君は間違っていない(マイノリティーのつぶやき)
東京都知事選
7月7日七夕の日。東京都知事選の投票日。東京都と言えば日本の首都でこれからの日本の方向性をも決める大事な選挙だ。と思ってたのは地方住みの妄想なのか?いや投票率も上がってると聞くし景気や社会情勢の不安から政治には無関心ではいられなくなってきたと考えたい。
僕はどうせマイノリティー
そしてその1ヶ月前には沖縄県議選があったわけだけれども選挙結果は当たり前だが数がものを言う。そして自分が選んだ人が当選しないことの方が多く自分がマイノリティな思想の持ち主だと思い知らされる。当たり前だが自分ではこう言う理由でこの人を選んだと言う考えがあるのでみんなは違うのねと少しショックな部分もあり落ち込んでしまう。心の中ではこの人を選んだらこんなんだけどいいの?と呟いているのは本気の内緒。あまり他人を否定する様な事は自分の首をも締める事になると思うので極力発信しない様にしている。まして思想や考え方なんて人に強要するものでもないし別の考えの人を変えるまでの強い意志もないのでこれでいいのだと自分に言い聞かせる。
ベクトルとは方向だけではない
選挙と言う主義主張がはっきりと現れたものだからみんなが向いている方向が違うと考えていた。しかしたとえば平和とか幸せとかはたくさんの人が望んでいるとは思うがそれを実現させるための方法が違うのではないかと思うようになった。つまり向いている方向はほぼ同じだけれど方法が違ったり強さや大きさが違う。
認め合いたい
同じ方向を向いているのならそれぞれのいいとろこを認め合い話し合って力を合わせられたらいいと思うのだがそうは問屋がおろさない(笑)当たり前だ同じ方向を向いているだけでそこには激しい渋滞が起こっている。これが票割れや意見相違を起こしてるんだと思う。そう考えると相手が自分と意見が違うからと言って残念がることはない。どうやって意見の相違がある相手を認め合えるかが鍵になってくるじゃないのかなー?とぼんやりと考える様にする。
マイノリティ≠マニアック
話は飛ぶが好きなミュージシャンや音楽のジャンルの話でもそう別にわざと避けているわけではないが昔からいわゆる流行歌になるようなヒットソングはあまり好きにはなれず自分の好きで選ぶといわゆるマイノリティが好みそうなミュージシャンにたどり着く。これを人はマニアックと呼ぶらしいがマニアックとはマイノリティと同意ではなく熱狂家の意味らしい。“好きこそ物の上手なれ“もっと政治にも興味を持ってマニアックになってもいいんじゃないかと思う。
愛にできることはまだあるかい?
以前この記事でも書いたが“人は誰でも愛されたいと思っている“という極論というか一見暴論の様に見えるがとても大事なことで物事の見る目をクリアにしていく上で“愛“を抜きにしては語れないんじゃないのかなーとまたしてもぼんやりと考えるのである。