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切り離された外側

これは私がこの1ヶ月、今まで感じたことのないような孤独感に打ちひしがれながらなんとなく出した答えである。(孤独感に打ちひしがれる様子は超自我のTwitterから観察することができる)

はっぴーぴすぴす。友人のyoutubeライブに飛び入り参戦してインターネット偶像(アイドル)を名乗ってから1ヶ月が経った。

この1ヶ月、スピード違反で捕まったり、出会い系はじめたり、すきぴ(笑)に1年越しにバレンタインあげて自分の中で気持ちに区切りがついたり、友達だと思ってた人にハブられたり、仕事が忙しすぎたり、新人バイトが怖くて鬱ぶり返したり、騙されてはじめたカレー屋のバイト飛んだり、友達にイラストの仕事ください!って言ったのに全く手を付けられなかったり(まじでやれ)してました。

何が言いたいっかって殆どやりたいこと、やらなきゃだめなこと、全然できずに勝手に傷付いてストレスためて1ヶ月終わっちゃった。

正直、友達ほしくてはじめた出会い系もストレスしかなくてやめちゃったし、結局大して感じていなかったはずの孤独感にSNSによって苛まされた挙げ句病んでたんだけど、なんか今日いきなり吹っ切れた。

結論からいうと、他人に何か求める前に、自分と向き合う必要があったみたい。でも他人から受ける影響って本当に大きくて、他人の評価によって一喜一憂するのも事実。

でも自分が自分のこと愛せなきゃ、他人に愛されても空虚だし、他人に否定されたら全部無くなっちゃうような気になる。今、他人に標準を合わせたらたぶん終わる。せめて自分だけは自分の生き方や見た目、哲学に満足していたい。

そういう段階なのに、他者に縋るのはあまりにも危険で、遠回りだった。内側に篭もるって表現をすると、なんだかマイナスなイメージが浮かぶけれど、それならば自分以外の自分に向けられる意見である“外側”を徹底的に排除する。いい意見も、悪い意見も。

その中で自分に向けられた訳ではないけれど先人たちの知恵や努力を書物から抽出したり、自分自身と向き合い、自分に向けた鮮明な目標を明確にする。

その作業を抜かして、人に認められる事なんて無い。そして、自分と合わない人から自分自身を守ることもできない。

計画だったり、時間の管理とかはとても苦手だけれど、まず評価の前に努力が圧倒的に足りていない現実と向き合って、自分自身に何ができるのか、何なら伸ばすことができるのか、何なら継続できるのか、そもそも何がしたいのかを明確にして行動しなければいけない。

そうしなければ短すぎる人生の限られたを大幅に無駄にしてしまう。そして考えを放棄した、あるいは型にはまった生き方しかできなくなってしまう。

型にはまった活動の網にとらわれた人間は、以下のことを忘れてしまう 自分が人間であること、唯一無二の個人であること、たった一度だけ生きるチャンスを与えられたこと、希望もあれば失望もあり、悲しみや恐れ、愛への憧れや、無と孤立の恐怖もあること。(エーリッヒ・フロム 『愛するということ』)

それではあまりにも哀しく、誰の人生なのかすら分からないじゃないか。

偶像と書いてリアルと読むか?

偶像、偶像、偶像っていうのもなんだかよくわからない表現だ。ただ病み散らかしている私を崇拝する奴がいるならば、そいつもきっと病んでいる。

病んでいる人は好きだ。だからもしそんな人がいるならば一緒に闘いたい。私の問題を解決できるのは私自身しかいないように、根本的な問題の解決は各々って感じだけれども。傷を舐め合うだけの偶像でも存在している事を、どうか忘れないで。一緒に生かせてはくれないだろうか。

空気を抱くのです。 布団の中で 台所で 箪笥を開けて あなた、いるつもりになって。(虚飾集団廻天百眼 『存ぜぬ快楽』)

名乗ってしまったからには、私は偶像であり、リアルに生きる人間なのだ。

あとはあなたのお気に召すまま。

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