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他人の言葉に振り回されてきた過去、そしてその解消法について

私(筆者:真実の剣)は、過去若いときからしばしば、他人の暴言、嫌味を受け、我慢しきれなくなった結果、突発的に自分から手を挙げたり、相手に物を投げたりして怒りを示してしまうことがありました。

さすがにそれは言い過ぎでしょうという酷い言葉を投げかけられたとしても、こちらから手を挙げてしまうと当然、それ自体が暴力になり、形になって残り、それをもって社会的に罰せられることになります。私は過去何度か、そうした行為によって相手に深く謝罪することになり、慰謝料などで社会的責任を取ることもありました。

もちろんそうしたうかつな行為について、私は心から深く反省しているのですが、その一方、「私はなぜかいつも、蟻地獄のように同じようなパターンにはまってしまう」というモヤモヤした気持ちがありました。

「私が悪いのだから仕方がない」と、じっと我慢しながら話を聞いている中、あるタイミングで、本当に自分の意志と反するように、突発的にキレてしまうのです。その様相は、「全く別の人格が自分の中にもわっと現れて、いつもの自分が脇に置かれたうえで体が勝手に動く」、というようなものです。

さらに振り返ってみると、毎回、もめ事を起こす相手の人物との間で、少し前から言語化しにくいある一定のコミュニケーションパターンが生まれ、「これはなんとかして改善しなければ」と思いつつも、改善できないままにもめ事に突入するのです。これは毎回本当にまるで同じパターンで、何度改善を試みても必ずと言っていいほどうまくいきませんでした。

たくさんの怒りの解消法を試みながら、自分のこの「蟻地獄のようにはまる同じようなパターン」の原因を、何年も何年も長く追求し続けてきました。

そんな中で一つ、「なるほど」と腑に落ちたことがありました。

まず前提として抑えるべき、「暴言も、脳には物理的攻撃と同じようなダメージを与える」という医学的な根拠です。

■「言葉の暴力」、脳には物理的な暴力に匹敵する

こちらは心と体のケアに関する情報サイトですが、この記事によれば以下ように書いてあります。引用します。

【時に、怒りに暴力が伴うこともあります。もちろん暴力は肯定できるものではありません。暴力、そして暴言も、それを受けた人の脳を変形させることが研究で明らかになっています。直接暴力を受けなくとも、例えば子どもが両親間のDVを見た場合でも、脳の損傷が生じます。そのような物理的な脳の損傷の結果、様々な精神的なトラブルに加え、視覚、聴覚、知能・学習能力などにも影響が生じていると言われています。

暴力や暴言が相手に与えるダメージの大きさを見ると、決して肯定はできません。しかし、そうした行動をとってしまう本人の立場に立つと、暴力や暴言は、自分が窮地に陥ったときの突発的な「防衛行為」として表出しているのだとも考えられます。】

ここから考えると、実は、相手から暴言を受けた時点で、医学的には「脳を殴られた」のとほぼ同じ事象が起きていると推察されます。

つまり「相手の暴言をひたすら我慢して受けとめ続けている姿」は、「サンドバッグのように脳を殴られ続けている状態」を意味します。かつての私はその結果、どこかで脳が耐えきれなくなって、ある時点で防衛本能が働いて「キレて」手を出してしまう、ということになっていたのだと思われます。

■さっさと逃げるが勝ち、けれども出来ない心のクセもある

だとしたら、最初の暴言でぽかんと“一発殴られた”時点で「脳にダメージを受けた」という事実として十分に自覚し、「さっさと逃げるが勝ち」を取るべきでしょう。(相手に「それは脳への暴力」だ、と説明しても通じないはずなので)

ですので、先に紹介したWebページにも書かれていることですが、相手から暴言を受けた時点で、「お客さんから緊急の連絡が来た」でもなんでも、何らかの理由をつけて「その場からとにかく離れる」ということが重要です。

そしてこれは私が周囲を観察している限り、かなり多くの人が、なんだかんだとうまく実行して最悪の事態を逃れている、適切な方法です。

ただ、「それさえもできない」という極度の心理状態を持っている人もいます。例外なく、私もそうでした。

「どんな状況であっても逃げてはいけない」というかたくなな思い込みを持っているかのように、まさに限界を超えた領域まで、相手の暴言にじっと耐え続けてきたのです。

■幼少期の体験にさかのぼることが大切

そうした「逃げてはいけない」という心理状態を持ってしまう原因の1つとして、私の推測から言えるのは、幼少期の「調教」です。

母親や父親など、人生で最も近しい人物から日常的にハラスメントを受け続けていると、「もはや逃げるのも難しい」という無力感にさらされます。その結果として、「暴言の場からなんとかやりくりしてうまく抜け出す」という合理性のある行動さえも、とれなくなってしまうのです。

つまり、最初から「おれは逃げることなんてできない」と思い込んでいるので、そのような日常が形成されているわけです。

私はかつて、母親から性的なものも含めた極度なハラスメントを受け続けてきました(過去の記事はこちら:「母親に「ペット」と呼ばれ続けた人生は、どうなるか?」)。

「母子カプセル」とも言われる閉鎖的な環境の中でハラスメントを受け続けてきた結果、「おれはここから逃げられない」という極度な思い込み(あるいは調教)を抱き続けてきたのだと思われます。

私はこの点に気が付いてから、ようやく「逃げる」ことができるようになってきました。

逃げることは決して悪くありません。足かせの付いた象は、今はもう足かせが外れているかもしれません。その象を救い出すのは、自分自身です。そしてそれは、必ずできるようになります。

もし、自分の深い部分を紐解くのが難しいのであれば、私の経験上、そこにはヒーリングが大きな効果を発揮します。よろしければ、ぜひご相談ください。

■「真実の剣」note記事をご覧いただきました方へ

「真実の剣」のnote記事をご覧いただき、ありがとうございました。併せて、ぜひ、下記のヒーリングや瞑想ワークショップの情報もご覧ください。

「真実の剣」ヒーリングおよびセミナーWebサイト

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■あなたの一人の神としての特性を開く「DNAアクティベーション」

DNAアクティベーションは、伝統ある形而上学の学校が古来引き継いできた、最重要のヒーリングメソッドの1つです。

DNAアクティベーションでは、後頭部から背中上部にある、皮膚から上1cm~3cm程度の領域に対して専用のワンドでアクセスします。これにより、受ける人のエネルギーを活性化していきます(出所:MMSジャパン「DNAアクティベーション」ホームページ)

かつては王族や神官など、限られた人にのみDNAアクティベーションの存在が明かされてきました。つまり、ごく一部の人物しか、このDNAアクティベーションの恩恵を受け取ることはできませんでした。

しかし、今は形而上学の学校・モダンミステリースクールが一般公開に踏み切ることにより、正式なトレーニングを受けて認められたヒーラーなら、施術ができるようになりました。これにより、市井で活躍するより多くの人々が、このDNAアクティベーションの恩恵を受けられるようになっています。

これを受けた人は、まさに形而上学が語る最大の教え、「I am God.」の一片――素晴らしき自らの潜在的な可能性が拓かれます。徐々に心の平和、心の豊かさ、さらには自らの人生を切り開いていくことができるようになるでしょう。

私がDNAアクティベーションを最初に受けたのは2005年9月のことでした。そしてDNAアクティベーションの施術法を最初に学んだのは、2009年でした。初めて学んでから10年以上もの月日が経過していますが、このヒーリングの威力については発見の連続です。

受けた人が備える可能性を最大限に開く、古来の叡智・DNAアクティベーション。このヒーリングの恩恵を、ぜひ、多くの人に受けていただきたいと思います。

DNAアクティベーションの解説ページはこちら

DNAアクティベーションをお受けになりたい方からのお申し込み・お問い合わせ、歓迎いたしております。下記のnoteお問い合わせフォームから「DNAアクティベーション希望」とお書きになって送信ください。折り返し、当方から連絡いたします(東京・池袋/目白がメインの活動場所ですが、各地への出張も可能です)


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