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自分の本音も見えてくる時期

危機的な状況な時に人間の本質と資質がわかるもの…だと思っていたけれど、「わかる」のではなくて「顕著になってくる」という表現が適切なのかもしれないことに気が付いたコロナ禍の就労環境と社会情勢の中で過ごす何も変わらない日常。

人間の本質と資質が顕著になりそれが誰の目で見ても尊敬できるものである人はいるけれど、自己中心的な言動や行動が増えてくる人の方が多くなるのが現実で、それはその人が自分自身を守る為の「生存本能」を表現していることなんだけれど、平時な時ではなく危機的な状況の時にこうしたことをやられると迷惑でしかなく「ああ、これが不安の同調圧力」というやつなんだって思うわけで。

危機的な状況の時は誰しもが不安で不安な中で精いっぱいやっているのに、「特定個人」の不安な感情を周囲にまき散らすことほど害悪なものはなく、お互いの為にならないことはなく「特定個人」もどことなくそれはわかっていることだと思うけれど、多分、わからないから自分の不安な感情を周囲にまき散らしてしまっているんだろう。

本末転倒とはこのことか。

普段から人の本質や資質は何となく現れていているけれどそんなには意識せず、無意識の中で感じ取っているものなんだと思う。それが危機的な状況になった時に頭の中でアクセルが全開になって「ああ、この人ってこういう人なのか」と強く意識するようになる。多分それは「自分の生存本能」が反応しているということなんだろう。そうして人は人を意識するようになり、評価を下すようになる。「人」を「環境」に置き換えても同じことが言えるだろう。

そうして周囲にいる「人」や周囲の「環境」に目が向くようになると同時に「自分自身の本音に気づき、触れる」ことも多くなるのだろう。まあ、それもコロナ禍云々は関係なく平時からそんなことの繰り返しなんだとは思うけれど、より一層「本音」に近づき「本音に触れる」ようになることで…ああっ、だから「不安」になるのか。人間は。

コロナ禍になってから「丁寧な暮らし」だの「繋がり」だのミライースのCM「心地よく生きる」といった言葉をよく聞くようになった。20代がベンチャー志向が高まっている理由が「しがらみなく、ストレスなく、自分のやりたいことを…」云々ということもよく聞くようになった。昨年11月に短期入院したことで「自分自身の本音に気づき、触れる」ことができたと思う。世の中に溢れているこうした言葉の数々に影響を受けていないとは言わないけれど、「心地よく生きたい」と思うし「丁寧な暮らし・仕事」をしたいし「しがらみや、極力ストレスなく生活を営んでいきたい」と思うし「向き合うべきものに向き合っていきたい」と思うようになった。「思う?」「思うようになった?」…いや、自分の根本が求めていたもの。それを気づいていたけれど気づかないふりをして、気づかないふりをしていたのは嫌な現実に合わせて生きていかざるを得なかったから。「生きる糧を得る為に」

「生きる糧=生きる力」を得られたとは言ってもそんな自信が全くないのも本音で、この本音こそが「現実逃避、甘え」なのかもしれませんが。職場において「あなたの代わりはいない」「他にわかる人間がいない」「あなたしかいないんだから」と信用と信頼の証としての言葉だったかもしれないけれど、そんなことを呪詛のように言われ続ける一方で、労働環境・仕事の進め方を改善してくれようともしない(それは会社側の責任だと思うけれど、個人の責任なんだそうだ)、結局1人でやらざるを得ない、誰とも繋がることもなく。そんな環境で20年近くも働き続けていれば、そりゃ持てる自信も持てなくなるものなんじゃないかって気がするのだけれど、こんな考え方が「現実逃避、甘え」とされるのならば「私はもうこれ以上、同じ場所にい続けることはできない」

それが心身ともに絶不調な状態となって具現化されているのだと思う。

「自分の理想を自分で実現していけばいい」と自分よりも上の世代の人間はそんなことを耳にタコができるくらい言う。それは間違った言葉ではないと思うけれど「じゃあ、君は、何をして張る人なの?」…もとい「じゃあ、あなたは、下の世代に対して何をしてきたの?」と言いたくもなるのをじっと我慢してきたのが正しかったのか、間違っていたのか。どう対処するのが正解だったんだろうか。
長年に渡って続いてきてしまったことが変わるとは思えないし、自分の理想とやらが実現した時には「私は何歳になっているのでしょうか?」

もう40過ぎなんだよ。その視点が抜け落ちていやしないかね。

「丁寧な暮らし」をしていきたいのは、自分自身の体調面のことだけじゃない今後必ず直面してくるであろう介護問題のこともある。社会との接点があるにも関わらず孤独で孤立している状態で「丁寧な暮らし」と「自分自身の人生」ができず介護問題に直面したら…多分確実に持たないと思う。だからこそ、「丁寧で心地よい生活・仕事」をしていきたいと思う。だから「私はもうこれ以上、同じ場所にい続けることはできない」と思うのだけれど、現実はそう甘くはないわけで。まだ何とか現実に向き合えることができず時に少しずつ立て直していかなきゃダメなんだって思う次第。

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