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音楽にも翻訳者違いがあったのか!

訳が違うだけで全部内容同じだよね?飽きない?

と聞かれても、答えは一つ!

飽きません!


好きなものは集めたい!というコレクター気質のため、ルイス・キャロル著『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』の翻訳者、出版社違いがあると買っちゃいます。

ただし、挿絵はサー・ジョン・テニエル画に限る。ここがポイント。

2つのアリスとの最初の出会いがオリジナルのサー・ジョン・テニエルの画なので、これ以外は馴染みにくいのだ(他の画家が全て駄目な訳ではもちろんない)。

と言いつつ、この角川文庫の新訳はまだ買っていない!買わねば!


同じ物語でも、翻訳者によって表現が異なる事はよくあります。その違いを読むと、同じ物語なのに別の物語を読んでいるような気分になる。挿絵は同じだけど、訳者ごとに個性がある物語になっていて、面白いなぁ。

この「翻訳者による違い」の面白さって、音楽でも同じ事が言えるのでは?と最近気付いた。
元の作品は一つなのに、翻訳者によって異なる訳が出て来る構図、音楽だと編曲者によって異なる楽曲になる構図。

と言っても筆者は音楽に関する知識と翻訳に関する知識が薄くド素人なので、言葉の意味をGoogle先生で検索しつつ、こういう風に考えたらなんか面白かった!という拙文です。生暖かい目で見守っていただければ。


浅岡雄也さんのベスト盤があります。

「浅岡雄也 Extra Rare Best」(TKCA-74928)
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2020年11月4日発売


ご本人のnoteにも記事があります。


2枚組全31曲。
浅岡さんが以前所属していた徳間ジャパンから出した曲と、現在の自主レーベルFlyBlueで出した曲の中から選曲されています。CDの帯には「全曲新規録音」とあり。

ただし、ボーカルは歌い直していない、と2021年のインタビューで語っています(1曲新規録音あり)。

↑この写真はCDジャケットの裏面に使われています。


筆者がこのCDを購入した時は徳間ジャパン時代の曲はよく聴いていたが、FlyBlueの曲はそれ程聴いていなかった。そのため、この盤が初めましての曲も多々ある。純粋に初耳の曲を原曲より先にリミックスで聴くという珍しい体験をしてしまった。

この体験、実はこのアルバム以外でもしているのだが、どんだけリミックスするんだ、浅岡さん!と突っ込む。聴き比べできて面白いから全然構いませんが。ご本人のリミックスだと色々と遊びがありそう。


さて、リミックス盤は、歌詞は変わらない。
前出のアリスの例だと、挿絵はテニエルで変わらない。
リミックス盤は大小こそあれ、曲全体が変化している。同じくアリスの例だと、翻訳者によって訳が異なる。

挿絵を取り巻く本文の訳が違う=歌詞を取り巻く曲が違う、と考えた。

そうすると、翻訳者の原文に対する語彙が様々なので訳が変わる(時には注釈も入る)。ただ、古い時代の作品は、原作の雰囲気や発表当時の時代背景なども考慮して翻訳する必要がありそうで、表現の幅と自由度はそれ程高くないのではないかと想像する。
特に、例に出したアリスはヴィクトリア朝英国、という時代背景を持ち、時代や作品自体の研究も盛んに行われている。

では楽曲はどうか。
編曲者の、原曲に対するイメージや歌詞の意味に対する解釈が様々なので、曲が大幅に変わる、という対比が成り立つのではないか。

歌詞以外の部分は編曲者の解釈に委ねられるため、楽曲の表現の幅と自由度は高いのではないかと想像する。もちろん、作詞者、作曲者の意向を汲んでの編曲となると話は別だと思うが。
更に、編曲が作詞作曲をした本人の手によるものか、それ以外の編曲者によるものか、によっても違いがあるだろう。この稿ではそこまで深掘りはしない(ここまでなんかそれっぽく書いちゃってるけど、当方ど素人なもので)。

でも多分、浅岡さんはご自身の曲を編曲するのを楽しんでいるんじゃないかなと思う。そうじゃなかったら機会を捉えて何パターンもリミックス盤を出さないだろう(作ったら全部良いから全部出す!的な?)。

原曲に対する編曲のアイデアがたくさんあって、しかも試してみたらそれが全部良い!となるのが素晴らしい。


1曲に対して2種類のリミックス盤が存在する曲もあるし。DISC2の6曲目「スパイス」という曲です。リミックスについてではないが、曲について書きました。


「浅岡雄也 ExtraRareBEST」では全31曲中、3曲がリミックスです。

特に、「君の翼で」(DISC1 16曲目)の変わり方が激しい。何ということでしょう!ってセリフが出るくらい劇的ビフォーアフターです。
編曲者は美島豊明さん。
原曲とは180度異なる曲調 で、好みが分かれそうな気がする。

「アシタガクルマデ アシタハクルカラ」(DISC1 10曲目)もかなり違う。
編曲者は中野定博さん。かなり可愛い曲!になったなぁ。


曲たちのこの激変具合。

編曲者の方々は、浅岡さんの原曲からどうやってこの編曲に至ったのだろうか、という部分も気になる。どの様に原曲を解釈、消化したらその編曲が出て来るのか。

このCDが発売された時はファンクラブに入っていなかったため、編曲者に依頼した経緯や、編曲はお任せなのか、希望を伝えたのか、などの詳細は不明だ。前出のインタビューではそれ程語られていないが、そこら辺をもう少し詳しく知りたい(noteとFaniconでCDの制作過程の一部を公開して下さっているので、遡れば何かあるのかも?)。

CDに付いているセルフライナーノーツでは浅岡さんが3曲を絶賛しているので、満足いく結果になって良かった。


編曲者だけではなく、ミックスエンジニアの方々のお名前も書かれています。
この方々は校正者の役割なのかな、と勝手に役割分担。歌詞の校正ではなくて、楽曲全体の細かい部分の校正をして、整える役割という意味で。

本として出版する際には、校正者が本文を校正するから、安心して本が読める部分もあるのではと思う。漢字間違ってる!とか地名のヨミが違う!とか、作者があえてそういう表現をしたもの以外の余計な引っ掛かりを読み手が感じる事なく作品世界に没頭できるようにする役割(だと筆者は思っている)。

楽曲では、あえてそういう表現をしたもの以外の耳障りな部分や音の凹凸や引っ掛かりを、全体のバランスを考えて整えて音楽に没頭できるようにする役割。
この役割があるからこそ作品がより良くなる、という点が共通しているのではないか。これもエンジニアの手腕にかかっているだろう。アーティストとの相性などもあるのかも。

まあ、何でもかんでも本に置き換えて比較しなくても良いのだが、この方が筆者としては理解しやすい気がしたので書いてみた。
翻訳作品に限っての本と音楽の比較だが、なんか悪くない気がする。
洋楽の話だと思った方がいたら、期待を裏切る内容ですみません。

プロが作品を一つ作り上げて世の中に出すには、ご本人以外の多数のプロの力が必要なんだよな、と改めて思う。

そんなリミックス盤なので、同じ曲でも全然違う曲になっているから飽きないし、画家が同じで翻訳者が違っているから読んで面白いのだ。


2025年1月発売の浅岡雄也さんの記念すべき20枚目シングル「冬花火」のカップリングには「Hello Good-bye」という曲が収録されるが、この曲のリミックスも収録!どんなシングルになっているか楽しみだな〜と試聴はせずに発売を待つ。


インターネット情報は2024年12月20日確認。