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自立という状態と依存という手段の関係性

例えば,このような場面に遭遇したことはあるだろうか?

①絶対に遅れてはいけない用事がありその行く先が,土地勘が利かない行ったこともない場所であったとしたら,どうするか.

②異性とデートに行くことになった時,おおよそのプランが決まったが時間管理に不安がある,どうするか.


僕であったら,

①遅れそうになる場合の事態を予想しておく.それぞれの場合を鑑みて,それを避けるための手段を事前に挙げておく.電車が遅延した場合,車移動をしていて道が渋滞する場合,自転車のチェーンが急に動かなくなった場合,などなど.
予防策としても,バッファを1時間ほど設けておくということだって考えることができる.

②デートの目的地がお店の場合,営業自体がなされているか訪れる時間帯は適切か,仮に行けなくなるとしたら代替可能な場所はあるか,付近にどのような場所があるのか,移動にはどれくらいの時間がかかるのか,などリサーチをかけすぐに対応できるようにしておく.


ケースとニュアンスがかなり異なり須らく一般化はできない(気がする)が,
よりよく自分の人生を生きる,自己実現を果たし続けるということを目的とした場合,そのための手段の一つとして挙がること.

それは,「依存先としての選択肢をできる限り多くストックしておく」ことだと僕は考える.


何故か.

依存の対義語は「自立」であるが,
以下の参考記事は「自立とは依存先/居場所を増やす(分散させる)こと」としている.


一見矛盾しているようにみえるかもしれない.
だが,深い・浅いはあるかもしれないが,居場所がたくさんある人や多くの知り合いがいる人は,心身ともに健全に暮らしている,というイメージは感覚的に分かる気がする.

きっとそれは選択肢が多くある状態は,一つしか選択肢がない状態より,可能性が拓けているからとも言えるのだろうか.

依存しうる手段が非常に限定的な場合,それは健全な自立状態でない,という表現もまた成り立つのかもしれない.

知識,知恵,スキル,財力,人脈,道具,権利,権力,居場所 etc…
多くの選択肢に僕たちは囲まれているが,それらは有用であることを以ってして初めて自己の自立に近づけ,またそれらが多ければ多いほど自己の自立さがより堅強になっていくと言えるのであろう.



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世界が豊かになるように,まずは自分がささやかな豊かさを味わわせてただきたく。