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玩具蒐集家・梅谷紫翠と『土の香』の発行者・加賀紫水の交流

 雑誌『土の香』を発行していた加賀紫水は蒐集趣味家としての側面もあり、鷲見東一、村松百兎庵という大阪の趣味人たちと古くから交流があったということを以下の記事で紹介したが、最近、玩具蒐集家・梅谷紫翠とも古くから交流があったのではないかということを知った。

以下の記事で紹介した加賀紫水編『国の礎』に恵摩之舎主人という人物が「大阪小絵馬漫談」という文章を投稿しているが、この人物は梅谷である可能性が高い。この本は元々『国の礎』という雑誌の合本であるが、恵摩之舎主人が投稿した号の予告と思われる部分に梅谷の投稿が告知されている。また、梅谷は『土の香』第2巻第2号(土俗趣味社、1928年11月)に「大阪小絵馬漫談」、加賀紫水編『百人一趣』上巻(土俗趣味社、1946年)に「戦災小絵馬追憶記」をそれぞれ投稿している。どちらも絵馬に関する文章で、前者の文章は標題まで同じである。

 加賀によれば、中国地方方面への旅行の途中で恵摩之舎主人の家を訪問したという。恵摩之舎主人が梅谷であれば、加賀と梅谷は『土の香』発行以前から交流があったことになる。戦後に復刊した『土の香』復刊第1巻第3号の会員芳名に梅谷の名前が載っており、戦後もこの雑誌の読者であり続けたことが分かる。加賀は様々なものを蒐集していたが、おそらく蒐集趣味を通して大阪の多くの趣味人たちと古くからつながっていたのだろう。初期の『土の香』の読者、投稿者層は趣味人、蒐集家の人脈を基礎として成り立っていたのだろうか。

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