ピンチをアドリブで乗り越える技 78/100(逆算)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
今日は、逆算の創造性について詳しく書いていこうと思います。
以前『深化』でも触れた内容で、
最近も、『独創』で少し似たお話をしています。
「いま、ここ」の空間には、最適最善のストーリーが流れていて、演者はそれを『捉える』だけで良い。
という考え方で、なんだかスピリチュアルな感じに聞こえるかもしれませんが、即興劇を行う上で、非常に理に適った実践的なメンタリティーの持ちようを示しています。
ゼロから何かを産むことは非常に難しいです。
でも、この空間には今現在、何かしらの最適最善なストーリーが流れていると思えば、自分の脳からストーリーを捻り出さなければいけないという、プレッシャーから解放されます。
結果的に、自己中心的な「頭で考えたアイディア」を超越し、その場に居合わせた人々の集合知のようなものから、何か新しい発見へと繋がるかもしれません。
これが、即興劇の醍醐味であり、それぞれのキャラクターが立っていて、自然とストーリーが紡がれていく状態です。
少し話がそれますが、関連するnoteを先日拝読しました。
確かに、漫画家さんの場合は作家でもあるわけで、キャラがしっかりと書けている方が近道なのでしょう。
でも、私たち役者の場合はどうでしょうか?
台本というか、シナリオはすでにあって、その中身を埋めていくのが私たちの仕事です。
私は、そこには『逆算の創造性』が必要だと思っています。
台本と一口にいっても、様々なものがあります。良い悪いは別として、キャラクターの心理描写や、思考回路(56/100参照)がすでに詳細に書かれているものと、そうでないものがあります。
とくに、脇役に関しては、事象ばかりが書かれていて、心情までは書かれていないものがほとんどです。
そういう時には、演技をするために、その事象に合わせて思考を定めていくという、逆算の創造が必要になります。
いい例がなかなか思いつかずに、相当悩んだのですが、むかしの私が出演した作品を使わせてください。
例えば、『レイルウェイ 運命の旅路』での1シーンをみてみましょう。
「捕虜輸送用の貨物列車に押し込まれる主人公。
ふと、ある日本人が目に止まる。
彼も、こちらを向くが、無情にも閉じられる貨物列車の扉。
勢いよく閉まる、鉄の扉の隙間に最後まで残る日本人の姿。」
この時、なぜこの日本人は主人公の方を向いたのでしょうか?
物語上は、これがこの映画の軸となる、重要な二人の出会いの場面となるのですが、脚本上でも、観客の目からも、なぜ彼がこっちを向くのかはさほど重要ではありません。
だからといって、演じる役者もそのwhyを気にしなくてもいいのかというと、そうはいきません。
「主人公の方を向くと書いてあるから、ただ向く」
そういう演技でも問題はないかもしれません。
確かに、この程度のシーンならばそこまで重要ではありませんが、すべての場面において、ただ台本の指示をなぞるだけのような演技をしていると、結果として薄っぺらい演技になってしまいます。
このシーンでは、たしか
「何か物音がして気になったので主人公の方を向く」
とした覚えがあります。
すると、監督から
「もっと素早く向いてくれ。そして向いたままその視線を維持してほしい」
とだけ言われます。
ここで逆算をするわけです。
素早く向くには、
「何か衝撃音を聞いたような気がしたから、そちらの方向を見る」
として、その視線を維持するためには、
「音の正体を確認したいが、車内が薄暗くてよく見えない、目をこらす」
と、するわけです。
台本や監督の注文に合わせて、その場で臨機応変に、求められている画に合う思考回路や意思(55/100参照)を逆算していく作業です。
ここにも、即興の技術が生かされます。
この逆算の創造、ピンチ禍においても応用ができると思います。
辿り着かなくてはいけない結果が決まっている時、そこをどう埋めるか、そこには誰もが納得するような素晴らしいアイディアではなくて、その日その場所に一番最適な、創造が求められると思います。
実は、実際の撮影で一番難しかったのは、このシーンの最後のショットなんですが、それはまた今度改めて。
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