ピンチをアドリブで乗り越える技 58/100(Super Objective)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
これまで数回にわたって、肉体的なツールではなく、思考的なツールである『Objective』や『Obstacle』の話をしてきました。
おさらいになるかもしれませんが、一つの場面に対して、一つ定めなくてはいけないのが、『Objectie』(願望)と『Obstacle』(障害)。
さらに小さな単位で、セリフごとに割り当てる思考回路が『Thought』です。
今日は、逆に大きな単位、その芝居や映画、ドラマ全体において、キャラクターが何を望んでいるのかを定義づける『Super Objective』について考察していこうと思います。
イギリスでは、
「人生で何かとてつもない困難に直面したときは、役者に相談しろ」
と言われます。
なぜでしょうか?
『オイディプス王』などギリシャ悲劇の太古の昔より、演劇(物語)というのはある人物の、人生で一度や二度しか直面しないような、大きな局面を描いてきました。
それがドラマです。
役者という職業は、その重大な局面に共感し、毎日その疑似体験をするのが仕事です。
だから、役者に相談してみれば、きっとあなたの状況を理解し共感してくれるだろう。ということです。
シェークスピアの、苦悩する王子ハムレットも、重大局面において相談する相手は、親友のホレーシオと旅芸人です。
つまり、ある人物の、一つのドラマの中での『Super Objective』を探すという作業は、人生の中の大きな局面(ピンチ)に陥った時に、信念はどこにあり、何を目指すのか?を探るということに繋がります。
少し脱線しますが、この『Super Objective』はどう訳しましょうか?
『Objective』を『願望』としたので、『スーパー願望』『超願望』?
うーん。ここでは『野望』としてみますか。
(ちょっと大袈裟な気もしますが)
例えば、桃太郎の『野望』は何ですかね?
「鬼ヶ島の鬼を退治する」
「おじいさんとおばあさんに財宝を持ち帰る」
あなたが桃太郎の人生を生きるとしたら、どれにしますか?
正解は無数にあります。
間違った答えも無数にあります。
「幸せな家庭を築く」は明らかに間違ってますよね。そんな要素はこの物語には出てきません。
もっと厄介なのは、間違ってはいないけど、あまり役に立たないパターンです。これも無数にあります。
「友を増やす」
これは間違ってないですが、あまり役には立ちません。なぜかというと、友が増えたのは結果であって、桃太郎はその野望に対して何もアクションを起こしていないからです。
犬猿雉は、吉備団子に釣られて向こうからやってきました。別に桃太郎は、求人のエサにしようと思って吉備団子を持ってきたわけではありません。
「友を増やす」では、
桃太郎はこの野望を達成するために、実は吉備団子をわざと多めに携帯していた。こちらから勧誘しようと思っていたが、たまたま向こうから話しかけてきた。鬼退治をするというのは、友に共通の目的を持ってもらう為の口実で、もし鬼たちが改心して友達になりたいと言い出したら、それもアリだと内心考えている。
というような、訳の分からない創作が発生してしまいます!
話が妙な方向に進んでしまいましたが、そもそもこの『Super Objective』、なぜ定めておいた方が良いとされているのでしょうか?
おそらく、一つの役を演じ切る中で、その役を見失ってしまうことが、多々あるからではないかと思います。大きな流れを掴んでおくと、迷った時のコンパスとなってくれます。
あなたが人生の主役であったなら、『Super Objective』は何ですか?
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