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【みみ #1】聴覚障害のある子を育てた母の苦労と愛情

坪倉 幸代さん


 坪倉さんにとって、息子さん、娘さんに次ぐ、待望の第三子は男の子だった。その二人目の息子さんを実家のご両親に預けた際に「反応が悪いのではないか」と言われる。1歳半健診の際に耳が聞こえていないことに気付いた。

 「当時、右耳はまだよく聞こえていた可能性もあったけど、左耳は完全にスケールアウトでした」。スケールアウトとは、難聴の程度が重く、使用した音を出す機械(オージーメーター)で出せる一番大きな検査音も聞こえなかった場合を指す。その後、息子さんの右耳も聴力を徐々に失い、現在は障害者等級において聴覚障害で最重度の2級(両耳全ろう)。例えば、電車が通過している時のガード下くらい(100デシベル)以上でないと聞こえないほどの聴力とご理解いただくと、イメージがわくかもしれない。


 当時、父親であるご主人としては、上のお兄ちゃんが小学6年生、お姉ちゃんが小学4年生であったこともあり、次男の息子さんも同じ地元の小学校で学ばせたい気持ちが強かった。しかし、家族で話し合った結果、自宅から片道1時時間半をかけて週4日、京都府舞鶴にあるろう学校に通うことになった。

 坪倉さんが毎日次男を車に乗せて一緒に通い、授業中は外で待つという毎日の始まりだった。「帰宅した後も課題をこなしたり、成長していく中で将来世の中に出て行けるようにと必死でした。」と笑顔で振り返られながら、「正直、上のお兄ちゃんやお姉ちゃんの小さい頃のことはあまり覚えていないんです。寂しかったろうと思う。」と母親として他のお子さんに対する申し訳なさも表情ににじませた。


 「本人(息子さん)に「昔は大変だったね」なんて言うと、「迷惑かけたね」って返ってきますよ」。

 息子さんとしては「聞こえないから、周囲に何を言われているかわからず」にコミュニケーションに誤認識や苛立ちが生まれる。「手が先に出る問題児でしたね、中学の時は先生にまで食ってかかったり。」と坪倉さんは苦笑いされた。周囲に本人への接し方までお願いできないが、本人の自分の想いを伝えられないもどかしさも理解できる。迷惑をかけても自分は息子を理解してあげたい、そんな優しさを感じた。

 そんな息子さんの「逃げ場になったのかもしれない」のが、陸上だった。現在スポーツ庁長官を務める室伏広治さんに憧れて砲丸投げを始め、学校の陸上大会を楽しみに頑張り、全国の陸上大会を見に足を運ぶほどだった。友達にも恵まれた息子さんは「陸上を通して変わっていった」。「そこが唯一の逃げ場だったのかもしれない」と繰り返された。


 そんな息子さんも今や3人の子供の父親になった。「どの子も聞こえる」。

 息子さんを立派に育てられましたねと投げかけると、「(息子には)謝りまくっていたことしか覚えていないんです。無我夢中で一生懸命やってきたから、その分愛情が伝わっているといいなとは思っています。」

 そうおっしゃった坪倉さんの目がとても印象に残っている。伝わるだろうか、ご苦労されながら愛情を注ぎ続けてきた方の目というものを。



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