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【パレスチナ雑考】人工国家・イスラエルの幼年期の終わり(中編)

こんにちは。
前編に続き、専門外ではありますがイスラエルの現状及び背後関係に関する雑考を進めていきます。
前編が未読の方は、こちらよりご覧ください。

イスラエルを生んだ2つのシオニズム

「シオニズム」の起源

イスラエルを語るにあたって必ず出てくる言葉でもある「シオニズム(Zionism)」にも触れておきます。このシオニズムという概念の誕生過程と根底にあるエッセンスこそが、パレスチナ問題の本質と言っても過言でもないと私は考えます。
そして、米国がこれほどまでにイスラエルに固執し、イスラエルの擁護を頑強にやめようとしない最大の理由も、このシオニズムにあるものと言っても間違いではないでしょう。

旧約聖書に登場する「シオン(Zion)の丘」に由来し、具体的な語源や場所は明確でないものの実質的にエルサレムそのものと同義と解釈されています。
一般的に、ローマ帝国時代に現在のパレスチナから欧州や中東など各地に離散(所謂「ディアスポラ」)させられたユダヤ人が再び祖先の地に帰り自分たちの国を築くことを指し示し、差別と迫害の歴史に翻弄されたユダヤ人がハッピーエンドを迎える物語のように認識されています。
その一方で、ハマスを含めたイスラム武装勢力やイランなどの反イスラエルの国々がイスラエルを非難するにあたって、二言目には「シオニズム」ないし「シオニスト」という言葉が飛び出してきます。

一般的な定義でいう「シオニズム」は、19世紀末にヨーロッパのユダヤ人を中心に勃興したムーブメントです。
同時代はユダヤ人に限らず様々な民族ナショナリズムが高揚し、それぞれの民族による国を作ろうという機運が高まっていました。長らく自分の国を持たず、非キリスト教徒がゆえに絶えず差別と迫害に晒され続けてきたユダヤ人も例外ではなかったのです。
他方でロシア(現在のウクライナ含む)では政治に対する不満のガス抜きを目的としたポグロム(ユダヤ人狩り)が頻発するようになり、これから逃れる形で米国やパレスチナへの移民が増加していました。

そして19世紀末にハンガリー出身のユダヤ人で資産家でもあったテオドール・ヘルツルが「ユダヤ人国家論(Judenstaat)」を著し、これがシオニズムの思想的柱となるとともに主要国への積極的・組織的なロビー活動が展開されるようになっていったのです。

その後、第一次世界大戦を経て、俗にいう英国の「三枚舌外交」がなされ今日に至る諸問題の火種が生まれたわけですが、詳細は割愛します。
ただ一つ明確なことは、イスラエルの建国及びその基本思想であるシオニズムの系譜は19世紀から連綿と続いていたということです。1930年代からドイツの政権を握ったナチスによるユダヤ人迫害から逃れて移住者が急増したことも、第二次世界大戦後にホロコーストの実態が明らかになるにつれユダヤ人への同情が世界中から集まったことも大きな要因でありますが、必ずしもそれだけが理由ではないのです。

キリスト教シオニズム

ここまで述べたのは、あくまでユダヤ人の視点に立ったシオニズムです。シオニズムにはもう一つ、キリスト教の立場からのものもあることに触れておかなければなりません。

キリスト教シオニズムはプロテスタントの一部で共有されている思想であり、ローマカトリック教会や東方正教はシオニズムの考えそのものを支持していません。
印刷技術の発明により、それまで教会で独占されていた聖書が市井の人々に広く読まれるようになったことが16世紀に始まった宗教改革のきっかけでした。その過程で、既存のカトリック教会の枠に捉われない聖書に対する研究や解釈も様々な宗派によって進められるようになったのですが、「ユダヤ人がイスラエルの地に戻り国を再建する。その国にイエス・キリストが再臨する」という解釈が一部で広まるようになります。その担い手は主にカルヴァン派の一部や英国のピューリタン(清教徒)で、のちに米国の福音派などに受け継がれます。
また、これらプロテスタントには改宗したユダヤ人も少なからず含まれており、彼らを通して旧約聖書の思想が伝えられたのかも知れません。

長らくエルサレムを含むパレスチナを支配していたのはオスマン帝国でしたが、19世紀に入り弱体化が顕著になると、彼らもユダヤ人国家建設=聖書の予言成就のために英国など列強諸国への接近を強めます。これを受け英国もエジプトの独立を支援するなど中東への関与を深めていくのでした。

そして19世紀末~20世紀初頭になると、前節のユダヤシオニズムと歩調を合わせ、パレスチナへの入植とユダヤ人国家建設をより活発に進めていき、現在に至るのです。

米国は成立の経緯からもプロテスタントの存在が言うまでもなく大きく、福音派もその主要な宗派の一つです。
もちろん同じ福音派と言っても温度差も様々ですが、前述のようなユダヤ人国家建設の予言は概ね信者の間で共有されています。それゆえ、信仰心の強い人ほど、神の予言を成就するためにもイスラエルという国を何が何でも守り抜かなければならないという考えが成り立つことになってしまうし、そのイスラエル国自体がたとえどんなにイエスの教えにもとる行為を行ったとしても、それを即座に否定することが出来ない矛盾に陥りかねないのです。

これは私が非キリスト教徒だから言えることでもありますが、キリスト教徒が元々キリスト教徒でないユダヤ人の移住や国家建設に自身の宗教の成就を見出すのも、何ともおかしな話です。ましてや、そのユダヤ人の移住のために既存のパレスチナ住民(イスラム教徒だけでなくキリスト教徒もいます)が犠牲にならなければならないのです。
暴論を承知で言えば、それはシオニズムを信じるキリスト教徒の自己満足に過ぎないのではないのでしょうか?

いずれにしても、キリスト教シオニズムこそが米国がイスラエルの後ろ盾であり続ける最大の理由の一つであり、右派が殊更強硬な支持を崩さないのも宗教的動機が多分を占めることは過言ではないでしょう。
これは逆に、同じ西欧でもスペインやアイルランドなどカトリックが主流の国ほどイスラエルを厳しく非難していることとも整合しています。

それでも「宗教戦争」ではない

どの宗教も「ルーツ」は同じ

パレスチナ問題を語るにあたって、「ユダヤ教とイスラム教の対立」が必ずと言っていいほど引き合いに出されます。
しかしシオニズム運動より前において、異なる宗教同士がパレスチナを巡って大規模な戦争を繰り広げたのは、せいぜい1千年前の十字軍の時代です。

ローマ帝国の崩壊後、パレスチナを統治していたのは歴代のイスラム帝国並びにオスマン帝国でしたが、これらイスラム政権は基本的に非イスラム教徒に対しても寛大な政策をとり、エルサレムでもユダヤ教・キリスト教・イスラム教それぞれの代表者が協議しながら自治を行っていました。
何かの事情でモスクで礼拝のアザーンを唱えることが出来なくなったときは、ユダヤ教のラビやキリスト教の神父が代わりに唱えることもあったそうです。
つまり、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も、元々は仲良く共存していたのであり、宗教戦争というのはシオニズムがやって来た後の後付けに過ぎないのです。

加えて、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、元々は同じルーツの宗教でもあるのです。
新約聖書とユダヤ教の旧約聖書の両方を聖典とするキリスト教は分かりやすいと思いますが、イスラム教もと聞くとピンと来ない人が多いかも知れません。
イスラム教も旧約・新約両聖書を聖典として位置づけている一方、神アッラーが「本来の神の言葉が誤って伝わってしまっているため」預言者ムハンマドにクルアーン(コーラン)を伝えたとされています。それゆえ、細部の違いこそあるものの基本的な世界観はユダヤ教・キリスト教とも共通していますし、旧約聖書のアブラハム、ノア、モーセの3人とイエスにムハンマドを加えた5人を預言者として位置付けています。
さらに言えば、ムハンマドにクルアーンを伝えるためにアッラーより遣わされた大天使ガブリエル(アラビア語ではジブリール)は、バビロン捕囚の終焉や聖母マリアの処女受胎を伝えるなど、ユダヤ教でもキリスト教でも神のメッセンジャーとして随所に登場します。

キリスト教がユダヤ教から派生した宗教であるのに対し、ユダヤ教及びキリスト教を批判的に発展させた宗教がイスラム教であると言えるでしょう。

ちなみにイエスが預言者の一人でもあることから、イスラム教でもクリスマスを祝う習慣があります。

シオニズムにNOをつきつけるユダヤ人

こうした歴史的背景があるため、シオニズムの時代よりも前からパレスチナに住んでいたユダヤ教徒(特に厳格な戒律を守る「正統派」と呼ばれる人々)の中にはシオニズムの思想を異端とみなし、徴兵義務を拒否するだけでなくイスラエル国家そのものすら認めない人も少なくありません。今回のイスラエルの軍事行動の反対運動の先頭に立ったのも彼ら(それゆえ警察や軍隊に容赦なく暴力を振るわれたりもしています)でありますが、それは決して今回に始まったことでもないのです。

長年キリスト教徒・イスラム教徒と平和裏に共存してきた彼らからすれば、シオニスト達は突然ユダヤ人を騙って土地を乗っ取って来ただけでなく、乱暴狼藉を尽くして非ユダヤ教徒との共存関係さえ完全に壊してしまったのわけですから、許し難い存在であることは言うまでもないでしょう。

一方、米国内のユダヤ人も一枚岩とは言えません。
とりわけ米国世論をざわつかせたのが、ニューヨーク市グランドセントラル駅を埋め尽くした反戦デモです。数千人が参加し4百名が逮捕されたという規模以上に、活動の中心となったのは在米ユダヤ人でした。
彼らのスローガンは"Not in our name"すなわち「私たちの名を勝手に戦争に使うな」です。

元々米国のユダヤ人はリベラル志向が強くキリスト教保守派ほどイスラエルへの関心が必ずしも高いわけではないのと、近年のネタニヤフ政権がトランプ共和党に肩入れし過ぎた反動で民主党支持者層と距離が出来てしまったこともあるのでしょう。
また、ホロコースト被害者の末裔がゆえに、祖父母が受けた同じ仕打ちを許すことは出来ないと声を上げる人もいます。

イスラエル批判=反ユダヤ主義?

従来の欧米では、イスラエルを批判すること自体が即「反ユダヤ主義」とみなされる風潮が極めて根強くありました。
ヨーロッパにおけるユダヤ人差別の長い長い歴史とそれがナチスのホロコーストという最悪の惨事に帰結したこと、その反省に立つがゆえに欧米がユダヤ人の国=イスラエル国の建設を支援したこと。
しかしこれはシオニストによる都合の良い歴史のチェリーピッキングであり、批判を封じるために自身に対する差別を利用する(適切な表現とは言えませんが)「逆差別」の構図にほかなりません。

何より大きな矛盾を招いているのが、「ユダヤ人」と「イスラエル国」が完全にイコールであるという前提条件です。
そもそもシオニズムが興った当時は、民族ナショナリズムを基盤に置き、各民族が他者の支配を受けることなく自身の国を持ち自身のことを自身で決める「民族自決主義」が時代のトレンドでした。実際、第一次世界大戦後に革命で崩壊したロシアや敗戦国のオーストリアやオスマン帝国の支配下にあった各民族が、この流れを受けて独立しました。

しかし現在はどうでしょう? 欧州の主要国では中東系やアフリカ系を含む移民が社会に定着し、民族の概念で国家を定義づけることが益々困難となりつつあります。米国でも非白人の人口が増加するにつれ、従来のアングロサクソン系プロテスタント白人=WASPを頂点とした社会構造が揺らぎ、深刻なアイデンティティ・クライシスをももたらしています。
それは民族や人種の優劣云々といった問題ではなく、成熟した市民社会の国であるほど、民族と国家を同一の概念とみなし民族のアイデンティティに国家の存在意義を求めること自体が限界に達しつつあると言わざるを得ないのではないのでしょうか?

西側民主主義国家と言われる国の中において、1世紀以上も前の時代背景に基づいた民族ナショナリズムを自国の柱に据え続けるのが、イスラエルという人為的に作られた国の基盤そのものの脆弱さを表しているように見えてなりません。
長らく虐げられ続けた存在という自己認識と自国が脅威にさらされているという危機感と、突出した強大な軍事力による求心力こそが、その脆弱な国家基盤を辛うじて埋め合わせているのではないでしょうか?

いずれにしても、今まで当然のように見なされていたイスラエル=ユダヤ人=シオニズムの構図はもはや矛盾を隠し切るのが限界と言わざるを得ないように思われます。
そして、その矛盾を助長し続け、幾度となく無理筋を通してシオニズムが19世紀末以降にパレスチナにもたらした歪な構図を温存し続けてきたのが、当事者であるユダヤ人以上にイスラエルに前のめりとなっているキリスト教保守派だったのです。

ユダヤ人=イスラエルという等式と、その根拠となるシオニズム。
この構図を改めて見直すことから、全てがスタートするといっても過言ではありません。


参考資料

https://www.jstage.jst.go.jp/article/yudayaisuraerukenkyu/32/0/32_77/_pdf/-char/ja


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