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「私らしさ」とは、大嫌いだった会社にあえて戻ることだった #9. マリニス(ブラジル)

#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら

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「会社を起業した数年後、ニューヨークに転勤になった彼氏についていくことにしました。仕事はそのままリモートで続けていたのですが・・・ふと、私が起業をして手に入れたいと思い描いていたことはすべてただの妄想だったんだ、ということに気づいてしまったんです。
起業をすれば何事も自分で決めて、自由に動かせて、やりたいようにできると思っていた。でも、実際は、結局は人との色んなせめぎ合いも、出なきゃいけないミーティングも、作らなきゃいけない資料ももちろんある。

私、何してるんだろう?って思っちゃったんです。今頃、安定した仕事について、ちゃんとしたお給料をもらって、知的好奇心を満たすプロジェクトに取り組むことだってできたはずなのに。夢をみていたけど、本当に自分が求めているのは何なんだろう?って。

それで、古巣の会社に戻ってきたんです。ストレスでしかなかった会社と、大嫌いだった仕事。でも、今回は気分が違いました。見慣れた扉にノックをして、「私、会社員に戻ることにしたんです。また雇ってくれますか?」と聞いてみました。

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マリニスとのインタビューはなんだか緊張した。セキュリティガードのいる高層ビルの、カチッとしたオフィスに案内されたからだ。旅を始めてからというもの、Tシャツジーパンでしか生活してこなかったので、数カ月ぶりのオフィス空間に戸惑ってしまった。
マリニスは、ブラジルのニューヨークと呼ばれるサンパウロの、法律事務所でバリバリ働くキャリアウーマン。ブラジル人の友達に、誰か良い人がいないか聞いてみたところ、紹介してもらったのが彼女だった。というのも、なんと、「一度会社をやめて起業したのに、また同じ会社に戻ってきた」という珍しい経歴の持ち主なのだ。
なぜ会社を辞め、そしてなぜ戻ってきたのか?そんな素朴な疑問の答えをみつけるべく、場違いの恰好をしている私たちは、彼女の話に耳を傾けた。

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ビジネスウーマンへの道

母は、いわゆるビジネスウーマンでした。ビシッとした格好に身を包んで出かける姿がとてもまぶしくて、私もいつかママみたいになるんだ、と思っていましたね。建築家になりたいなんて思ってた時期もあったのですが、それだと母のようなファッションとライフスタイルからはかけ離れてしまうということに気づいた瞬間、冷めてしまっていました(笑)

そんな中16歳になり、進路を決めないといけない時が訪れます。キャリアアドバイザーから、あなたは法律か経営が向いているんじゃない?と言われました。当時の私は、今思うと間違ってるんですけど、経営なんて何をしたいかがしっかり決まっていないような人が学ぶものだ、とかって思いこんでいて。実務的なのは法律だろうと、そっちの道を選びました。

幸か不幸か、受験に合格し、法学部に進学。二年生からはすでに、グローバル大手ファンドの傘下にあるアセットマネジメント会社にてインターンを始めていました。そして卒業後も、そのままその会社に就職しました。

だけど、会社員という生き方にうんざりした

辞めたい、と思ってました。でも、「ここまで来ちゃったんだからもうやめるわけにはいかない」という固定観念にとらわれてしまっていて、とりあえず一年間、ロンドンの大学院に留学をすることにしました。
そこを卒業してからは、やっぱり会社員には戻りたくなくて…何を血迷ったか、あと少しで近所のスポーツジムを買い取るところまで行ったのですが(笑)、結局それは上手く行かなくて。最終的にはヘッドハンターに勧められた企業に転職をすることになりました。

その会社はまだ小さくて、転職当時は、4名のパートナーと私ともう一人だけ。そしてその直後にその一人が辞めてしまったもんだから、ものすごい量の仕事が私に振ってきていたんです。

そしたら、ある日気づいたんです。私、法律の仕事が嫌いなんだな、って。ルーティンが嫌で、プレッシャーも耐えられなくて、自由のなさが辛かった。もっと自由度の高い仕事を自分でしたいな、と思い焦がれる日々が続きました。

でも、決断するのには時間がかかりました。お給料も良かったし、勢いで辞めてしまって路頭に迷うなんてことは避けたかったから。正直悩みすぎて、カウンセリングやコーチングのセッションに何度も何度も通い詰めました。でも、結局、その仕事を続けるのは単純に不可能だった。あまりにも不幸せすぎて、だから、退職を決意しました。

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ついに、起業への一歩

そのうち、これだ!と思えるアイデアにめぐり合いました。アーモンドバターのブランドを立ち上げる、というものでした。
ロンドンに留学していた頃、人生で初めてアーモンドバターに出会い、恋をしたんですよ。無添加でオーガニックのタイプのね。ブラジルには当時、ピーナッツバターですらほぼ存在していなかったんです。私自身もともとすごく食や栄養には興味があったし、ブラジルでも肥満が社会的な問題になりはじめていたから、私なりに社会貢献できる方法はこれしかない!と思えたんです。

会社からは、90日間の引継ぎ期間を言い渡されました。その期間中、栄養学の学校の試験を受けました。正式に退職した頃には、もう準備万端でした。
栄養学校は、なんと4年間のガッツリなプログラム。でも、フルタイムではなくハーフタイムだったので、授業以外の時間を起業準備に充てることができました。まずはビジネスプランを作って、マーケットリサーチをして。それから、実際に小さく始めてみることにしました。
覚えてるのは、ナッツのブレンダーを購入して、キッチンの角に設置していたら、母が帰宅して「これ、いったい何なの?」と興味津々で聞いてきたとき。その時はとっさに「まだ秘密!」と答えたんです。
それから、色んな種類のナッツをスーパーで買って、色んな組み合わせを試してみて、6種類のレシピを考案したの。今でも、その6つがベースとなっているんですよ。

何事も小さく始めてみよう、とよく言われているけれど、キッチンで自分でナッツをブレンドするところから始めていたとは!

色んな人が協力してくれました。高校の同級生でデザイナーの子が一人いて。彼女が、このブランドをすべて作り上げてくれました。「Castanharia」という名前も、ロゴも、パッケージも全部。そしてもう一人、育児のために仕事を辞めたから少し時間がある、という子が私のビジネスパートナーとなって、宣伝材料を作ったり実際お店に売り込みに行ったりしてくれました。そして母も、最初は私が会社を辞めてしまったということにすごく残念がっていたものの、イベントやプロモーションのたびに力を貸してくれました。

退職したのが6月。学校を始めたのが8月。そして12月には、ウェブサイトをローンチして、最初の商品を売り出し始めていました。

ブラジル初のナッツバターブランドだったので、誰にとっても初めての味。にもかかわらず、爆発的に成長していったんです。
最初は、地元の店舗が1軒や2軒決まって、そしたら大手スーパーチェーンが決まって、そしたらまた次も…
2年後には、なんと全国500店舗に展開するまでに伸びていったんです。

スタートアップって、なかなか上手く行かないものなのに、その成長率はどう見てもすごい。なのに、なぜマリニスはその道を自ら断つことにしたんだろうか?

夢から覚めた瞬間

数年後、ニューヨークに転勤になった彼氏についていくことになったのですが、その頃からモヤモヤするようになったんです。
仕事はリモートで続けることにしたのですが、実は私が日々している仕事のほとんどが、ただのオペレーションだということに気づいたんですよね。日々の業務というか、従業員の対応だったり、機械の不具合だったり、顧客とのやり取りだったり。そういう「小さな課題」を一つずつこなしていく自分の姿に、ちょっと落胆してしまったんです。この会社は私がいなくても回るようになったんだなって。これは私がやることじゃないなって

もっと大きなチャレンジに取り組むのがとても恋しくなっていました。課題をこう、分解して、一つ一つ解いていく感覚というか。自分の会社が回るようになってきてから、私の知的好奇心が満たされなくなってきてしまっていたんだと思います。

その時でした。私が起業をして手に入れたいと思い描いていたことはすべてただの妄想だったんだ、ということに気づいたんです。
何事も自分で決めて、自由に動かせて、やりたいようにできると思っていた。でも、実際に起業してみると、結局は人との色んなせめぎ合いも、出なきゃいけないミーティングも、作らなきゃいけない資料もある。
ブラジルで小規模ビジネスを回すことの難しさも、何度も身をもって痛感していました。例えば、スーパーの棚をすべて大手メーカーが買い占めてしまい、結果的に私たちの製品なんて羅列すらしてもらえなかったり。
私、何してるんだろう?って思っちゃったんです。今頃、安定した仕事について、ちゃんとしたお給料をもらって、知的好奇心を満たす問題に取り組むことだってできたはずなのに。夢をみていたけど、本当に自分が求めているのは何なんだろう?って。

「後戻り」ではない「出戻り」

それで、古巣の会社に戻ってきたんです。ストレスでしかなかった会社と、大嫌いだった仕事。でも、今回は気分が違いました。見慣れた扉にノックをして、「私、会社員に戻ることにしたんです。また雇ってくれますか?」と聞いてみました。
そしたら、迎え入れてくれました。

もちろん、Castanhariaをすぐに見捨てたわけではありません。今もブランドは成長しているし、私もまだ関わり続けています。
今実は、Castanhariaの販売権を、競合会社にライセンスするという契約を結ぼうとしている最中です。彼らに、ブラジルの製造やオペレーションを担ってもらい、売上の一部をもらう。私自身は、中国と米国への輸出の可能性を探るというのがメインのミッションになるというわけ。
抜けることになったもう一人のビジネスパートナーの株は、実はすべて私の母が買い取ってくれたので、今では彼女がこの会社の柱として活躍してくれているんですよ!
なので最終的には、ブランドに傷をつけることなく、きれいに引き継ぐことができた気がするんです。その意味で、すっごくホッとしています。

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会社に復職してから2年が経つ。
でも、辞めざるを得ないくらいストレスに感じていた職場に戻るというのは、本当に正しい選択だったのか?単にまた辛い毎日に戻るだけじゃないのだろうか?

今、すごく幸せですよ。前よりも大人になったし、夢ばかりを追わなくなったんです。振り返ってみると、あの頃は完全に燃え尽き症候群に陥っていました。鬱気味だったし、働きすぎだった。

一番の問題は、私自身の問題だったんです。多分、どこに行ったって燃え尽きてたと思いますね。今では、自分の限界を見極めて、声をあげるということを学びました。何か不満だったら、ボスのところに行って直接伝えるの。「また私を追い込む気ですか」って(笑)。そうしたら、どうすれば解決できるか一緒に議論できるから。

退職した当初は、世界のために自分で何かをしたかったんです。でも、経験を積むにつれて、自分の得意じゃないことで挑戦しようとしてたんだなってことに気づきました。私の得意なのは、こういう会社で働くことなんです。母が着ていたような、ピシッとしたスーツに身を包んで。
最終的には自分にとってしっくりくるものを探すことが何よりも大切なんだから、そのために少しくらい自分勝手になってもいいんだよと、自分を広い心で受け入れてあげる必要がありました。

本業では今資本市場を担当しているので、お金持ちのお客さんがただもっとお金持ちになるための手助けなんですよね。でも、だからこそ、それ以外の方法でなんとか自分なりの社会貢献ができるように努めています。NPOやNGOを運営している知人の法律面のサポートをしたり、ESG(環境+ソーシャルガバナンス)について勉強をしてお客さんに教えられる立場を目指していたり。やれることをやれる範囲でね。

実はこのインタビューをしたあとに、共通の知人から聞いたのは、マリニスが実は毎年、社会的意義のあるスタートアップなどへのクラウドファンディングに必ず出資することを決めているんだとか。

マリニスは、自分はバリバリ働くのが一番向いているからその道を選んだけれど、その分もらえる高い給料を、自分の本当に興味関心のある分野に投資・出資しているのだ。「夢を追いかける」「社会のために何かをする」って、必ずしも「仕事」という形じゃなくていいんだな。そんなことを教えてもらえた気がする。
そんなマリニスにとって、幸せとは何か?定番の質問をしてみたところ、彼女のストーリーのキーワードともいえる回答が返ってきた。

「Equilibrio=バランス」

自分の「好き」や「合う」や「やりたい」や「やるべき」のバランスをつくることが、彼女にとっての幸せなのだ。

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編集後記

今までに取材してきた人たちとマリニスが圧倒的に違うのは一つ:他の人は全員、新しい道に行ったらそのまま突き進んでいるのに対し、彼女は、一度道をはずれたあとに同じ場所に戻ってきているということだろう。
私たちは、取材をしながらそんな彼女のストーリーを聞いたとき、「よっしゃー!」と思わず目を合わせた。
なぜなら、正直これまでの取材は、企業とか独立とか、そういう王道から外れるような生き方が正解、みたいな方向にどんどん偏ってきてしまっていると感じていたからだ。

でも、会社員がダメだってことじゃまったくない。
その道が自分にとって正解なんだと思えるのであれば、それ以上に幸せなことはないと思う。
だから、マリニスのように意思をもって会社員をしている人には、是非とも出会いたいなあと思っていたのだった。

人によって、重視すべきものは違う。人によって、合うものと合わないものがある。マリニスにとって、起業家ライフは向いていなかった。彼女にとって重要だったのは「バランス」だったのだろう。経済的な安定と、自由と、知的好奇心と。地に足をしっかりつけていたいという想いも、話の節々から読み取ることができた。さかのぼってみると、そのためにそもそも法律を勉強することにしたわけだし。
そして「社会貢献をしたい」という想いが会社員になってから消えたわけではない。本業以外の形でできることはないかと、工夫と模索をし続けている姿は、本当にカッコいいと思った。

そこで見えてくるのが、この記事で私たちがもっとも伝えたいことになるのだが、それは、一度別の角度から見つめなおしてみることで、モノの見方がガラッと変わることもあるということだ。
彼女は、もし一度も会社を辞めていなかったら、今も不幸のまま居続けていただろう。ストレスと鬱と、夢と誘惑と闘いながら。
でも、実際は一度会社を辞めて起業をしたからこそ、「自分には会社員が向いているんだ」という明確な気づきを得ることができた。結果としてたどり着いた場所は同じ会社だったが、彼女の心境は180度違うのだ。

隣の芝が青く見えるから羨ましいな思いながら暮らしている人と、
隣の芝が本当に青いのか実際に行って確かめてみたことで、何だ自分の庭のほうがいいじゃんということに気づいて、戻って暮らしている人。

たどり着くところは一緒でも、絶対に後者の方が幸せなのではないだろうか。

「そう簡単に言うけどさ、自分の会社は、一度辞めてしまったら絶対戻れないよ」
そんな声が聞こえてきそうだし、現実的には出戻りを認めないような会社も未だに多いのかもしれない。
なので、念のため補足をすると、別の角度から見つめなおすためには、何も退職しなければならないというわけではないということ。

マリニスの場合は思い切って退職をしていたが、例えば、土日の時間だけ使って「副業」としてアーモンドバターを売ってみるという始め方でも良かったわけだし、同じ会社の中でも別の部署への異動とか役職変更とか出向とかを提案することも可能だったかもしれないし、彼氏がニューヨークにいくというのを理由に休職してみても良かったのかもしれない。
視点を変えてみるためにできることは、思っているよりもたくさんあるんじゃないかなと、思う。



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