退職する人を見送る立場の人間として
また辞める人がいるらしい。毎年のように春先になると人が辞めていく。「辞めていく」人を引き留めても仕方がないと思うけれど、毎年のように同時期に人が辞めていくと…「防ごうとしないのか」と素朴な疑問が沸く。そんな話をすれば「それが君の役割だろ」とか言い出されかねないので(総務人事系の人間なので)言わないですけど。「自分のことも守らないといけない」ので。誰も守ってくれない、相談ができる人もいない、頼れる人もいない「独立独歩」な状態ですから。そうはいいつつも…そんな中で「最大限できる限りのことは、いつでもやれる」……なんて言うと言い訳にしか聞こえないことはわかっているけれど、「日々、地ならし」しているのはいつでも「最大限できる限りのことをいつでもやれるようにしておく」ため。
なんだかんだ言いながら締めるところは締めていますから。
会社側の人間は「辞めていく」人を増やさない為の努力をしているつもりらしいけれど、全体の大部分を占める「年配者」主体・目線での努力なので…そりゃ「辞めていくよ」と思うわけで。そんな中で孤軍奮闘しても「自分が追い込まれるだけ」だから、必要以上のことは必然としなくなるのもだと思うけれど、必要以上のことやってみると疎んじられ「反応があるのかないのかわからない」状態が発生する。それが20年近く続いてきたということは、これから先も続いていくということ。そりゃ、ある程度は周りに対して強く出られる状態になるからこんな中途半端な状態は改善されるとは思う。けれど、根本は変わらないだろう。
そう、根本的に人と環境は変わらないものだと思う。「もし、変わったとしても」それは今までのものとは違う何かになっているだけで、断ち切ることをしない限りは人と環境の中に根付いている「悪いもの」は変わらないと思う。総務人事系っぽいことを書いてみようと思ったけれど、本当に毎年のように春先になると人が普通に辞めていくので、ちょっとまいっているのでいつもと同じような文体に(苦)春は門出の季節だから自然な流れではあるけれど、こうも毎年のように辞めていく人たちを見送っていくと…「独立独歩でやってきた自分の努力ってなんだったのか」「努力は水の泡」「総務人事系の人間として何かできなかったのか」「何かできたとしても、自分が不利になっていたんじゃないか」「結局、自分が逃げていただけか」と、自己否定・自己批判になってしまう次第。
採用に携わった人間としては責任の一端はある。それは認識していなければならない。けれど、現実的なことを考えると小さい組織なのに「部門別、別会社」…いや…「個人別、個人会社」な環境では個人の努力だけではどうにもならない。そんな現実もあることも認識していなきゃ「本当に、自分が追い込まれる」だけ。それだけの価値があればまだいいけれど。いや、「価値があれば追い込まれてもいい」なんて考えが「自分を追い込むことになる」それでいいのか。いいわけがない。
自分を守るのは自分自身しかいない。会社が自分を守ってくれるわけがないから。
(全部の企業がそうだとは思わないし、会社が自分を守ってくれると感じられる社員が多い企業であれば中身の伴った業績と実績を出し続けていると思う)
経験があってもなくても「人事」って難しいことだと思う。どんなに最善な努力をしても成果がでるものでもないし、そもそも「人事」における成果をどこにおくのか…も人それぞれだろうから。それでも、毎年のように人が辞めていくのを見送っていくのは忸怩たるものがある。それならば「強く出ればいい」と言われても仕方がないこともわかっている。やっぱり、僕は逃げているだけか。「自分を守る為に」
でも、誰もがそんなもんじゃないのか。妥協しつつ、一線を越えつつやっているものなんじゃないのか。「聞かれれば」「気づけば」何かをしようとするものなんじゃないのか。人間なんてそんなものだと思う。そこに「価値のあるもの」があれば、全力になる。モチベーションが高まる。そんなものなんじゃないか、人間なんて。
ああ、そうやって自分を納得させているのだろうか、私は。
なんだろう、制度設計というか、「人が辞めない(病まない)」組織づくりの仕事をしたいのかな、私は。多分、今の環境においてそれは難しいと思う。「やってみなければわからない」と言われることはわかっている。ならば「それができる頃に私は何歳ですか」と問いかけたい。もう43歳だよ。相互コミュニケーションに乏しい環境。属人化し過ぎている職掌職務職責。業績悪化は確定している状況。そんな中では、自分のやりたいことを実現していく努力は厳しいと思う。自分を追い込んでしまうだけだろう。追い込んで結果を出したとしても…何歳だよ、その時の私は。結果を出したとしても「独立独歩」で「孤立孤独」な状態なままだと思う。
ああ、こうやって言い訳を考えているのか。言い訳を言わずにとりあえずやれ…とはならない環境もある。そうやっていかざるを得なかったのが就職氷河期世代の人間と言っても言い過ぎではないと思うけれど。
だからこそ、できることがあるんじゃないか。それに向けて動き出していく方がいいんじゃないか。
そう思う次第。
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