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私の英国物語 Broadhurst Gardens NW6 (30) Liberty's

ミセス・マーティン宅のドローイング・ルーム兼リビング・ルームには、ダーク・オレンジ、エンジ、ブラウンを基調にした the Art Nouveau のフローラル・パターンのカーテンが設えられていた。
古いグランド・ピアノや重厚な趣のサイド・ボード、ソファなどの家具・調度品やダーク・ブラウンのカーペットにもよく合っている。
この独特なデザインは、“Liberty Print” とよばれる Liberty's のファブリックで "Ianthe" (アイアンシ) というパターン。フランスの著名なアール・ヌーヴォー・デザイナー René Beauclair によって、1900年頃に制作された。
"Ianthe" は、ギリシャ語で 紫の小さな花を意味し、スミレをモチーフにしたとされる。

Liberty's は、Tudor style の Half Timber で建てられた建物で、Oxford Street や Regent Street に建ち並ぶ建物とは一線を画している。
建物だけでも見る価値がある Liberty's へと、セールで賑わうショッピング街へバスに乗って出かけた。
Regent Street へ入ってすぐに下車し、 Soho の Great Marlborough Street へ歩いていくと、Liberty's の壮大な建物が見えてくる。

Liberty’s の歴史は、創業者 Sir Arthur Lasenby Liberty の揺ぎ無き大いなる志と挑戦に始まる。
1843年、Chesham, Buckinghamshire の織物や生地の販売を生業とする家に生まれた Arthur は、16歳の時にレースを販売する叔父のもとで働き、後に、ワインの取引をする別の叔父のもとで働いた。その後、生地店の見習いとして働いていたが、1862年、ロンドンの Regent Street にある婦人服専門店 Farmer and Rogers に仕事を得る。この年は、第2回ロンドン万国博覧会が開催された年だった。

1862年5月1日から11月1日まで、London International Exhibition on Industry and Art 1862, Expo 1862 (第2回ロンドン万国博覧会) は、the Royal Society for the Encouragement of Arts, Manufactures and Commerce (RSA)(王立美術製造商業協会)の後援で、South Kensington の the Royal Horticultural Society (王立園芸協会) のガーデン付近、現在 the Natural History Museum と the Science Museum が建つ場所を会場に開催された。
この万国博覧会には39カ国が参加し、会期中6,096,617人が訪れた。

1875年、Arthur は、将来の義理の父から£2,000を借りて起業。3人の専任スタッフを雇い、自分の店 Liberty & Co. を 218a Regent Street に開店した。
Liberty が日本や東アジアの国々から買い付けた織物、装飾品や美術工芸品は、当時、東洋に魅了された上流階級の人々に人気を博し、室内装飾や衣服にも変化をもたらした。
商売は成功し、近隣の建物を購入して事業を拡大していき、そして、借金は1年半で完済。

1884年、パリのファッション界に挑戦し、著名な建築家で the Costume Society の創設メンバーの一人である Edward William Godwin を迎え、生地と衣服を自社生産するコスチューム部門を創設。
1885年、142–144 Regent Street の土地と建物を取得し、建物の名称を出身地に由来する “Chesham House” と名付けた。 ここでは、これまで要望の高かったカーペットと家具の部門を創り、地下の装飾品の部門は ”the Eastern Bazaar” とした。
衣料品と調度品にも自社の生地をつかい、Liberty は、ロンドンで最もファッショナブルな店となる。

1890年代には、多くの自国のデザイナーを起用し、当時流行していたアール・ヌーヴォー様式を取り入れた商品で業績を伸ばし、”Art Nouveau” の発展に寄与した。そのため、イタリアではアール・ヌーヴォーといえば、"Stile Liberty” と言われたほどだった。
 
Liberty は、更なる志を胸に Great Marlborough Street に新店舗の建設を決定、Regent Street の既存店舗で営業をしながら建物の完工を待つこととした。
Liberty は、Edwin T. Hall and son Edwin S. Hall に設計を依頼、そして、1922年、Higgs and Hill が建設を請け負った。

1920年代は、英国の繁栄した時代で職人技が反映されたチューダー時代の建築様式が再び人気となった、Tudor revival の時代であった。
新しい Liberty (地上5階 地下1階)は、英国海軍の古い木造の三層甲板戦艦 HMS Impregnable と HMS Hindustan、2隻からの木材を使用して建てられた。
船のデッキ部分は、店舗のフロアの床に使用されている。
HMS Impregnable は、英国南部 Hampshire、New Forest の樹齢100年のオーク材3,040本で建造された戦艦であり、HMS Hindustan の船体は、新店舗の長さと同じである、と記録されている。

新店舗は、3つの atrium (ガラスの屋根から自然光を取り入れた吹き抜け)を中心に設計されており、それぞれのアトリウムは、家にいるような雰囲気を感じるように暖炉や家具を設えた部屋で囲まれるように設計された。
柱や壁、階段などの内装には、チューダー様式の特徴である、緻密な彫刻が職人によって施されている。
店内の移動は、階段と装飾が施された Lift が設置されている。

1997年、建物は、英国重要建造物 Grade II に指定された。

残念なことに、Arther は、新店舗の完工(1924年)を見ずにして、1917年に亡くなったが、彼の志は今も受け継がれている。
Liberty では、最新流行のハイ・エンド・ブランドの衣服や服飾品、化粧品の他、家具や雑貨、ギフト商品などを取り扱っている。
オリジナルのリバティ・プリントは、定番ものから新作、セール品まで揃い、生地の種類もコットン、デニム、ジャージー、シルクと様々で、1m 単位で計り売りされている。
また、専門のショーウィンドー・ディスプレイ・チームが設える、特にクリスマスのディスプレーは評判である。

Liberty が最初に東洋の絹を輸入した国が日本であり、従業員も日本人が雇用された。それから100年余りの時を経て、1978年、アイデアの影響を受けた日本へとリバティのファブリックが輸出されるようになる。1988年には、日本に子会社が開設された。

チューダー様式の重厚な雰囲気の店内を歩いていると、まるで大きな邸宅の中を歩いているような気分になる。
そして、リバティ・プリント “Bournham” パターンのアドレス・ブックを購入。
このアドレス・ブックには、英国で出会った友人たちのアドレスを書き込んでいった。

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