鶴見俊輔の歴史の見方―「回顧の次元」と「期待の次元」

 歴史を振り返るには「回顧の次元」と「期待の次元」で振り返るという2つの方法がある―私が鶴見俊輔の本でこの考え方にはじめてふれたのは読書記録によると3年ほど前であるようだ。それ以来、わかったようでわからなかったこの考え方が、最近何となくわかったような気がするので、自分の考えをまとめる上でも文章にしてみようと思う。

 私の読書記録によると、『鶴見俊輔座談 昭和を語る』という本が私と「回顧の次元」と「期待の次元」の出会いであるようだ。その文章を以下に引用してみよう。

鶴見 わたしの好きなことばに、レッドフィールドの「期待の次元と回顧の次元」というものがあるんです。いま生きている人は、こうなるだろう、こうすればああなるだろうと、いろいろな期待をもって歴史を生きてゆくわけですね。ある時点まで来て、こんどふり返るときは、もう決まっているものを見るわけだから、すじが見えてしまう。これが回顧の次元ですね。(後略)

(「「敗戦体験」から遺すもの」鶴見俊輔・司馬遼太郎の対談―晶文社『鶴見俊輔座談 昭和を語る』より)

 この一節は、戦前(日露戦争以後)・戦中の軍部や政治家を中心とした日本のリアリズムのなさ、また、戦後にアメリカという大国になびいて軍国主義から「転向」して民主主義の旗振り役になった者を批判する鶴見と司馬遼太郎の対談の流れの中、「日本が国家として、国民として寄りかかるに足る思想の共通の河床=岩床をどう探すか」という鶴見が提起した課題に対して、みずから応える発言の中にあらわれる。鶴見によれば、敗戦のときの言論の指導者は「回顧の次元」と「期待の次元」を混同せず、自分がまちがえたときの期待の次元をもう一度自分のなかで復刻し、それを保守すべきだったのに、「回顧の次元」でだけで戦争体験をふりかえってしまったという。彼らが「期待の次元」に生きていた状態を手ばなしてしまったことを批判している。
 簡単に言うと、「期待の次元」は過去のできごとの起こった地点まで戻って考えること、「回顧の次元」は現在の地点から過去のできごとを振り返ること、になるだろうか。
 この発言だけ読んだ当時の私は「回顧の次元」と「期待の次元」の違いは分かったが、「期待の次元」で自分の体験や過去を振り返ることによって、どのような風景が見えてくるかが分からず、このことに関して長い間考え続けてきた。

 先日、鶴見の『北米体験再考』を読む中で、以下の印象的な文章に出会った。

体験はいつも、完結しないということを特徴としてもっている。

体験から考えるという方法は、体験の不完結性・不完全性の自覚をてばなさない方法である。ある種の完結性・完全性の観念に魅惑されて、その尺度によって状況を裁断するということがないようにすることが、私の目標だ。
(いずれも岩波新書『北米体験再考』鶴見俊輔 終章 岩国より)

 『北米再体験考』は、鶴見俊輔の戦前アメリカに留学していたときの経験を約30年後に振り返る文章をまとめたものである。エマソン、ソロー、ホーソーン、メルヴィルが住んでいたコンコードの訪問、ネイティブ・アメリカンに会わなかったこと、ハーヴァード大学での黒人学生との交流に関して回想が行われ、これらの体験の中から当時見えなかった新たな意味を引き出していく。約30年間、これらの体験の不完全性・不完結性を自分の中に保ち続けたからこそ、鶴見は留学体験に新たな意味を与えることができた。
 この体験の「不完全性・不完結性」があるからこそ、「期待の次元」で体験や過去を考える意味がでてくるのだろう。振り返るできごとの起こる地点では、どのような未来になるかはまだ確定しておらず、様々な可能性が考えうる。それらの様々な可能性を手放さずに同じできごとを考え続けることで、新しい意味や道筋が見えてくる。これが「期待の次元」で体験や過去を考える意味だと思う。
 言い換えると、体験や過去の出来事を「はば」でとらえて「編集可能性」を確保し、様々な可能性を考えることが「期待の次元」における過去の見方になる。一方で、「回顧の次元」はすでに確定してしまった道筋を振り返るため、体験や過去のできごとは完結・完全なものになり、過去から現在までの道筋は1本道になる。

 ところで、体験や過去のできごとの「不完全性・不完結性」や「編集可能性」は、昨今特に話題になっている歴史の改ざん・隠ぺいを肯定する考え方ではないか、という疑問が出てくるかもしれない。この疑問への回答として、鶴見が影響を受けた哲学者のひとりであるG. H. ミードを論じた『アメリカ哲学』のミードの時間論を取り上げた部分から考えてみよう。
 ミードの『現在の哲学』によれば、「過去は、未来とともに、つねに改訂されるべきものとしてあり、現在の中に可能性として存在」するものであるという。現在の変化に合わせて、過去や未来も「刻々と新しくつくられる」。これは現在の立場から過去や未来を思うように解釈していく立場と思われるかもしれないが、鶴見は「過去についての研究記録は何事にもよらず抹殺されることなく、活用される状態が確保されている」こと、「自分が今正しいときめたこの唯一の過去だけが正しい過去の像だという前提をたてない」ことを取り上げ、現在に過去を従属させる立場とミードの時間論を明確に区別している。
 ミードの時間論にしたがうと、過去はあらゆる可能性を秘めた「未完成」のものになる。そのため、過去を考える際に正しいと思われるひとつの前提をたてたとしても、その「正しさ」から逸脱し、別の方向へ逃れていく可能性を常に過去は含んでいることになる。このような前提があってはじめて過去は「編集可能性」を持つ。たとえ私たちが過去の編集作業中であっても、次の「編集可能性」が常に想定されている。この「編集可能性」を認めることは歴史の改ざん・隠ぺいとは異なる立場と言えるだろう。
 ミードの時間論では、過去を現在の立場から振り返る、鶴見の言う「期待の次元」では、過去のできごとの起こった地点まで戻って考える、というように、過去を見る私たちの視点が置かれている場所は異なっている。しかしながら、両者とも過去のできごとや体験を「未完成」と考えている点で共通している。鶴見も『北米体験再考』の終章で上に引用したように、あるひとつの価値を過信してものごとを判断したくないと述べているが、過去の改ざん・隠ぺい、ひとつの見方を過信した歴史の解釈とは明確に距離をとっていた。
 鶴見の自伝的な文章とも言える『期待と回想』によると、鶴見がレッドフィールドの本(『ザ・リトル・コミュニティ』)を読んで「期待の次元」と「回顧の次元」による歴史の見方を取得したのは、1955年より少し前だという。鶴見はこの歴史の見方を生涯手放さなかった。最後に、晩年に行われた鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二の座談から以下の文章を引用してこの拙い文章を締めくくりたい。

鶴見 (前略)日付のある判断が、かえって未来を開くという逆説的な関係があるんだ。日付のある判断というのは、これが当時の限界だったと評価するんじゃなくて、ここでこれだけ考えられたのか、と考える。そうしたら今度は、その後に進んだのと別の可能性や方向があったんじゃないか、と考えられるわけでしょう。その後に実現した一つのものが、進歩とは限らないわけで、もっと別の可能性があったということがわかる。そうでなきゃ、思想史とは言えないんだよね。(後略)
(新曜社『戦争が遺したもの―鶴見俊輔に戦後世代が聞く』鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二より)(追記)

(追記)
鶴見俊輔の過去のできごとを「期待の次元」で考えて別の可能性を引き出すのは、歴史においてよく禁じ手と言われている「IF」を考えることになるのではないか、とこの文章を書きながら思った。この問題はあらためて考えてみたい。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。