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相馬野馬追に見た戦国の文化、組織論

この夏、福島は相馬・南相馬の伝統行事である野馬追を観る機会に恵まれました。
野馬追は、国の重要無形民俗文化財に指定される伝統行事です。
千年以上の昔、下総国(千葉県)で、相馬氏の遠祖にあたる平将門が野生の馬を敵軍に見立てて軍事演習を始めた調練が受け継がれているとか。
間近で見る約400騎の鎧兜をまとった武者たちの行列は、戦国時代にスリップしたようで壮観です。甲冑のすれ合う音や馬の蹄の音に想像をかき立てられるようで、ゾクゾクします。
猛暑の中を、出陣から、本祭りでの甲冑競馬、神旗争奪戦までの一連の行事を楽しみました。

よく見ると、騎馬武者たちは自分の家名、氏名とお役柄を白い布に名札のように書いて付けていることに気づきます。きっと、誇らしいことでしょうね。
彼らの役柄・役割は、例えば先鋒から伝令、軍師、勘定奉行、神官、郷大将など、実に多くのものがありました。
そして、いくつかの郷単位からなる隊列の最後の方に総大将が続き、400騎は整然と進んで行きます。

しかし、野馬追の本質は、勇壮で華やかな騎馬武者たちの競い合いなど本祭りにあるのでなく、出陣式など祭場の外にあると私は見ます。
例えば、中村神社での出陣式では、家臣の中でも重臣の家柄の者しかお目見えできない。言葉を聞けない。
例えば、年配の伝令者が出陣の準備が整ったことを伝えに駆けてきた時に、その報告を年若の伝令が聞いてさらに奥に走って行き奏上する。
まるで少し前の時代劇のようなセリフ回しで、出陣までの事が進んでいくのです。

これを見て、私は当時の人たちの暮らしや心情をふと思い浮かべました。
それぞれの家格や世襲される役割に忠実にことを運ぶのは、なんて秩序立てられて整然としていることだろう、と。一つの大きな集団は機能的に動くことができる。

その一方で、自分の生まれが全てであり、もしかしたら適材適所でないケースもあったのかもしれない。与えられた役割以上の能力を持っていた人も、与えられた役割以下の能力しかない人も窮屈な思いをしていたかもしれない、と思ったのです。
この封建制は、秩序も閉塞も同時にもたらしたのではないでしょうか。

これは、相馬の野馬追を見て思った私の推測の話です。

今も昔も、組織というものが語られてきたのではないかと思うと、楽しくなりますね。
縄文の昔から、もしかしたら分業体制が機能的に取り入れられてきた。作業単位で年長のリーダーも生まれたことでしょう。
平安、鎌倉、戦国と続く武士の世の中も、いろいろな組織の形が試されてきたのかもしれません。

こうしてみると、草履取りだったと言われる秀吉はじめ有能な人物を取り立てた織田信長など革新的な人間への憧れは募りますね。
特に、人を見る目のあった人間には。

この夏、相馬野馬追の本祭りの前後で見た口上、伝わるしきたりから、戦国の昔の体制や組織のあり方などについて思い巡らせた。そんな話しでした。
ありがとうございました。

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