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We were young

私たちはBeatsです

私たちは感情を音楽を通じて分かちあう
ソーシャルミュージックアプリBeatsというサービスを作っています。

このノートでは
アプリの根幹として提供したい
自分の体験・感情をそこに共鳴する音楽にのせて
昇華することができたらと思っています。

彼女は20歳になれなかった

中学時代のグループの一人から電話で告げられた。
高校にいってからも遊んでいた男女6人のグループ
そのひとりが亡くなった。
自殺だった。

雑居ビルの非常階段から飛び降りたらしい。

最後にみんなで顔を見に行こう、
生前の付き合いもあり、霊安室にいれてもらえることになった。
5人で集まって近所の葬儀場に向かった。

通された霊安室はひんやりとしていて
外の幹線道路の音は入ってこない
とてもしずかな場所だった。

霊安室は思っていたほど怖い部屋ではなく、
部屋の中央で横になっているのはよく知ったあいつで
綺麗な棺に入れられて他には何もなかった。

不思議とおだやかな気持ちになった。

「かお、すごい綺麗になってるね
運ばれてきたとき大変だったんだよ、歯とかボロボロで」
連絡をしてくれた1番の親友だった子が
普段のようなテンションで話すので少し笑った。

「せっかく来たんだからさ、最期にふれてあげなよ」
促されてにぎった手は小さく、ひんやりとしていた。
よくこの手に小突かれ、殴られていた。


次の日、通夜があった。
同級生たちには自殺であったことは伏せられた。
成人式の前撮りの写真や卒業アルバムなどが並べられ
みんなが泣いているのを少し後ろからぼんやり見ていた。
そうか、あいつは12月生まれだった。

街路樹は落葉をはじめ、息が白くなってきた11月のことだった。
僕らはこの年成人を迎え、1月には成人式が控えていた。

あの日泣けなかった僕は

あれから何年も経つけれど、
シャワーを浴びながら、
駅でぼーっと電車をまちながら、
時折ふと彼女のことを思い出す。

なにかあるわけでもなしに、ただ思い出す。
せめてたまに思い出すくらいはしないといけないのだと思う。

あれから5人であった記憶はない。
自分達の中のある部分は
あの日を境にどこかに消えてしまったのだと思う。
それはいつかきっとそうなるはずだったものを、
ただ加速させただけだ。

安っぽい言い回しだけれども
大人になる、ということだったのかもしれない。

僕は今日も生きている。
メメント・モリに今日を味わうこと
それは刹那の愉悦に浸ることかもしれない
それは打ち込み集中する喜びかもしれない
それは仲間との団欒かもしれない
喜怒哀楽を併せ呑みただ味わうということ

日々の交々に一喜一憂するこころを
それはそれとして愛し受け入れて
その日まで味わい尽くしていきたいと思う。

Beat

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