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【緊急警報】今すぐ「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観に行け!ネタばれ解説は読まずに今すぐにだ!



はじめにお断りしておきます。

1 今回は純粋なレビュー文です

2 マジのガチで「ゴースト・イン・ザ・シェル」を大絶賛する趣旨です

3 どうしても広く知ってほしいので、無関係なタグを意図的につけました。ごめんなさい

4 私と同じ感想を持った人がいらっしゃいましたら、どうかこのレビューを拡散してください

以下、本文です。


見えてる地雷を踏むつもりで行け!絶対報われる!

正直、鑑賞前は、例の予告編のせいで不安しかなかった。どんなマインドセットで観ればいいのかすら見当がつかなかった。だから、前向きな鑑賞意欲をもたらすマインドセットをキめるために、誰も読んでくれなくてもいいから「サイバーパンク好きなら、ぎたいフレンズに会いに行く感覚で鑑賞すればいいじゃん」みたいなふざけた記事を書いた。所詮は腰抜けがよくやる予防線を張る行為だったと今にして心底反省している。

私は、本編を見もせずに、予告編を見ただけで「なんでスカヨハが赤い口紅ぼってりのメイクで肉肉しい白い光学迷彩スーツ着てるの?とてもブラック・ウィドウと同じ人に見えない微妙なルックスじゃん。口紅やめて光学迷彩スーツも黒くして肉肉しさを和らげて、黒髪ショートにしただけのまんまブラック・ウィドウにすればいいのに」とか、「突入シーンでスローモーション多用したら、アニメ版のスタイリッシュ銃撃戦のスピード感が出ないんじゃない?」とか、「ビートたけしが銃撃ってリロードするカットがまんまキタノムービーじゃんw監督のキタノムービー愛は分かるけど場違いだよね」とか考えて、映画通の評論家を気取っていた。

私は本当にどうしようもない腰抜けだった。

本編が始まってからでさえ、制作資金の出所の一部が中国資本であることに(そのせいで不必要な中国市場向け要素が入った脚本になってるのではないか?という心配で)不安を高め、序盤は「お、分かりにくいサイバーパンク設定とか義体とかの設定が、本作独自設定のおかげで、わざとらしい説明抜きで自然に客に伝わってるな。トグサもこれ字幕版でも人格の部分でトグサって観客に分からせるプロの演技だ。流石はハリウッドのビッグバジェット映画。レビューを書く気はないけど、もし書くとしたら、難点をつけるのは予告編で感じた不満だけにしよう。んでもって、最後は『いいところもたくさんあるから、みんなもみてね!』くらいのノリで締めよう」とか考えていた。

中盤にさしかかったところでも「やっぱり金をかけた電脳シティの景観は最高だな。お、車がちゃんと右ハンドルになってる。分かってるね」とか、「電脳ダイブシークエンスも、ダイブってのが何かを説明しなくても観客に伝わるようになってるし描写に新規性があるな」とか、「銃撃戦描写からスローモーションが排除されてるじゃん。よしよし。それでこそシリーズ伝統のゴミ収集車おじさんが生きるってもんよ。ちゃんと攻殻機動隊してるじゃん。これだけで大満足」とか褒めるポイントを偉そうに脳内メモしていた。

だが、中盤の山場あたりから、私は、無意識に「ええ……」「マジか……」とつぶやきっぱなしの自分に気づいて驚愕した。映画の内容はさらに驚愕した。この映画の本当の仕掛けが観客の前に明らかにされた時、これは、単なる「攻殻機動隊の実写化」ではないと分かった。

断言する。これは単なる「攻殻機動隊の実写化」ではない。どういうことかというと


本作は、攻殻シネマティックユニバースの第一作として制作されたものだ!少なくとも監督とかの制作陣はそのつもりで脚本を書いている!

既に色んなところで言われてるが、本作の独自設定として

1 主人公である「少佐」のビジュアルが白人のものであることが明確化された上で、明らかに日系ではない名前が与えられている

2 「少佐」は世界で初めての全身義体化サイボーグとされている

というものがある。

注:ただし、原作マンガやアニメでは、「少佐」の外観が何人種なのかが特定されるような表現はされていないし、「少佐」が世界で何番目の全身義体化なのかなんて明確にされてない(ただし原作マンガ1巻で、「最近」の技術よりも古い時代に義体化したことが仄めかされている)から、映画の設定が原作やアニメと矛盾するということはない。

これは、スカヨハを主演に据えてビッグバジェットな攻殻実写化を実現するための改悪だとかホワイトウォッシュだとか言われているけど、はっきり言って、そんな文句を垂れているやつは、絶対観ずに適当にディスっているだけだ。たとえば「ここ」に涌いてるようなやつらのいうことは全然信じなくていい。

いや、前言撤回。彼らはみんな、未見の攻殻機動隊ファンの楽しみを奪わないために、わざと、いかにも観てない奴が書きそうなことを書いているに違いない。なんて優しい世界だ!みんなも、鑑賞前は、是非とも彼らの言うことを真に受けたままで鑑賞してくれ!

本題に戻ろう。観ればわかるが、前述の独自設定は、単に制作とかストーリーの都合で決まったものではない。本作の独自設定は、本作のストーリーの核心に密接に関わっているとともに、まさに、「少佐」が本作の陰謀と謎の中心になるということを説得力ある形で分からせる。そして、最終的には、「少佐」が「少佐」であり、本作が紛れもなく、皆が知ってる攻殻機動隊であることを高らかに宣言する結末につながる。

ネタばれにならないか心配で、どこまで書いていいものやら迷ってたけど、えいや、でこれくらいは書いておこう。

本作は、シネマティックユニバースの第一弾として、主人公である「少佐」が「少佐」に覚醒するオリジンエピソードだ。

そして、オリジンエピソードとして、これまでの攻殻アニメでは、取り扱うことを避けていた要素、「そこを明確にしちゃったら世界観が台無しになる」とされていた要素を真正面から堂々と扱った上で、前述の独自設定との相乗効果、さらには、ゴミ収集車おじさんシーケンスの「その手があったか!」な活用まで見せつけて、逆に「本作は紛れもない『攻殻』である」と攻殻ファンに完全に分からせるという驚きの曲芸と力技を見せつけている。その「要素」が何なのかは、ぜひとも劇場にダイブして確認してほしい。ユニバースが変わろうと、何度リブートしようと、ブルースウェインが常にブルースウェインであるように、「少佐」は「少佐」なのだ。本当だ。信じてくれ。

いや本当に、この映画を作った監督のことはよく知らないけど、紛れもなく天才だ。いやバカだ。制作スタッフもだ。この監督と制作陣は、はっきり言って、完全に攻殻ファンのための映画として本作を作っている。そして全身全霊を注いでる。そんな需要の小さいニッチな映画をビッグバジェットで実現するために、ものすごい離れ業の脚本を作り上げ、どうだまくらかしたのかは知らないがデカい資金を引っ張ってきて、実現させた。これがコケたら業界追放ものなのに、この監督は、それでもやった。それとも、資金を出したやつらまでバカなのか?

白人女性が「少佐」を演じる必要性と、少佐がみんなが知ってる「少佐」である事実が両立していることを観客に分からせるという途轍もない偉業を達成したところで、その流れで本作はクライマックスに突入する。ちなみに「クゼ」は、定番の、「リブートしても前と同じ名前のヴィランがでるけど中身は別物」をやっていると分からされる。

もうこっからは、自分が観ているものが信じられない体験だ。

クライマックスは、みんなが大好きな、9課をナメて利用しようとした奴へのペイバックタイムだ。マジでいつもの攻殻だ。

そうだった。その直前に、みんなが大好きな「少佐とバトーの恋愛じゃない関係」も、本当のスタートを迎えたと実感する瞬間もある。そのために、バトーは最初は肉眼だったのかと思い知らされる。その瞬間は、マジでバトーがバトーにしか見えない。字幕版でもだ。もう参った。ゆるして。

「ええ……まじで実写でアレをやりやがった!!」実写で本当にあのシーンをやるために、光学迷彩スーツは肉肉しいものである必要があった。そこには紛れもない「少佐」そのものの「少佐」がいた。字幕版でもだ。本当にジャパニーズマンガやジャパニーズアニメの実写化でこんなことが可能なのか?という疑問に対して、本当に可能であることを実証した、私が知る限りはじめての例だ。

本作が「少佐」のオリジンエピソードであるため、他の9課メンバーの出番はどうしても尺の都合で限られるけど、短いながらも、あの渋いキャラがお約束のアレを渋く決めてくれる。監督えらい。やったぜ!

そして、「BEAT」北野武だ。本作は、本当に、攻殻ファンが大好きな「課長自らがついに現場に出陣して自ら決着をつける」をやる。予告編に出てこないシーンでだ。アニメとかで「サル親父超クール!愛してる!」になるやつを、本当に実写でやっている。そのアニメ表現独特のクールさを実写に落とし込むために、俳優北野武のあの佇まいが必要だったと思い知らされる。本当に、北野武以外にあれができる人が思いつかない。

ラストを迎えるころには、「人にとって『ゴースト』が持つ意味とは?」という要素、そして、「なぜ『少佐』は9課のメンバーという立場で戦うことを選択したのか?」という要素まで、攻殻名物の哲学的な長台詞が全くなかったのに、観客に思い知らせていることに気づき、今度こそ最後の驚愕を味わうはずだ。

締めは、9課メンバー勢ぞろいでキメたカットとビル屋上でガーゴイルポーズの少佐だ。「待たせたな。ユニバース始動のための少佐のオリジンエピソードはこれで終わりだ。次からは、お待ちかねの9課メンバーの本格的な大活躍だぜ!楽しみにしておけ!」という監督・制作陣の声が間違いなく聞こえてくる。


奴らは「攻殻愛」で成し遂げた

冒頭で述べた通り、私は完全にみくびっていた。それなのに、監督及び制作陣は私を許してくれた。いや、私は最初から許されていたのだ。

「仕方がなかったとはいえ、予告編で不安にさせてしまって申し訳ない。お詫びといっては何だが、俺たちが全身全霊で作り上げた本物の攻殻を体験してくれ」彼らはそう言っているのだ。誰が何と言おうと、私はそれが聞こえた。そして体感して、マジで反省し、そして感謝した。人生で数えるほどしか迎えられない、いや、一度あるかないかの、愛が報われる瞬間だ。

奴らは、本当に、作品への愛とファンへの愛に忠実に、とことんやり遂げた。

そう、奴らは、ダイハードテイルズの奴ら(知らない人はごめんなさい)と全く同じく、先入観を持った客を相手に先入観を覆して体感させるという方針で、テクニックと力業とを豪快に贅沢に繰り出し、成し遂げた。奴らはみんな自らのアティチュードに忠実であることを決してやめないからだ。そして、本作は、それを、しかもビッグバジェットでやったのだ。危険を顧みずにだ。

本当に、掛値なしに、本作は、攻殻が好きであればあるほど報われる映画だ。ユニバース第2弾実現のために是非とも見てくれ!

以上