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『マス・イメージ論』吉本隆明に関する雑記④―井の中の蛙という思想

 今回は、以下の記事で少しだけ触れた『マス・イメージ論』吉本隆明で展開された反核運動に参加した文学関係者に対する批判の裏に流れる問題意識のひとつである「現在の大衆の問題を避ける文学者」を過去の問題意識との連続性という視点から詳細に見ていきたい。

 前回の記事でも引用した1967年に行われた講演「調和への告発」の別の部分を引用してみよう。

(前略)ベトナムに戦争があるっていった場合には、ベトナム人が沸騰し、全部が混乱しているっていうふうに想定したら、まったくのまちがいであって、戦争っていう現状のなかにも平和っていうものが、平和なある時間があり、ある局面があるってこと、つまり、そういう局面については、現実っていうものは、さまざまな次元の場面っていうのを許すものである。それが、ようするに、現実の実相であるってこと、また、日本は平和だというふうに、彼らがいうときに、しかし、日本の平和なるものは、いったんこれを、ある視点をもって、これを眺めてみれば、ちっとも平和ではないわけで、そこには、いわば声をあげずに倒れていく人間もいますし、また、なんの声も発せずに老いさらばえて、そして死んでゆく人間もあり、そしてまた、きわめて日常的に無事平穏にみえる生活自体といえども、いったんよく考えてみれば、そこではなんか本質的な思考っていうものを個々の人間に許さない。(後略)
(前略)今日、ベトナムのなかに情況の本質があり、そして、ベトナム戦争に反対することのなかに、政治的情況があるというふうに、すこしも考えていないわけです。わたくしは、依然として、いっけんすると無事平穏のごとくみえるこの現実のなかに、この日本の国家権力のもとにおける現実のなかに、さまざまな鋭い裂け目があり、そして、そのなかに、それをどういうふうにすくい取っていくか、つまり、それをどういうふうに問題として立てていくか、あるいは、思想の問題として組み込んでいくか、そして、それが、国家権力っていうものに対する、どのような戦いの様相というものとして、展開されねばならないかってこと、わたくしは、そういうことのなかに、情況があるっていうふうに考えております。つまり、そういうことは言い換えれば、世界の情況っていうものは、ようするに、この日本の国家権力のもとにおける、そういう、いっけんすると無事平穏のようにみえる、そういう情況のなかにしか存在しないというふうに、ぼく自身は考えております。それを打開する方途というものを見つけられないかぎりは、いかなる情況の展開もありえないこと、そういうふうに、ぼくは考えています。(後略)

 簡単に言うと、ベトナム戦争が行われている中で日本=平和/ベトナム=戦争という単純な構図でとらえてしまうと日本の中の重要な問題が見過ごされてしまうということになるかと思う。吉本の考えを端的に表している文章を、この講演とほぼ同時代である1966年に出版された『自立の思想的拠点』の「日本のナショナリズム」から引用してみよう。

(前略)井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。これは誤りであるかもしれぬ(中略)その疑念よりも、井の中の蛙でしかありえない、大衆それ自体の思想と生活の重量のほうが、すこしく重く感ぜられる。(後略) (『吉本隆明全集7 1962~1964』(晶文社)収録の「日本のナショナリズム」より)

 隣の芝は青く見えるとよく言うが、そもそも見えなければ自分が今いるところに違和感を持たないし、そこから思考を出発させなければならず、それによってはじめて開ける可能性というのもありうる。だがら、井の中にあり、そこから考える可能性を探りたい。上記の文章は一読するとヘリクツのように読めるが、吉本の立場を明確に感じられるいい文章だと思う。鶴見俊輔は『日本人は何を捨ててきたか』という関川夏央との対談で、吉本のことを「樽」の中にいるものはゆっくり「樽」の中を見回すことによって、「樽」の外の世界につながると言った思想家であると評価している。ちなみに、上記の文章は当時海外との交流を訴えていた鶴見を批判したものであるのがおもしろい。

 『マス・イメージ論』の「停滞論」の中にも、上記の吉本の考えを反映したと思われる文章を見つけたので引用してみる。

(前略)この崩壊しそうな家族に、核戦争による地球の破壊を憂えている父親のイメージを加えてもいいのだ。こんなSF的な姿になっちまった父親が、現在の家族の崩壊をささえられるなどと信じられない。(後略)

 この文章は、反核運動に参加した文学者がそれをかくれみのとして、現在の日常や大衆の問題を避けて通っていることを批判しているように読める。吉本は文学をこれらの問題と向き合うものでなければならないと考えていたようだ。

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