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ダイエットは◯◯は10割

選択のパラドックス

今日もご覧いただきありがとうございます。

わたしは常々、疑問に思っていることがある。

それはどのダイエットのメソッドが結局、正解なの?

ってことである。

本屋に行くと、これでもかというくらいにダイエットに関する書籍が並んでおり、その前に立つと、あまりの多さにそこから選ぶことによる圧倒的無力感に襲われる。

これぞ、〝選択のパラドックス〟。

選択のパラドックスとは、心理学者のバリー・シュワルツが提唱する概念。

要約すると、

あまりにも多すぎる選択肢は、人を自由にするどころか、人を無力感に苛まさせてしまう。
仮に多すぎる選択肢から自分でベストだと思ったものを選ぶことができたとしても、選択肢がより少ないときに比べると、その選んだ結果に満足しにくいという。
多すぎる中から選ぶと、どれを選んでも結局はもっと自分に適したものがあったのではないかという猜疑心が生まれ、結果一向に満足はできないという矛盾が生じるというのが、選択のパラドックスの概要である。

これに基づくと、本屋に並ぶ圧倒的な数のダイエット本はどれを選んでも満足はできないという結果が容易に予想されるのである。

ダイエットは◯◯割

それでも、どれか自分のベストチョイスなダイエット本はないものかと本屋で本を物色してみると、タイトルにある傾向が見られるのに気づいたのである。

それが、

〝腸がすべて〟

〝ダイエットは運動1割、食事9割〟

〝肝臓こそすべて〟

〝すべての不調は血糖値で決まる〟

などといった、筆者が置かれている立場によるポジショントークでやや誇張されたタイトルが並んでいるということである。

高校や大学の入試試験や車の運転免許取得の試験の設問などで、〝全部〟とか〝すべて〟とか〝完全〟〝完璧〟とかいうフレーズが出たら、その選択肢は疑ってかかっていったほうがいいが、本のタイトルもその類ではないだろうかと考えてみる。

どれも鵜呑みにしたら、結局はどれもすべて大事だよねということにならないだろうか?

仮に、どれか1冊選んで実施したとしても、買わなかった他の本に書いてあることを実施したほうが、もしかしたらダイエットには効果的だったかもしれないという〝選択のパラドックス〟に苦しめられることになりかねない。

自分なりのダイエットに対する答え

どれが正解かはわからないから、とりあえずは数十冊は片っ端から読んでみる。
そこから、傾向と対策を導き出すしかないと思い至るのである。
まずは1冊1冊の言い分を聞いた上で、俎上に乗せてみる。
そこから、自分なりに合いそうなものを試してみる。
試しながら、トライ&エラーを重ねていき、自分の性格や生活環境、趣味や嗜好などといったものと折り合いをつけていく。

そして、それが結果として現れてくれば、自分に合ったダイエット法ということになるし、結果がついてこなければ、やり方が間違っているか、自分には合わないとして、また他を模索していくしかない。

結局は万人に有効なるダイエット法なんてものは存在しないから、とりあえず自分のカラダで人体実験していくしかないのだなと悟るのでる。

そうしていきながら、ある事に思い至るのでる。
まずは見方を変えてみて、そもそもダイエットをダイエット本から学ぶという正攻法を疑ってみてはどうかと。
イノベーションとは、既存のあるものとあるものとの組み合わせの妙によって生まれるという考え方を参考に、既存にある、かつ違う分野からダイエットをアプローチしてみようという発想となったわけである。

そこから至った帰結に関しては、また次の機会に譲ることとして、正解がないからこそのあの選択肢の多さなのだなと知るわけである。

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