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サッカークラブも「意味」を追及するとき

昨日、コンサル契約を結ぶサッカークラブのキービジュアル撮影に挑みました。まずはコンセプトづくり。メンバーと議論して、メンバー皆が意見を出し合ってまとめたコンセプトです。「こういう世界が実現したらすばらしい」という世界を構想し、それをデザイン化、映像化して社内外のステークホルダーに実現すべきビジョンとして提示します。

メンバーはいい意味で余白だらけ。というかほぼ真っ白と言っていい。人手不足で十分な指導を受ける時間がなく、これまで自ら手探りで仕事をしていました。経験はゼロではありませんが、「どんな世界がやってきたら良いか」という自分なりのビジョンを持って仕事に取り組んでこなかったので、自分の行動や結果を検証するモノサシがありませんでした。

クラブが生み出している価値とはそのそも何だろう?「この正解は果たして何に対する正解か?」という問題も提起できていません。昭和、もしくは平成と比較してもその「価値の構造」が変わってきている世の中で、価値の認識がなかなか変わらないというジレンマ。多くの日本企業や日本のスポーツクラブが抱える問題だと思っています。すでに価値の無くなっているものをかつてと同じように追及していれば利益が出なくなるのはあたりまえのこと。「成功体験」がもたらす誤謬でしょうか。1993年、Jリーグ発足当時の栄華はなかなか忘れ難いものでもあります。

役に立つことと意味があることと。「役に立つ」は論理とサイエンスとスキルです。つまり正解があるからわかりやすいもの。「意味がある」は知識を積み重ねて作り上げたセンス、アート、直観です。前者はアスリート的であり、パフォーマンスを図る軸がシンプルで計量が可能。野球で言えばホームランの数、打率、打点とかでしょうか。一方で、そこそこ打てて守りがエグい。長打は期待できないけど内野安打と盗塁が武器。球は遅いけどコントロールと緩急で…モノサシが複雑になればなるほど、組み合わせ次第で無数に、人それぞれの価値の出し方が生まれます。

日本の車は移動手段(役に立つ)で、欧州の自動車産業は貴族文化の延長線上。フェラーリのデザイナーは「ガロッツェリア」と呼ばれていますが、「高級馬車、馬車工房」と和訳されます。アルファロメオのエンブレムには大量の情報(物語)が刻印されています。スペルミスだってそのまま名前に使うこともあったり、欧州の茶目っけは魅力的。そこに何かしらの意味、世界観が織り込まれています。

そういえば東京という都市そのものが「役に立つ」を目指した結果。電線、首都高は欧州の美意識に合いません。浮世絵に描かれた日本橋が首都高によってその美観を完全に失っているのは、世界観を意識しない日本を象徴しているともいえます。

話を戻すと、最終的に「なぜならクラブがそう思うから」という、説明責任ゼロの主張、つまり「俺がかっこいいと思うからこれでいいんだ」という自分ゴト化ができるかどうか。江戸時代の人にずらっと時計を並べてプレゼンするときに「何を語るか」です。生き残りをかけた事業戦略として、クリエイティブにまつわる自分の判断やスキルに自信を持つべき。美の競争優位に立つべく、後天的でもいいから努力してイケメンになるべきだと思います。「役に立つ」世界から「意味」の世界へとスイッチを切り替えてプランド化するサッカークラブを目指します。

資金力と規模の経済で圧倒的な集客を誇る「チェーン店の居酒屋」か。それとも淘汰されまいと生存戦略を緻密に設計し必死に戦う「街角の居酒屋」か、という話をメンバーにしています。安くてそこそこ食べれてという「役に立つ」を志向するか、それともカウンター越しにマスターとプライベートな話をしてゆったりとした時間を愛でる「味」をお店にまとわせるか。計量可能ではないセンスの領域に、自信を持って挑んでいこうと思います。

久保大輔




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