希少性とか差別化の動機
昨日少しだけ書いた『希少性』について書こうかと。
自分は希少であるかどうか、或いは、特別であるか。
そんな事を考えた経験は誰もがあるはずで。
もしそうでないなら、『世界に一つだけの花』はあそこまで流行らなかったでしょうし。
自分は特別である。
よっぽどの自信家、明確に何かを成し遂げた人以外は、そんな事を思ってる人は少ないと思います。
心の中は分からないけど。
「自分は特別だ」なんて言ってたらちょっと痛いじゃないですか。
僕はもちろん自分の事を特別だとは思っていなくて、やってきた過去であったり、能力を見るに、極めて普通で。
だから、何かがほしくて。
飲食の世界には様々な肩書が付く人がいます。
バリスタ世界チャンピオンとか、オーストラリアで修行とか、有名店出身とか。
聞いた人の誰もが「すげー」となるような肩書。
僕にはそれがなくて。
これがコンプレックスでもあるし、自信の裏付けのなさでもあるんです。
対外的にも体内的にも誇れるものがない状態。
だから考えるんです、何かないかなと。
そこで思いついたのが、「いつ来てもやっていて、いつでも飲めて、いつもの人がいる」
僕が昔から思っていたコーヒー屋への不満。
いい加減な営業、誰がいるか分からない不安。
これらを解消したい。
技術ではなく、肩書も必要なく、自分の判断で出来る事。
そして、誰もやってない事。
だから価値があるんじゃないかと思いました。
実際の所どうなのか。
この希少性がお店に良い影響を与えてるのか。
分かりません。
なんたって休んだ事がないからな。
もし休んでも売上が下がらなかったら、あまり価値がなかったと言える。
数字だけを見れば無駄な努力と切り捨てられてしまうかもしれない。
でも、そこまで単純な事ではないか。
今までがあったから、離れずに付いてきてくれる常連さんがいるのは間違いないし。
まあこんな事を書いてるけど、休む予定は今の所ありません。
色々な事を言われるけど、続けられるうちは続けようと思ってます。
希少性の話に戻ります。
希少性は差別化という言葉にも繋がり、どの飲食店も考えていまして。
ただ、何度も書いてるけど、カフェの差別化は難しく、そのうちきっとさっき挙げた肩書の効力も薄れていくのではないかと思います。
毎年チャンピオンは生まれるし、海外での修行も当たり前になると思うので。
そうなった時、何に価値を感じ、どこに希少性を見出すか。
きっと、お店を始める前に感じていた不満がきっかけになるはずです。
僕の場合はドリンクの中身というよりは、営業への不満があったからこうなってるだけで。
浅煎りやスペシャリティ、産地限定のコーヒー屋さんも今までのコーヒーに不満があったからそれらを選んでると思うんです。
だから、無理くりに差別化を考えたお店は難しくて。
仏作って魂入れず。
やはり想いや哲学は必要になるのではないかと思います。
という事で何が大事かと聞かれれば、日頃から思ってる事、考えてる事が大切で。
それをやりきる事が出来れば、希少性に繋がり、差別化は自然と出来るのではないかと思うのでした。
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