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キラカード

僕の原点

4/29(水)の祝日。なんの祝日とかは知らない。毎日が休みのよう。仕事はしているが。要は、同じ部屋で仕事と休みが繰り返される。これが日常になった。そうなるとオンとオフを新しく作らなければならず、オフにするときは近所をさんぽをすることにした。スマホを持たない。一番大事だと思う。一人になる時間がない。スマホ一つで世界とつながれる。つながり続ける。対象がいる。というのは、体は接触しておらずとも一人ではない。一人の世界に入ることはない。ひとりの世界を求める。もっと一人の時間を取ろうと思う。自分自身の考えを。

ということでカギと小銭入れだけ持って散歩に出た。思考すべきことが山ほどあった。一つ一つに向き合う時間を作った。雑念が多いので、セブンでチューハイを買い、フラフラと。フラつきながら近所のTSUTAYAに入るとミニ四駆、ゲームコーナーと化していた。(高校時代は一月に何十枚とCDを借りていたあのTSUTAYA…)

ゲームコーナーにはもちろん今話題のFFとか置かれていたけど、奥を進むと懐かしカードゲームの数々がずらり。全部キラカード。熱狂してた時代があった。ポケモンカード派だったけど、遊戯王カードもマジックザギャザリングも一通り見てきたから、20年経っても残っているこれらのカードゲームには感心するばかり。

1枚1枚見ると高くて7、8000円の価格がついている。小学生の頃1枚のカードにこんな値段がついているのが信じられなかったしもちろん手が出るはずがない。憧れの1枚である。


小学生もキラキラに夢中になる理由

話が飛んで最近よく考えていたのが、キラキラしたものはいかに人を魅了するのか。また、キラキラしないものはキラキラするものに比べて魅了しないのかということだ。
何如せん、仕事柄アウトプットがキラキラしたものに偏りがちなので、それが善か否か、いや善か否でなくともキラキラ以外に魅力を伝える方法はないのかと日々模索している。
ただ残念ながら(残念なのか…?)、キラキラしたものという部分にフォーカスを当てた時にお客様の第一声は「キラキラしててすてき」と表面的な言葉だ。

表面的とは言ったものの、
これは、人の潜在的な欲求なのか、コンセプトの方向に合致しているからなのか、少なくともネガティブな反応はない。(※自分の会社に仕事を依頼してきた時点でキラキライメージは折り込み済みというのが1番正しい説かもしれない。知らんけど)
ただエンドユーザーに対しては、例えば潜在的な欲求にヒットしたのであれば、興味深い。
女性をターゲットにという仕事が多いので、キラキラ=女性向けという図式は男性に比べて原体験が多かっただろうというイメージはあるが(ここは深く掘らない)、人の潜在欲求が理由であれば、自分にもその原体験があったということ…
そこでキラカードを見てハッとして、小学生の頃からキラキラへの憧れがあったことに気づいた。
しかも視覚と同時にいかに価値があるのか値段までつけられているじゃないか。
キラキラって主に女性を魅了するものという漠然とした認識があったけど小学生男子にもすでに刷り込まれていた。
他に思い返すと、小学生にとっての光の価値って、ウルトラマンのスペシウム光線とかカメハメ波とか敵を倒す必殺技も。光=強いものなんだと。
それを考えるとキラキラ=強い、希少価値の高いものとしての認知…
それが転じてキラキラへの漠然とした価値といったところか。

キラキラに魅了された人類の歴史

人間の歴史を遡ってもキラキラは人を魅了してきた。
宝石や金というのは古来から価値そのものだったし、最初から刷り込まれているもの。
ではなぜ、宝石や金は古来から価値があったのか。
歴史を辿ると装身具というところまで遡った。
装身具とは、元々宗教的な意味合いが強く、神々を祀る儀式の必要要素の一つであった。
宝石についての記事を貪り引用すると、


ジュエリーがその一部である「装身具」は、世界中の民族が太古から使ってきたものです。歴史上、最も古い装身具は、なんと刺青です。これは「身体変工」といって、美しく身を飾るのに適したものを持たなかった民族が、刺青をしたり歯を削ったりしたのが始まりです。
身体変工の次の段階になると、身の回りにある自然の美しいもの、つまり鳥の羽根とか野花とか、動物の牙や角などを使って自分を飾り立てます。歴史が進むとさらに、人々はそうした自然の美しいものを加工して使うように。ここに初めて、鉱物の中でもとりわけ美しい、宝石も登場します。
おそらく平均寿命が20歳にも満たないと思われる古代の人々が、どうしてこれほどまで必死にジュエリーで己を飾ったのか、それには諸説あります。
(1)装身具は人々が闇のなかに潜む悪しきものから自分を守るための護符だったという説。
(2)人間とは本来的に遊びたいもので、装身具とは遊びの一つなのだという説。
(3)人間は他人と違っていたいと願うもの、そのために身を飾ったのだという説。
(4)は(3)とは逆に、人間は一人でいるのが不安で何かに属していたいから揃いの装身具をまとったのだ、という説。
https://www.kateigaho.com/yosoou/2966/

とまぁ、太字の個所である身の回りにある自然の美しいものが鉱物にまで発展し身に着けるようになった。

「自然の美しいもの」

ここまでくれば、キラキラに魅了されるというのは疑いようのない自然の法則に沿った現象なのかもしれない。
太陽の光、満天の星空、美しい花、きれいな水、輝く鉱物と羅列することができる。キラキラに魅了されるのは自然の定理なのかな。


キラカードは付加価値としての体験

小学生の話に戻し、例えばポケモンカード全てがキラカードだったとする。それが原体験とするのであればキラキラに価値を感じていたであろうか。

前項で書いたキラキラは自然の法則に沿ったもので自然の美しさは人を魅了するというのであれば、キラカード体験がなくとも魅了されていたんだろうな。

キラカード体験は要するに、元来の価値ではなくて、歴史の中で作られた付加価値なのだろう。
祀りのための装飾品から王様の権威の象徴となり、お金持ちの象徴になり、「ダイヤモンドは永遠の輝き」など大切なシーンで使われるから高価で希少性があり、価値があるとされている。(「ダイヤモンドは永遠の輝き」などもはや広告)キラカードはこの延長線だなと。

自然の定理

自然の定理だから。
と言ってはなんかもう創造する気が失せる気もするが、複雑化する今こそ純粋に人の心に響くものを作りたいと思う。
自然の定理という部分をうまーーく今後活かしていきたいと思う。

#価値 #仕事 #宝石

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