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キャリアの悩みの根源は一つしかない/「過去の経験の奴隷」にならないために

新規事業創出と人材育成を支援する会社、フィラメントの代表をしている角と申します。
僕は自分の会社を立ち上げる前は、20年もの長きにわたり、大阪市役所の職員をやっていました。
つまり…

地方公務員(1番堅実な仕事)  →  起業(1番不確実な仕事)

…という極端なキャリアを歩んでいるわけです。

そのうえ、自分の会社フィラメントの経営もそこそこ順調、情報発信のためにQUMZINEというメディアもつくり、業界的にはちょっとだけ目立つ存在かもしれません(目立ってないかもしれません)。

そんなせいもあってか、最近は本業のほかに、キャリアで悩んでいる方からの相談も増えてきました。

キャリアについてはもちろん僕もたくさん悩みましたし、2021年は意識して「おとなの進路相談」のために時間を使うようにしたんです。
その結果、光栄にも人事のトッププロと言われる方々ともお仕事をご一緒させていただく機会がいくつかできました。この記事ではそうした経験から得た「キャリアの悩みの本質ってここにあるんじゃないか」ってことについて書いてみたいと思います。
キャリアで悩んでいる方々の気づきの機会に(ちょびっとだけでも)なれば、とってもうれしいです。

今年やったキャリア相談①ファンリーシュさんとのPX(パーソナルトランスフォーメーション)プログラム

人事のお仕事の業界で有名なファンリーシュという会社があります。
代表を務めておられるのはいくつもの外資系企業の人事部門で要職を歴任された志水静香さん。志水さんはnoteも書かれていて、彼女が書かれているnoteはご自身の経験に基づく人間のすばらしさや尊さが生き生きと描写され、そうした人間の良い面を社会に解き放っていくべき人事制度の在り方にも多いなるヒントが灯されています(未読の方是非読んでください)。

そんな志水さんがファンリーシュとして取り組まれる仕事に今回、少し協力させてもらうことになりました。

その仕事の内容は、一つの会社しか知らずに生きてきたミドル以上の会社員の方々に、新しいチャレンジをするきっかけをつくるというもの。なづけてPX=パーソナル・トランスフォーメーションプログラム。いくつもの講義やワークショップを組み合わせて受講してもらい、同時にカウンセリングやコーチングも行うことで個人の心理や行動の変化を促すというものです(このPXプログラムはすごく面白いので、また別途記事を書こうと思います。)
PXプログラムにおいて、僕たちフィラメントは、自分たちの定番コンテンツである「面白がり力強化プログラム」や、このために開発した「オポチュニティ・ファインダー」というワークショップを提供することで協力しました。ここでは主に40~50代のミドルエイジの悩みやキャリア感に触れることができました。
僕も同じような経験をしてきたので「そうだよね…」って思うことが多かったです。

今年やったキャリア相談②ミライフキャリアデザインのメンター

人事の世界で独自のポジションを確立している素敵で有名な会社ミライフ。ミライフでは、キャリアで悩んでいる人向けに自己発見と行動を促す場を提供しています。それがミライフキャリアデザイン(通称MCD)です。このMCDでは1on1やグループでのメンタリング、あとはプチ講演的なものもやらせていただきました。
こちらは、転職の機会を探している方や、起業を考えている方など、アクティブな属性の方を中心とする20~40代の方々に継続的に寄り添い、そのお悩みに深く立ち入ってお聞きしました。こちらでは「若いのに立派ですねえ」という方にたくさんお会いして感心することが多かったです。


今年やったキャリア相談③企業内でのキャリア支援講演

今年はいくつかの企業の人事部門の方からのご依頼で、キャリア形成に関する話をしてほしいという講演の機会もいただきました。
公表できない場合も多いのですが、カルビー様、Zホールディングス様の女性リーダークラスでの講演は「公表してもいいですよ」とおっしゃっていただいています。
これらの各講演では、70分程度講演したうえで、参加者の皆さんからの質疑の時間としていたのですが、大幅に時間をオーバーするくらいたくさんの質問を頂戴したりもしました(そういうのめっちゃうれしい)。
カルビー様の講演では質疑20分程度の予定が1時間以上も質問が続き、とてもうれしかったのを覚えています。


キャリアで悩みが発生する理由の第一位は?

こうした活動の結果、若い方もミドルの方も、あるいはアクティブな方も慎重な方も、全方向からキャリアのお悩みを聞いたのですが、その原因には一つの共通点があることに気づきました。

キャリアの悩みの根源ーそれは「自分を知らないこと」そして、「自分を知らないことに気づいていないこと」

自分のことを知っているとは到底言えないにもかかわらず、自分を知った気になって人生の選択をしている。
その結果、違和感がずっと消えず、「思った人生と違う」という意識乖離が大きくなっていき、それが悩みの源泉となっているのではないか、そう思うのです。(…ってえらそうに言ってそんなの、人事の業界では当たり前のことやでってことだったらごめんなさい!!)

多くの人は自分を知る努力をしていない

多くの人は「自分は自由である」と思っている。
いや、より正確に言うなら「自分が自由でないことを認識できていない」んじゃないでしょうか。
でも、実際には誰もが本質的には自由じゃないし、「自分の過去の経験の奴隷」なんだと思います。

人間って自我に目覚めていない赤ちゃんの頃は、あたりまえだけど自分で自分のお世話をすることはできないじゃないですか。
そして、赤ちゃんから成長した後も自分がいる環境の中で最も選択しやすい選択をしていくことが多いはずです。
自分の生まれた場所から通える学校に通うし、近くに住んでいる子供たちと遊ぶし、もちろん親だって選べない(親ガチャって言葉も今年流行りましたね)。
そんな中で少しずつ、自分で人生の選択をすることができるようになる/しなくてはならなくなるわけですが、その時には自分がこれまで歩んできたレールとの連続性を念頭に負担の少ない選択をしているはずです。
つまり、過去の自分の経験の蓄積をベースとして、そこから選びやすい選択をする。

人生の選択の幅を広げるためには、経験を積み重ねることが必要であり、それが「学び」と呼ばれるわけです。

ただ、何を学ぶべきか?を考えたとき、ちょっと思考が停止しがちです。
学びを選択する余地なんて小中高とほとんどないままに大きくなるんですよね。文系か理系かを選択するくらいじゃないでしょうか。
一方で、社会に出たら、突然、状況が激変します。
社会に出たとたんに、何を学ぶかを選択する機会もその選択肢の数も無限と言っていいほどに増えていくからです。

学びとは自分を知ること

僕は、自分を知り、自分の世界を広げるために役立つことはすべて学びだと思っています。
例えば、皆さんは自分の「衣服の好み」ってちゃんと言えますか?
モード系が好きなのか、カジュアルが好きなのか、はたまたミニマルなのか。また、好きな系統だけでなくその理由を聞かれたときにこたえられるでしょうか?
この問いに真剣にこたえようとすると、ファッションに関する情報を片っ端から見まくって、自分自身の好みと突き合わせて、好きか嫌いか、あるいはどの程度好きか嫌いか、そしてその理由は何故なのかを一つ一つ紐解いていくという作業が必要になる。その作業のうえではじめて「今あるすべてのファッションの潮流・傾向を見たうえで言うけど、自分はこういう感じ方をするからこのデザイナーが好きなんです」と自信を持って言えるようになるわけです。

同様のことをインテリアにもやってみたり、音楽にもやってみたりするといい。
そうすると自分理解の解像度がどんどん高まっていきます。

でも、ほとんどの人はそういうことをしていないと思うんですよね。幼いころから身近にあったものを身につける、友達が好きだったもの、恋人が好きだったものを身にまとう。そこには「外部の情報と自分の内面を突き詰めることによる吟味」というプロセスが発生していない

あ、誤解しないでください。別に幼いころから身近だったものを身につけたり、誰かの感化を受けて何かを好きになったりすることは自然なことだし全然素晴らしいこと、良いことだと思います。ただすべてがそれだと自分というものが何なのか?ということに目を向ける機会が少なくなっちゃうかもよということなんです。そして、そうした機会を経ていないことがキャリアの悩みに繋がってる場合が多そうだと気づきました。

過去の経験というレールに乗っているとそのレールの進行方向に位置する選択肢が視界の中で大きく表示されるようになり、よほど意識していなければ、その大写しになった選択肢だけを感覚的に択び続けていくことになります。そのとき、無数にあるはずのほかの選択肢を見ることすら頭に浮かばない。
人間は過去の経験の奴隷である」とはそういう意味です。

「過去の経験の奴隷」にならないよう「自覚的に生きる」

では、過去の経験の奴隷にならないためにどうすればいいか、それは自覚的に生きるってことしかないと思います。

自覚、つまり「自らを覚(さと)る」ということ。
自分がどういう人間なのかをいつも意識して知ろうとする努力をし続けてそれを自動化し「自ずと覚る」ように生きることです。
自分の内面を知ろうとするにはどうすればいいか。そこにはインプットを増やすことが重要になってきます。
いろんなことや人に興味をもって、自分が知らなかったことを知り、それを自分の内面と照らし合わせて、自分がどう思うか、どう感じるか、その理由は何かと、自覚=自らを覚るべく問いを重ねる。

今まで知らないことを知ろうと意識すること、知ったうえで「自分はこう思う」という考えを持つこと、その考えを言語化し説明できるようにすること、そうして自分なりの辞書を豊かにし続け、自分が語れるものを増やし続けていくこと。それが自覚するということだと思います。

自分がどういう人間で、何をすることで喜び、何をすることで悲しみ、これからの人生で何を求め、どういうことで社会に貢献することができるのか。「おとなの進路の悩み」って抽象化すればそういうことだと思うのですが、その一番中心には「自分とは?」という問いに対する答えが必要なんです。

そして、その答えが揺らいでいるときに「悩み」が生まれるんだと思います。

悩みとは「答えがない問いに答えを出そうとする努力」

僕は「悩む」という行為は全然悪くないこと、というかむしろ良いことだし、ずっと人生の友にすべきだと思ってます。

「悩む」とは答えがない問いに答えを出そうとする努力です。
そして答えがない問いに向き合い続けるのが人生なんだと思います。

キャリアに対する悩みは、一旦解消することがあっても人生が進んでいけばまた悩む瞬間がおとずれます。でもそれがいいんですよね。たくさん悩めば悩むほど、その経験が自覚-自らへの気づき-を深めてくれます

僕が多くの方の悩みにわずかながら貢献できているとしたら、人一倍悩んできたおかげだと思います。

僕が人生を振り返って、自覚を深めるために役立ったものはなにか。そう問われたときに頭に浮かぶのが「面白がり力」です。
自覚的に生きるということを常に自分に何かを問い続けながら生きることだと考えると、めっちゃしんどいじゃないですか。義務的にやらなくちゃいけないってなると途端に大変な気がしてくる。
でもこの「自覚的に生きる」というのは、「自分の好きなことを見つけ続ける人生」だともいえるんです。

義務としてやるのではなく、目の前の何かを面白がって遊んでみる、その繰り返しなんだと捉えたら逆にとっても楽しくなると思います。
そして出会う人や出会う情報の数を増やし、それらの良いところを探し、出会いを自分の懐にしまうことで自分の「引出し」を増やしていく、自分の世界を豊かにしていく。そのためにこの面白がり力という僕の心理特性はとても役立ってきたなと実感しています。

新渡戸稲造はこういう言葉を残しています。
「人生の目的は人格の完成である」

人生とは自分の人格を完成させていく旅路であり、そのためには自分を知ることが大前提です。そしてその旅路は楽しみをもって歩んでいきたい。
そのために日々を「面白がる」ことはとても重要なエッセンスだと思います。

面白がり力を高めていくためのメソッドは体系化して僕の会社フィラメントのワークショップとしても提供しています。具体的なやり方についてもこちらの記事に記していますので、気になる方はぜひやってみてください。

また、僕の過去のnoteでも「面白がり力」については何回か書いてきましたし、僕の会社フィラメントのサイトでも少し書いていますので、よかったらぜひ読んでみてもらえるとうれしいです。

悩み多き人生なのはどんな人でも結局のところ同じだと思います。
でも多くの悩みを下敷きにして人生は豊かになっていくともいえる。
最後まで読んでくださった皆さんの人生に大きな実りがおとずれますように!!

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最後までお読みいただきありがとうございます。
僕が経営する会社、フィラメントのサイトもちょっと面白いと思うので、よかったらのぞいてみてください。

また、フィラメントでは「世の中をよりよくしていきたい人たちが集う場」をコンセプトにQUMZINEというメディアを運営しています。

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