ピンチをアドリブで乗り越える技 49/100(ナマの自分)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
ここのところ、「己」についてのお話をしています。
イギリスの演劇学校では、初めの1年弱をかけて、この自分のベースとなる、無防備かつ魅力的な存在である「己」を探す作業が行われます。
でも、この時は特にそうしろ、という指導は行われません。
Try finding yourself.
的なことは言われません。
そのため、私も日本語にこれを訳す時、どの単語が正しいのか、いまだに迷います。
自分
本当の自分
真の自分
自分自身
自身
自我
我
自己
己
生の自分
「なま」って単語みんな好きですよね。生菓子とか、生チョコ、生もみじ、ほかにも色々ありますね。
魅力的かつ、儚い感じ、
しかも、社会に適応するために調理される以前の柔軟な状態
というようなイメージもあるので、個人的にはこの「生の自分」が一番しっくり来るのですが、あまり聞こえが良くないし、理解されにくいと思い、やはりこの連載では「己」を使っています。
「己」は逆に、少し男性的というか、硬いイメージあると思うので、好きではないのですが、一番本質的な状態を表す単語なように感じます。
「本当の」とか「真の」が付いてしまうと、
じゃあ「嘘の」「偽の」があるのか?
と思われてしまう中、「己」はその単語ひとつで真髄をつくイメージがありませんか?
「自」とか「我」も独尊的というか、他人がある中での表現に感じます。
言葉遊びになってきてしまいましたが、この「己」を見つけることは、役者としては、職業上の問題から、必要であるというお話をしました。(45/100参照)
イギリスの演劇学校では、まずは「真っ白なキャンバス」にするところから始めます。
身体、呼吸、発声の分野において、今までの20余年でかたち作られた、ありとあらゆる癖を取り除きます。
身体にコリがあったり、重心がぶれてまっすぐ立てなかったり、無駄な動きのある歩き方だったり、呼吸が浅かったり、速すぎたり、声の振動が弱かったり、などなど、本当にあらゆる面において徹底的に矯正されます。
体がリセットされていくと、心もリセットされていきます。
でも、この状態ではまだ、「己」を獲得するには至ってません。
なぜなら、
「まなびは螺旋」
だからです。
まずは、ある一点から、敢えて離れます。
まっすぐ直線距離で到達することはできないので、弧を描いて、半円のところまで到達します。
これが「真っ白なキャンバス」の状態です。
そして、そこからまた、残りの半円を描きながら、もと居た場所に戻ります。
でも、実はこれが螺旋になっているので、戻ってくる地点は同じところではなく、前よりも高みに居る。
こういうイメージです。
ああ、そっか。
そうして作り上げる螺旋の、芯の部分、陶芸でいうところの軸や背筋、それが「己」なのかもしれません!
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