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あきらめないで

内定辞退をして一か月半が経過した。その後も転職活動は継続し、面接に進んだ企業もある以上に書類で落とされることが「少し」増えたような気がする。それが45歳を過ぎ46歳になったことが原因かどうかはわからないけれど。面接に進んでも求められるスキルは「マネジメント」が中心になってくる。一昔前の名ばかり管理職、今でいうところのプレイングマネージャーである私が経験してこなかったことを求められるのは、年齢を考えれば至極当たり前なこと。だからこそ職務経歴書にはその旨を記載しているにも関わらず、書類選考を通過して面接でその点を尋ねられると…「書類選考って何?」と思わなくもない。面接の場で改めて「確認を…」という意図もあるとは思うけれど。
 
もちろん現職には在職中で「これまで」の日常も続いている。正直なところ「内定辞退してよかったのか」と思わなくもないことばかり起きている。それは「これまで」のことでわかっていたことで「これから」も続いていくものであるのはわかっていたことではある。けれど、以前にも増して「なんだかなあ」と思うことが増えてきた。人はこれを「方向性の違い」というのだろうか。それとも「不惑」を実現できるようになったというのだろうか。または「あきらめ」というのだろうか。…人によって受け取り方は違ってくるかもしれない。私自身としては「自己肯定感が高まってきた」「思うところは思うところとして前に進んで行こう」と考えるようになった結果だと思っている。なかなか思うような結果は伴っていないけれどそんな風に考えられるようになっただけでも転職活動を始めてよかったと思う。
 
「面接で選ばれないこと」が続くと「あの人に私は受け入れてもらえなかったのね」という一抹の寂しさはある。それは他の年齢以上にスキル(特にマネジメント経験と自己表現)不足が一番の原因ではあるだろう。けれど、結局のところ「この人と働きたいと思うかどうか、自分達の環境に適した人間かどうか」によって左右される部分があって、それがスキル不足の裏側に隠れていて…と現実逃避するつもりはない。面接で落とされたのはスキル不足なのは明白で、それを何とかプラスに持っていきそれを受け入れてもらえる人・環境を自ら見つけていくしかないことはよくわかっている。それが砂浜で落とした指輪を見つける困難さと同じくらいなことも。けれど、結局のところは「人対人」で決めるものではないかと思うのです。人生とはそうしたことの連続ではないのかと。
 
気が付けば2023年がもう少しで終わろうとしている。自分の中において結論は出ているけれど、結果が伴っていない以上、踏み出すことは叶わない。それでも私は自分の中の結論の実現に向けて、少しでも前に進み続けていきたいと思う。「あきらめないで」とはどこかで聞いた言葉でいつかは「あきらめなければならない」時が来るかもしれないけれど、「あきらめないで」なんとか自分の中の結論を実現させたい。
 
「向き合いたいものに、向き合う姿勢であるための、環境づくりを」

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