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経験と記憶と2020年の夏

「次の休暇では、撮った写真は休暇の最後に全部だめになり、記憶に作用する薬を飲んで、何も覚えていないとします。

また同じ休暇を過ごしたいと思いますか?」

かの有名な経済学者のダニエル・カーネマンが私たちは体験の自己よりも、記憶していることを重視すると語っていた。そして、幸福であることは 今幸福を経験している"Well-being"とは違うというようなことを言っていた。


前代未聞のコロナ禍の中迎えた2020年の夏。近代人類史上もっともがっかりな夏ではないだろうか。

気になっていたあの子と夏祭り、はたまたプールできゃっきゃうふふなんて夢のまた夢、やりきれない気持ちを抱えながら一人家のベッドで見たいとも思っていなかったNetflixのドラマシリーズがサクサク消化されてしまう。

アーメン。

8月ももう終わろうとしているけど、自分は夏、できたのだろうか。

確かに今年の夏はたいそれたことはできなかった。海外旅行はおろか、楽しみにしていた音楽フェスも軒並み中止、トウキョウ遊びに行くね!なんて言っていた友人たちからも申し訳ないけど延期でとの連絡を受け取る日々。

2020年という記念すべきミレニアムイヤーにビアガーデンで乾杯することすら許されないのかッ、、

それが意外や意外、例年より夏の思い出が残っている。自分は夏、できた。そう思う。それはなぜだろうと自分のカメラロールを見返すと、多いのだ、自分のカメラで撮った写真が例年より圧倒的に。

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今年は夏を見つけるのに必死だった。許される範囲で、この一生に一度しかない2020年の夏をなんとか楽しんでやろうと躍起になっていた。気づけば例年よりも圧倒的に夏っぽいことしてるじゃん。

記憶はストーリーであり、それをどう紡ぐかで幸福かどうか捉え方は変わることがあると言ったカーネマンは正しいだろう。必死になって探して見つけた夏が写真になって保存されているのを見返した時、多くの夏の「記憶」が残っているのを感じるからである。

冷蔵庫にずらっと並んでいたフィルムが寂しくなるくらい、この瞬間を記録した2020年夏。

だから好きだったよ、、、君のこと。最初は大嫌いだったけど。終わる頃にはなんだいいとこあったじゃん、、ってなってた。

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でも見たかったけど、水着ギャル。画面越しとかじゃなくて、目の前で。

K


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