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「プロセス」が人々をつなげる

プロセスエコノミーで紹介されていた感動的な動画。思わず胸が熱くなりました。主義主張だけではなく、居住地などによっても分断する世の中。「京都ぎらい」には、歴史的背景による地理上の序列意識について書かれていました。京都のサッカークラブで働いていたとき、この社会状況=課題を解決することがサッカークラブの使命だと感じ、プロモーションの種にしたものです。

人が集う場所を提供することで、分断する私たちをつなげる。サッカークラブの存在意義はここにあると感じています。そもそもサッカーとは、学校、教会、工場、パブに集まる人々が、空いた時間を使って始めた遊び。集まる場所があって、話すことがあって、飲んだり食べたり笑ったり踊ったり。やることがたくさんある中の一つ、それがサッカーでした。サッカーがあるから人が集まるわけではないということを「フットボールの文化史」で学びました。

そんな歴史的背景を知っていれば、サッカークラブが本来の役目を果たしているか?社会的装置として、地域の公共財として、人々を「つなげる」ことができているかについて思いをいたすことができます。しかしながらサッカーという競技が世界的な人気を獲得して巨大化したことが、本質的な役割をくもらせることに。ここが葛藤のポイントであり、だからこそここを突くことが差別化要因になるとも考えました。誰もそんなめんどくさいこと考えないですし、サッカーそのものをPRすることが間違いというわけでもないからです。わざわざ今までのやり方を変えてまで「コミュニティ」をことさらに訴える必要性を感じないでしょう。

ですが「プロセスエコノミー」では、場づくり、コミュニティづくりを訴求するだけでは足りないことを教えてくれます。分断する社会をひとつにするためには「プロセス」を共有する必要がある。ハイネケンのCMにあるように、社会的動物と言われる私たち人間は、主義主張を超えてお互いに助け合い、励まし合い、認め合うことに本能的に従うDNAが組み込まれていると感じました。言うまでもなく「助け合い、励まし合い、認め合う」ことはプロセスの共有に他なりません。

商品の開発や企業秘密の漏洩につながる。プロセスエコノミーが受け入れられない理由はたくさんあります。日本の学校教育では、「正解」を出すことを私たちに求めてきました。アウトプットこそが大事。プロセスでいかにがんばろうとも、アウトプットが間違っていれば進級できませんし、進学も就職もできません。ですが、コロナを経験した私たちにとって、昨日までの正解が今日は不正解になることが当たり前になりました。アウトプットの陳腐化が早いのであれば、60点くらいのアウトプットをプロセスで微調整。プロセスでファンを増やし、マネタイズも可能です。

オリンピックが終わり、Jリーグが再開。そしてヨーロッパでもサッカーのシーズン到来です。ファンがスタジアムに戻りつつある欧州と比較すると日本は立ち遅れた感が否めませんが、そういう今だからこそ「プロセスを売る」施策を考えるチャンスだと思います。自戒を込めて。私もがんばります。

久保大輔




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