言葉に下ろしていた私にとって、文章を書くうえで1文字ごとにメンタルを右往左往させていた私にとって、あらかじめ決めたゴールに言葉を連ねていく行為は作業のようでした。でも、あの環境で褒められる文章は、整合性の取れた論理的なそれだったので、私の中の正解が更新されました。


整合性の取れた、模範解答の文章の中にも個性を出せると知ったのは有名な方々のエッセーを読み始めた高校生のときです。短いもので2ページ、長いものでも10ページいくかいかないかくらいの文章量に対して、言いたいことはとてもコンパクトに伝わってくるのにそこに辿り着くまでが個性のパレード。こんなにも、読む人を楽しませながらわかりやすい文章を書くことができるんだ。印刷された文章を自分の目で読んで初めて爆笑したのはさくらももこさんのエッセーです。無人島に持っていく1冊は、さくらももこシリーズから選ぶと決めています。


なんとなく会社員になった2000年生まれの人間です。前に住んでいた家が303号室だったのでこんな名前。1回地獄に堕ちた方がいいくらい性格が悪いです。教室の後ろに貼り出されるクラス全員分の感想文を読むのが好きでした。誤字や脱字を見つけたり、面白くない文章だなと心の中で嘲笑ったりすることでしか、私は私を保てなかったからです。誰とでも仲良く話せるけど、この子が親友だと呼べる子は中学生までできませんでした。遠足でお弁当を食べるグループ決めのとき、比較的仲のいい女の子の友達が集まっているグループに話しかけて「私も入れて」と言えませんでした。話しかけられるまで、話せなかった。結局最初に声をかけてくれた男の子しかいないグループでお弁当を食べました。小学4年生のときです。好きな男の子がいたのでもういいやと思いました。


最近ね、生きる意味を考え出すと病んでしまうのでとりあえず言葉に出してみることにしました。書くこと読むことが好きです。己が蛙であることはとっくに知ってしまったので、性格悪く文章を読むのが好きなわけではありません。言葉が、純粋にだいすきです。言葉を連ねることは私にとって、バニラアイスクリームにスプレーチョコレートとアラザンを散りばめる行為に似た愛に溢れています。


続けたいな。どうぞよろしくお願いします。


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