消失した映画館の思い出②

1,イントロダクション~前回の続き

 前回の記事は、こちらから。

 前回書いた記事は、ひとまとめにしようと思ったが、思ったよりも書くことが多くて、二つに分けた。どうも自分は飽き性なところがあり、「次、書くぞ!」と思っても、なかなか続かない。この記事もいつ完成するか、分からなかった。「後半も楽しみにしてます」という、SNSのコメントがあり、「書かなきゃいけない」と感じ、ケツに火がついたように、これを書いている。
 それでは、始めます。

2,消失した映画館

 前回に続き、今回も別の姿に変貌を遂げた映画館を紹介したい。今回は、一度しか行っていない映画館は、スバル座のみであるが、しばし付き合って頂きたいです。

2-1,吉祥寺バウスシアター

吉祥寺バウスシアター(外観)

 「バウスシアター」は、かつて吉祥寺にあった。吉祥寺の文化の一つを担っていたと知り、驚いた。1984年に前の劇場をリニューアルオープンして、30年続いた。ロードショーと単館系の両方を上映していた、とのことだった。
 バウスシアターでは、ほとんどboid主宰の爆音映画祭に行っていたような気がする。2013年4,5月くらいにジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手に逃げろ/人生』を観たが、一緒に行ったのが女性(確か熊野大学で知り合った人)で、うまく喋れなくて、失敗した。このことが原因かもしれないが、5年程誰とも一緒に映画に行かなかったと思う。あと、新卒時代の同期を誘ったが、彼氏がいるから無理、と断られた。苦い思い出がそれなりにあるが、それも含めて良い劇場だったのかもしれない。
 他には、黒沢清監督の『リアル〜完全なる首長竜の日〜』も観たし、ルイス・ブニュエル監督の『黄金時代』を小説家・ミュージシャンの中原昌也氏のノイズ音楽の伴奏込みで観たが、シュールな映像に奇妙なノイズが混じり、新鮮だった。最後にバウスに行って観たのは、2014年の4,5月くらい。作品は、レオス・カラックス監督の『ポーラX』だった。アレックス三部作と全く違う作品だった。

 バウスシアターは、2014年6月に閉館。原因の一つに、建物の老朽化があった。跡地は、ラウンドワンになっているらしい。マンションが建つのかな、と勝手に思っていた。バウスがなくなってから、吉祥寺には恐らく10回程度しか行っていないかもしれない。

 余談だが、自分は、Enjoy Music Clubの「100%未来(Feat.三浦直之)」が好きで、よく聴いていた時期があった。三浦さんは、劇団のロロの主宰者(脚本・演出担当)で、ポップカルチャーを織り交ぜた演劇を披露している。
 この曲は、最初、「DCPRG(菊地成孔)の"Mirror Balls"じゃん!」と思っていた。あながち間違いではないのだけれど、これは、コード進行が、「Just The Two of Us」という曲の進行であるらしく、様々なJ-POPのヒット曲にも使われている。別名、ジゴロ進行とか、丸サ進行とも呼ばれているらしい。
 閑話休題。
 何故この曲を話題にしたかというと、歌詞に「バウス」と出てきたからだ。ちなみに、前回紹介した「シネマライズ」の跡地、ダブダブこと、「WWW/WWW X」や駒場の「アゴラ劇場」、下北沢の「シェルター」など、東京の文化施設やライブハウスが出てくる。

 自分も、この曲のように、誰か、願わくば意中の人と行きたかった場所だなあ、と思う劇場の一つだった。思いで作りたかった。いや、当時は意中の人なんていなかったに等しいんだけれど……。

2-2,オーディトリウム渋谷

 かつて映画美学校にあった「オーディトリウム渋谷」を紹介したい。
 オーディトリウムは、2011年4月に映画美学校の2階、「ユーロスペース」の下にあった映画館かつ多目的ホールである。ここで、確か『映画史』や『ゴダール・ソシアリスム』などを上映する「年越しゴダール」みたいなイベントをやっていて、「行けば良かった」と相当後悔した記憶がある。
 ちなみに、ここでは、ジョン・カサヴェテスの映画を観たが、何度も寝てしまった記憶がある(これが影響して、アメリカ映画に若干の抵抗がある)。他にも、ロベール・ブレッソン監督の『抵抗~死刑囚は逃げた』を観た。富田克也監督の『サウダーヂ』も観たが、腹痛を起こした。
 良い映画やその監督のレトロスペクティブなどをやる印象があった。

 2014年10月に閉館した。翌11月に、オーディトリウム渋谷の跡地は、現在「ユーロライブ」という形で残っている。映画はもちろんのこと、コントライブや落語の寄席、トークショーなども開催している。どちらかというと、ユーロライブになってからの方が、頻繁に通っている(かつてお笑いライブに足繫く運んでいたもので)。

2-3,有楽町スバル座

有楽町スバル座(外観)
有楽町スバル座(どうもこのイメージが強い)

 最後に、「有楽町スバル座」を紹介したい。
 スバル興業というところが、やっていた劇場である。かつては、「丸ノ内スバル座」だったのだが、火災により消失し、現在の有楽町に移転した。

 1966年に開館し、当初は日活系の作品を上映してたらしいが、その後、洋画のロードショーを取り扱ったとのこと。スヌーピーの作品を上映していたり、最終盤は、大林宣彦監督の作品を中心に上映していたり、50年以上、長い歴史を築いていたのか、と感じた。

 有楽町スバル座は、確か宮藤官九郎監督の『中学生円山』を観た。凄い下らなくて、しょうもない映画だった。
 予告編で、「考えない大人になるくらいなら、死ぬまで中学生でいるべきだ!」と草彅剛さんが叫ぶセリフに惹かれて、観に行った記憶がある。ちなみに、中学生円山を演じた平岡拓真という人は引退して、現在はホストをやっていると知り、驚いた。Twitterのアカウントもある。

 2019年10月に惜しまれつつ閉館した。有楽町スバル座の跡地は、吉本興業の劇場「よしもと有楽町シアター」になった。しかし、こういう状況だから、うまく運営していないんじゃないか、と思ってしまう。かつて品川にあり、2年で閉館した「よしもとプリンスシアター」の二の舞になりそうな気がする。

3,終わりに

 以上が、消失した映画館について語った。映画館は、恐らくこれ以上に閉館していると思われる。ここからは、モノローグに近いが、暫し付き合っていただけたら嬉しい。

 私が、たまたま、ゴダールの『JLG/自画像』という映画のDVDを見ていて、その特典映像が、浅田彰氏と蓮實重彦氏、各々のトークショーの映像が入っていた。自分は、渋谷のユーロスペースも時々行くのだが、その会場が、現在の映画美学校ではなく、別の場所にあるのを見て驚いた。桜丘町にあったらしい。プラネタリウムや図書館などがある渋谷区文化総合センター大和田の方面なのか、と思った。

 自分の住む市内にも、かつて成年映画をやっている劇場があったが、9年前に閉館した。調べてみたらストリップ劇場から一般劇場になり、それから、お色気映画と変遷を辿っていたらしい。やはり建物の老朽化で取壊しになったのかな、写真で見る限り、もう機材や備品もボロボロだし、と思ってしまった。有名なカレー屋の近くなのだが、カレー屋は残っても、劇場は、跡形もなく消えている。

 岩波ホールも、1度しか行っていない。確か2020年の8月に、アニエス・ヴァルダの『落穂拾い』を観た。しかし、2021年に改修工事をしたばかりなのに、その1年後に赤字かつ感染症の影響で閉館するのは、どうもいただけない。日本は、不要不急という形骸化した標語で、芸術や文化を下に見て破壊しているので、それに対し腹が立ってしょうがない。フランスとかでは、芸術をやる際に、小さい団体でも助成金等がもらえるらしいが、日本はそういうのがない感じだ。これは日本の文化を退廃させるものではないか、と思ってしまう。上級国民とか特定の分野だけが得をして、こういう芸術が損をする感じになってはいけないような気がする。

 こんな風に、街も風景も変わってしまうのかと思うとノスタルジックになってしまう。建物にも、始まりがあり、終わりが遅かれ早かれ来てしまうのかな、と思ってしまう。
 何か自分も生きた証を残していきたいと思う時期もあったけれど、結局消える可能性もあるから、とりあえず普通の生活をして、人並みに生きていけたら、と考えるけれど、その「人並み」だとか、「普通」というのが、難しい。あまり深く考えないように、気楽にいきたいものだ。

 それでは。

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