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「空気」と「世間」

野本響子さんのnote「なぜ日本では空気が重要なのか」を読んで、改めて「空気」や「世間」について考えを整理したいと思い、noteを書いてみました。

そもそも空気って何なの?

作家・演出家の鴻上尚史さんの「『空気』と『世間』」(講談社現代新書)によると「空気を読む」ことを以下のように説明しています。

  藤原さんは「現代の日本人はテレビでキャラの演じ方を学習し、日常生活では場面に応じて、キャラを選んで演じている」と話す。つまり「空気を読む」とは“日常というテレビ番組”に出演するようなものだという。

つまり、場面に応じて求められる役割を演じる。それが「空気を読む」ということです。じゃあ「空気」ってなんなのか。鴻上さんは「空気」とは流動化した「世間」と言っています。

 僕は、「空気」とは「世間」が流動化したものと考えていると書きました。「世間」とは、あの「世間体が悪い」とか「世間を騒がせた」とかの「世間です。
 その「世間」がカジュアル化し、簡単に出現するようになったのが、「空気」だと思っているのです。  

じゃあ「世間」って?

今回は世間を騒がせてしまい、大変申し訳ありませんでした。」

芸能人の謝罪会見でよく耳にしますね。このセリフにある「世間」のことです。

鴻上さんは、自分に関係のある世界のことを「世間」だと呼んでいます。関係のない世界はなんて言うのか、それを「社会」だと言っています。しかし、ここではあえて「社会」ではなく「他人の世界」という言葉を使いたいと思います。

「世間」=自分に関係のある世界

具体的には、自分の所属するサークル、学校、職場などですね。

「他人の世界」=自分に関係のない世界

こちらは、たまたま電車やバスで乗り合わせた人たちのことです。

この2つを説明するには「電車内で化粧する女性」の例が分かりやすいと思います。

電車内で化粧をしているその女性本人にとっては、電車にたまたま乗り合わせた人は「他人の世界」の人です。自分に関係のない世界であり、化粧をする姿を見られることに何ら恥じらいを感じません。まるでそこに人がいないかのように。

しかし、たまたまその電車に職場の人(自分に関係のある人すなわち「世間」の人)が居合わせた場合、化粧をするのは躊躇するのではないかと思います。もし化粧をしている姿を見られたら恥ずかしいと感じるのではないでしょうか。

鴻上さんは言及していないですが、「世間」の人には恥ずかしさを感じやすく、「他人の世界」の人には感じにくいと言えるかもしれません。


「世間」の5つルール

「世間」には5つのルールがあります。

「贈与・互酬の関係」「長幼の序」「共通の時間意識」「差別的で排他的」「神秘性」の5つです。

1)贈与・互酬の関係

ちょっと難しそうな言葉ですが、簡単に言えば、「お互いさま、もちつもたれつ、もらったら必ず返す」関係ということです。

ギブアンドテイクgive & take とも言われますね。大事なのはもらったら必ず返すということです。若い人にはあまり馴染みがないと思いますが、お中元やお歳暮などですね。

2)長幼の序

「世間」の中では、年上か年下か、ということがものすごく大切なんだ、ということです。

職場や学校・部活の中で、生まれたのが1年早いというだけで、絶対的に先輩が偉く、後輩は従わないといけないということです。

3)共通の時間意識

「共通な時間意識」とは、つまり個人ではなく、集団として生きていく、ということです。
 個人が自分の時間を使うのではなく、社員や子供やメンバーとして、その「世間」全体の時間を生きていく。

「昨日はありがとうございました」「昨日はお疲れ様でした」って、職場の飲み会の次の日に言ったことないですか。もしくは聞いたことはないでしょうか。それは、「私たちは『共通の時間』をともに過ごしましたね」ということを確認しているのです。

私達は、「同じ時間を生きる」ことが大切だと考えるので、同じ時間を生きれば生きるほど、仲間だと思う傾向があります。

同じ世間に所属していれば同じ時間を生きている。逆に言えば、同じ時間を生きていなければ、同じ世間のメンバーとして認めてもらえないのです。

4)差別的で排他的


世間の4つ目のルールは、「仲間外れを作る」ということです。「世間」はひとつにまとまるために「仲間外れ」を作ります。

さきほどの3つ目のルールは、この4つ目のルールとも関わってきます。同じ時間を生きていない人は同じ「世間」の人ではないと、仲間外れにされてしまうのです。

会社やグループ、部活などで集団行動をする時、一人、「私帰ります」と言ってみんなと違う時間を過ごすと、「世間」から外されてしまうのです。

しかし、差別的で排他的であることは「世間」の内側にいると全く逆の対応になります。

「確かに差別的で排他的」など悪い印象ですが、それは逆に言えば、その「世間」のメンバーとなれば、特権的に守ってくれる、ということを表しています。

つまりは、ウチとソトに分けて、ウチに属する人を優遇し、ソトにいる人には冷遇するということです。身内に優しくするする一方で、関係のない人は目もくれない。

5)神秘性

「神秘性」は、例えば、田舎に行けば行くほど、つまりは伝統的な「世間」が協力になればなるほど、守らなければいけない手順、踏み込んではいけない場所、などが増えていく、というようなことです。


再び「空気」とは何か

これらのうちいくつかのルールが欠けた時、「世間」が流動化し、カジュアルに出現するのが「空気」である、というのが鴻上さんの考えです。

 「世間」においては5つのルールにあるように演じるべき役割が決まっています。

「もらったら必ず返す」

「年齢が高い人の言うことには従う」

「集団の一員として一緒に時間を過ごす」

「身内に優しくする」

「しきたり、伝統の通りにモノゴトを進める」

という感じです。

これらのうちいくつかのルールが欠けることで、固定されていた役割が流動化する。所属する集団の各人の役割が決まりきっておらず、演じるべき役割が分からない状態。それが「空気」であり、その状態の中で、演じるべき役割を探すことが「空気を読む」と言えるかもしれません。

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