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惑い続ける

まだ終わらない2020年。先週の土曜日から年末年始の休暇…といってもそのうち2日間は「有給休暇の取得(業務に支障がなければ…って個人的にはかなりグレーゾーンに思える)」なので休暇感はあまり感じられなく、有給休暇の残日数も少なくなってきたので「業務に支障があるので出勤しても構いませんか」と言葉として出かかる寸前だったけれど、休暇前に口論になっても仕方がないので言うのは辞めたもとい止めた。その分、自宅で今の勤務先に対して1つの「ケジメ」を付けるための作業を行おうと思ったけれど、できそうにない。「これから」のことだけじゃない「これまで」のことや、今年1年受けてきたことを考えるとそんな気にもなれず、積読状態の本やダウンロードして鑑賞していなかったNetflixを消化したり子供部屋おじさんなので積極的に普段できないとされている自宅の用事に取り組むようにして過ごす休暇となりそうで、そんな時間を過ごしている自分の精神状態がかなり穏やかなことに気が付かされ「ああ、心底、辛いんだな、今の職場が」と思う年末。2020年はまだ終わらない。

先月の短期入院は「これから」のことを改めて考えることのできるきっかけとなった。「大丈夫なふりをすること」も必要なことだけれど、それが「大丈夫じゃない」ものとしてじんわりと体を蝕んできたということなんだろう。それはほぼ「自分の責任」であることは誰に言われなくともわかっている。自分がどう考えるか、自分がどんな行動をとるか、自分がどのような発言をするか、自分が…それによって自分にかかってくる「負荷」は変わってくるだろうから。また、周囲からの圧も変化してくるだろうから。「自分の責任」とされることの大半は、自分が置かれている環境に左右されるものではないかと思えてならない。それが現実ではないだろうか。言い訳がましいことを言うわけではない、他責的他罰的になるつもりもない。「自分の責任」は「自分の責任」なことは言わずもがなで至らない点があればそれは真摯に受け止めて、今後に生かしていかなければならないと思う年末2020年はまだ終わらない。

自分の人生が上手くいっていないことを誰かや何かの責任にしたいわけじゃない。いや、そもそもそうしたことこそ「誰でもやっていることなんじゃないか」と思う。自分が嫌なことは、自分が得意じゃないことは、自分が関係ないと感じていることは「誰かに押し付ける」ことで、自分は嫌なことや不得手なことや関係のないことから逃げて「自分の責任を果たしている」と思い込んでいる人の方が多いんじゃないだろうか。それ社会の現実、人間の実情なんじゃないかって思えてならない。「誰かに押し付けている」ことを「任せる」ことと勘違いしている人の方が世の中にはまだまだ多いんじゃないかって思う年末。2020年はまだ終わらない。

それではダメだと思っているから人はお互いに協力し合い、人は自己努力を続け、人はコミュニケーションを取り、お互いにお互いのことを理解しようとする。そうしていかなければ「コミュニティ」が成立しないことがわかっているから。それは人間の生存本能の現れであり、至極当然な行動なんだと思う。けれど、それが成立しない関係性もあるのかもしれない。あまりにも個人の努力に頼り続けてい・・・るというと「自分を理解してもらうための努力が足りないお前がダメなんだ」「社会はは学校じゃないんだ」と言い出す人間がいるけれど、それはまったくもってその通りでそんなことはお前に…あなたに言われなくてもわかっていますと言いたいけれど、そんなことを言われた時にそう言い返さないから相手にますますつけあがられて「使い勝手よく使われてきてしまった」のかもしれないと真剣に悩んでいる年末。2020年はまだ…いや、まだこの段落は閉めない。「時を戻そう」
「新しい人間を受け入れること、人を育てること」は、どんなに経験値を積んだ人間でも難しいことだと思う。それでも「新しい人(もの)」を受け入れたのなら受け入れた側は、その新しい人(もの)を育て活用していく努力が必要でしょう。なんだかんだ理由をつけ、その大事なことから逃げて「丸投げ」をしているだけの状態。そんな状態でずっと「自分を理解してもらうための努力が足りないお前がダメなんだ」「社会はは学校じゃないんだ」と言い続けることこそ(表に裏に)、現実逃避でしかないと思う。そんな環境に自分の身を置いたことのある人間になら「社会の正論」を吐かれても聞く耳を持ってあげるけれど、今の自分ならこういってやりたい「恵まれた環境にいらっしゃったんですね」と。そんなことを強く感じる年末。2020年はまだ終わらない。

ただ、私自身反省すべき点はある。コミュニケーションが足りていなかったことは否めない。それが自分を物理的・精神的に追い込んでしまうことになってしまったと思う。コミュニケーションが足りなかったから、相手のキツイ言動や対応を引き出し続けてしまったのだろうし、そのことで「言うべきこと」を言い続けられなかったことで全体に迷惑をかけてしまい全体の雰囲気が悪くなってしまったんじゃないかって思っている。今の職場から転職したい理由付けをしているわけではなく、真剣にそんなことを考えてしまっていて、それが精神的な負担となっている。ああ、だから逃げ出したいだけなのかな。今の職場から。…相手のキツイ言動や対応は「コミュニケーション不足」が招いている感は否めないけれど、それ以前に「不安」「自信のなさ」「経験値不足」が引き起こしているとしか思えず(馬鹿にしているわけじゃない)それに引っ張られ過ぎてしまっているのだろう。それが結果として、私発信のコミュニケーション不足に繋がっているのだと思う。被害妄想も甚だしいのかもしれないけれど、的を得ているんじゃないかって思えなくもないわけで。

「40にして惑わず」は、これまでの人生を振り返って「ああ、人生なんてそんなもんだ」と思えるようなことが多くなっていくという意味が込められているものなんだって思っていた。実際にその年齢に近づきその年齢を過ぎていくと「ああ、そんなもんだ」って思うことが多くなった。それでも、これまでの人生が「惑い続けてきた」のでまだまだ「惑い続ける」ことになりそうだけれど。それもまた人生であり、「ああ、人生なんてそんなもんだ」ろう。だから、こんなネガティブな感情を持っている自分のこと深く考え悩みすぎることはなく、そんな感情を背負いながら生きていくことも悪くないのだろう。けれど、引きずりすぎるのはよくない。こんな負の感情を背負いながらでは「新しい道」を切り開いていくことは難しい。かといって、今の環境において「報われているものがあるか?」と考えるとそれは「なんとなく、でも、すぐにでも壊れてしまうことは明らかな、安定」だけであって、それ以外「人生」の視点で考えれば…なかなか厳しいと思う。そんな現実と向き合い続けている現実、現実に向き合った結果としての2020年11月の短期入院だったと思う年末。2020年はまだ終わらない。

ようやく厄が明けた年なのに、道は人生は好転したのだろうか。好転しつつあるからこそ、これまでとは「少しだけ」違う視点を持てるようになったのだろうか。いずれにせよ、2020年はまだ終わらない。その延長線上にある2021年は…「転機」になるような気がするし、「転機」としなければ多分これまで以上に苦しい人生を進むことになるような気がしてならないので、何とか今の職場に対して1つの「ケジメ」を付けるようにしたい。

今の道を進み続けることになったとしても、新しい道を進むことになったとしても。


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