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ビジネスは「ワントップツーシャドウ」でうまくいく


「美学」

という言葉について考えていました。
Goo辞書には

美の本質、美的価値、美意識、美的現象などについて考察する学問。美しさに関する独特の考え方や趣味。

と解説されています。

サッカーの世界では、
美しく勝利せよ」という言葉があり、

フットボールは常に魅力的かつ攻撃的であり、
スペクタクルでなければならない

といって革命を起こしたのは
オランダのクライフ氏。

かつての天才プレーヤーであり、

監督として、その「美学」を貫き、
強豪バルセロナの礎を築いたレジェンドです。

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一方、

選手にGPSをつけて
パフォーマンスを計測したり、

トラッキングシステムを
スタジアムに設置して

「誰がどこにいたのか」

という座標データを取得し、
それを基に

走行距離、スプリント回数、
トップスピードなどを算出したり、

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サイエンスが今
サッカー界を席巻しているようですが、

今日はこの「サイエンス」に
いちゃもんをつけてみようかと。

(※あいかわらず性格悪い)


正解のコモディティ化

という言葉を
ご存知でしょうか。

テクノロジーの進化は、

誰もが簡単に何度でも
「正解」にたどりつくことを可能
にし、

結果、課題(勝つこと)
に対するとり組みがみんな一緒になって

差別化ができなくなる
という問題。

勝つための方程式が
他のチームと似たり寄ったりで、

シロクロつけられない状態です。


ビジネスの世界でも、

サイエンス重視、
ロジックに軸足を置いた経営では、

お客さんのニーズを満たす
「正解」を反映した商品しかつくれません。

同じような商品をあつかう
ライバル企業との明確な「差」がつけられず、

最終的には

価格競争、利益の圧縮
という体力勝負に陥ってしまう。


■だからこそ

美学」が大事、
と言いたかったわけですが、

ではなぜ「美学」なのでしょうか?

その前に、ちょっとだけ、
美学が不利になる可能性を指摘しておきます。

それは「説明できるかどうか

ビジネスやサッカーにおいても同様、
「この場面でどうすればいいか」

という問いを前にすると、
サイエンスは圧倒的有利です。

なぜなら
科学的に説明可能だから。

「こういう理屈で、こうするほうが合理的」

といわれれば
反論のしようがありません。

一方で、

「ピンとくる」
「自分がいいと思うかどうか」

が美学の本質。

言語化しにくくて、
説得力に欠けますが、

リーダーの、経営やサッカーに対する
姿勢、向き合い方、感性

が反映された意思決定は、
ユニークであり、感動を呼ぶもの。

乾いた計算では補いきれない、

人をワクワクさせ、
創造性をかき立てるものであり、

イノベーションをもたらす可能性
を感じさせてくれます。


■ちなみに

誤解のないよう捕捉すると、

サイエンスを真っ向から否定
したいわけではありません。

サイエンスやテクノロジー
がもたらす恩恵を排除せず、

受け入れつつも「相対比」すること。

自分なりの美学をもって、
美学に照らして、

サイエンスに盲目的に従うのではなく、
批判的に見る目を持つべき。

「合理的な正解」に傾斜しすぎると、

リーダーの美学がまったく使われず、
意思決定の品質を毀損する恐れがあります。

美学とサイエンスは
敵対するものではなく、

相互に影響しあって
パフォーマンスをあげる高度な営み。

サイエンス重視ではなく、
サイエンスに疑いの目をもつ美学を起点に、

経営やチーム作りが行われるべき
だと考えます。


サイエンスは言葉によって説明できるがゆえ、
あっさりパクられるとも言えます。

でも美学は
コピーできません。

リーダーの感性や経験、
深い思考から沸き上がる美意識は

ちょっとやそっとで
模倣できるものではありません。

クライフしかり、グアルディオラも、
ファーガソンやヴェンゲルも。

そしてスティーブジョブズや
ベゾスしかり。

確固たる、揺るぎない
美学や哲学が、

彼らと、彼らが率いる組織を
唯一無二の存在にし、

長期的な繁栄をもたらた!

僕はそう信じたい
と思っています。


■日本にはかつて

千利休という
稀代のプロデューサーがいました。

「侘び茶」

というコンセプトを
職人につたえ、

建築、茶道具、書画や植物など、

コンセプトを実現するための
コンテンツをディレクションしました。

自ら手を加えるのではなく、
(自らが職人になるのではなく)

頭と口で(思考と指示で)
コンセプトを具現化。


そして彼を支えたのが
信長や秀吉という権力でした。

彼らがスポンサーとなり、
外野の誹謗中傷を遮断して、

腰を据えて
コンセプトを追求した利休。

現代に置き換えると、

業績悪化のとある会社が
外部からアートディレクターを招聘。

リブランディングを推奨する
社長のサポートの下、

社内の抵抗勢力のいっさいを排除して、
改革に取り組むさまに似ています。

かつての成功体験
という「説明できる合理性」は、

天才のアイデアを駆逐しかねません。

業績悪化は
前例主義の末路。

変化をおそれる人の声を
いかに圧殺できるかが、

窮地に陥った企業が
起死回生のV字回復を成し遂げる

大事なポイントになります。


美学を頂点に、

サイエンスと職人を
両脇にすえて経営すること。

サイエンスという合理性と、
高い技術を持つ職人をリスペクトしつつ、

最終的な責任は
社長の美学にゆだねる。

美学は、

単なる数値目標(売上100億とか)
ではなく、

社内そして顧客をワクワクさせ、
関わりたいと思うようなビジョン。

分析やサイエンスによって、
顧客の声をベースに導き出す「かっこよさ」ではなく、

「オレがカッコいいと思うもの」

を提案していく態度。

顧客にすべてをおもねる、
いわば無責任な目線ではなく、

ちょっぴり生意気な上から目線。

責任は俺がとるという自信と潔さを、
サイエンスと職人が支える構図です。


サッカーで言うと、

監督の美学・哲学を、
テクノロジーと選手が支えるイメージ。

よりサッカー的に表現するならば、

「ワントップツーシャドウ」

大きくてどっしりしたワントップを、
二人のシャドウプレーヤーが動き回って、

たくさんのスペースをつくり
ゴールに迫るシステムです。

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最後に
将棋の羽生善治さんの言葉を。

「美しい手」を目指すと、「正しい手」になる

将棋はいうまでもなく
「論理」がすべてという営みですが、

その世界の最高位が、

判断の基準を「美」に置いているのは
とても興味深いこと。

深い思考と場数の多さ
によって培われた高度な論理とともに、

最後の最後は

「フワッ」

とした感性をたよりに。

美しいと感じられるとき、
それはなんらかの目的に適っている

僕のような凡人には
とても理解できない世界ですが、

羽生さんという権威
が語る言葉は説得力があります。


さて長くなり過ぎました。

タイトルにある
「ワントップツーシャドウ」理論

うまく説明できたでしょうか??


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました!

それではまた明日。
おつかれっした!




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