4月になれば

旅の記憶を現像するもの~カーニャクマリで読んだ”四月になれば彼女は”~

1月末から10日ほど、研究を放り出し、南インドへ一人旅に行っていた。
筆を執るまでかれこれ一か月を要してしまったのには訳がある。

帰国直後、Google photoに保存した約700枚の写真やEvernoteに記録していた思い出をスクロールする。
旅の途中で出会った様々な人の顔が、アナログ写真を現像するかのようにぼんやりと浮かんでくる。
すぐにnoteに纏めようとキーボードを叩くが、どこか覚束ない出来栄え。
どうにかして自分の体験を加工なしで文字に落とせないものかと悩んでしまった。
その結果、以下のような〆の文章だけが、下書きとして1か月もの間
冷凍保存されていた。

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大学院という狭い世界で生きる日々
就職等の人生の岐路に立ち、見え隠れする様々な思惑
多くの大学院生にとって、そうした繊細な時間を迎えているのかもしれないそうした中で、自分の中の ”優しさ受容体” なるものに
多くのサビが付着していたことをわからせてくれた

そのサビは、狭い世界の中で、自分と他人との比較を始めるや否や、水分が付着した鉄のように徐々に色味と光沢を失い、最終的に腐敗させる

そのサビは、一人では決して拭い去ることはできないらしい

インドで出会った人々の顔、そして風景が目に浮かぶ東京の夜

もう会うことはないような人々に支えられて、今の自分が構成されている

そんな実感が筆者を一人旅に駆り立てるのか
 
そんな大学院生活である。

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この旅で自分が本当に思ったことは何だったのか。
少しばかりひねった表現で、人との一期一会について書き下すことなのだろうか。

友人や家族が尋ねてくる。

”インドはどうだった?”

”とにかく人が優しくて、食事も美味しくて、お腹も壊さずに楽しめた”

”旅の共有”とは難しいもので、言葉にすると陳腐化する。
そんなことを考えていたら一か月が経過していた。

だが、時が解決する、なんていう言葉があるように時間と共に記憶のコントラストが鮮明化し(時に美化ともいう)、フォーカスが絞られてくる。

現地で採取したデータを写真という実像に変換し、ベッドの横の壁に固定された麻紐へ、ウッドクリップを使って、記憶と共に留めていく。

最も心が揺さぶられたもの

それは紛れもなく、インド最南端のカーニャクマリで見た朝日であり

そして、行きの成田空港でふと手に取り購入した一冊の本と結びついた
その場に自分が立ち会ったという実感であったのだ。

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黄色のバックパックとネイビーのサコッシュ、緊張と興奮を両肩に引っ提げて成田空港へと向かう。

年始1月3日に入手したインドビザを懐に隠し持ち、制限エリアを通過する。
登場まで一時間近くあったので、チェンナイまで10時間の空の旅に備え水を購入する。

重い荷物を背負ってうろついていると本屋が見えた。そこでふと、南インドの予習をしていた際に見つけた、カーニャクマリが登場する小説があることを思い出した。

カーニャクマリについて説明をしておくと、インド最南端の港町であり、インドで唯一太陽が東の海から昇り、西の海へと沈んでいく。
アラビア海、インド洋、ベンガル湾が交差する場所で、ヒンドゥー教の聖地とも呼ばれる場所である。
あえて、トラベルサイトの紹介文と写真を載せてみようと思う。

そんなマニアックかつロマンティックな場所が登場する
しかも、”モテキ” ”君の名は”といった映画の制作にも携わった著者の執筆した、比較的新しい小説である
出発まで買い渋っていたが、せっかくなのでカード払いで購入した。

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四月になれば彼女は

”4月、はじめて付き合った彼女から手紙が届いた。
そのとき僕は結婚を決めていた。愛しているのかわからない人と。
天空の鏡・ウユニ塩湖にある塩のホテルで書かれたそれには、恋の瑞々しいはじまりとともに、二人が付き合っていた頃の記憶が綴られていた。
ある事件をきっかけに別れてしまった彼女は、なぜ今になって手紙を書いてきたのか。時を同じくして、1年後に結婚をひかえている婚約者、彼女の妹、職場の同僚の恋模様にも、劇的な変化がおとずれる。
愛している、愛されている。そのことを確認したいと切実に願う。けれどなぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去っていってしまうのか――。
失った恋に翻弄される12カ月がはじまる。”

主人公の藤代と結婚間近の相手・弥生。大学時代の写真部の後輩で昔付き合っていたハルから突然届いた手紙から始まり、現在と回想が交互に入れ替わりながら、繊細な色彩と音色をもって物語が進んでいく。
藤代とハルの甘くほろ苦い青春の思い出と別れが描かれ、それが現実とリンクしてくる。

ハルが写真部に入部して間もないシーンで、藤代とのこんなやり取りがある

”雨の匂いとか、街の熱気とか、悲しい音楽とか、嬉しそうな声とか、誰かを好きな気持ちとか、そういうものを撮りたい” 

”全部、写らないものだ”

”はい。でも確かに、そこにあるものです。カメラを持って歩いているのは、写らないけれども美しいと思えるものに出会いたいから。そのときここにわたしがいて、感じていたなにかを残すためにシャッターを切ります”

”僕にはきっと撮れないな。だけど、そういう写真を見るのは好きだよ” 
                        文庫版P23.24より抜粋

ハルの撮る写真は、薄い色の世界に中に閉じ込められている。
ハルの繊細で儚い人物像が、薄くもビビッドなフィルターを通して文字から伝わってきた。

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南インド一人旅の1.2日目はチェンナイに滞在した。
初めてのインドに緊張と高揚を覚え、読書は全くしなかった。
朝の寺院での瞑想、初めて食べる南インドカレー、牛や羊のいる道路、世界有数の長いビーチでありベンガル湾に臨むビーチ、現地で見るタミル映画、時折現地の人と写真を撮ったりして楽しんだ。
写真:ラーマクリシュナマト寺院

3日目にチェンナイからバスで南へ二時間ほど行ったマハーバリプラムに滞在し、そこで初めて本を開いた。
世界遺産にも登録されている遺跡のある街で、炎天下の仲歩き回ったせいか、ずいぶんと疲弊した。
夕刻のビーチにて出会ったインド人のバラと意気投合して夕食を食べたりもした。
疲れをとるために早めに宿へ戻り、寝る間際に1/3ほど読んだだろうか。
写真:バターボール

4日目、マハーバリプラムの朝日を眺めてから、再び南へバスで移動し、ポンディシェリーという街へ着いた。旧フランス領でコロニアルな街並みで、カレー以外の料理にようやくありついた。
海岸沿いのプロムナードは、昨年訪れたニースにも似ていて、リゾート地のような雰囲気を漂わせていた。
写真:プロムナード


ホームステイ先の家族はとても優しくしてくれたし、街歩き中に旅しているアッサムから来た男性と喋ったりと、インド旅にも小慣れてきてリラックスしていた。ここでも夜に本を読み進めた。

ようやく文中に ”カーニャクマリの7文字” が出てきた。

藤代とハルが学生時代に旅行で行った場所で、その時は朝日は見れなかったらしい。
自分も、藤代とハルと同じような体験をするのだろうか。
翌日には夜行バスでカーニャクマリへと向かう。
いよいよ近づいてきた、という実感が湧いてくる。
インド最南端の天気予報をチェックしながら、期待を胸に眠りについた。

5日目、日中はポンディシェリーの街周辺を観光し、夕刻のビーチで黄昏れ、前日と同じレストランでフレンチのディナーを食べ、夜21時に宿に戻る。
残り1/3となった小説をカーニャクマリの朝日を見るまでに読み切らねばならない、という使命感を覚えバスの中で読み進めるが、眠気に負けて進まず。

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6日目、朝6時頃,、バスの窓から差し込む眩しい朝日で目を覚ました。
バスを降りると、涼しい風が道路を吹き抜けた。
ホテルに荷物を置き、さっそく最南端へと向かう。

眩しい太陽の光が反射し、キラキラとした海の上に、巨象が立っているのが見える。
ついに着いたのだ、カーニャクマリに。
思い描いていたヒンドゥー教の聖地に。


最南端の田舎町であることもあってか、時はゆっくりと流れており、どこか神秘的な気持ちにさせてくれる場所だ。

写真の左手にある小さな島には船で渡ることができ、インド人観光客とともに、観光ボートに乗り込んだ。

島の施設を見学し、寺院の外にある縁側の日陰に腰を掛けた。
読み終わっていない本を手に取り、少し強めの海風が吹く中、最後まで読み切った。
カーニャクマリは、ラストシーンの舞台となっていた。
藤代が朝日を見に行く描写があり、ついに明日に迫ったその光景を頭に思い浮かべた。

ボートで街へ戻り、ぼおっと歩き回っていると、ポートの先で漁師二人組に合った。
その二人が、小説のように、片言の英語で伝えてくれた

”あの海は、特別だ。インド洋とアラビア海とベンガル湾、3つの海が交差する聖地だ”  P.266 タクシー運転手のセリフより

夕方になり、街から2kmほど離れたサンセットポイントへ歩いて赴く。
アラビア海に沈みゆく夕日に思いをはせ、ポンディシェリーのレストランで流れていて、Shazamで検索した曲をかけながら、一人岩場に座っていた。

それはそれは美しい夕暮れで、太陽が沈んだ空は、雄大で、美しい青とオレンジのグラデーションが広がっていた。

街までの帰り、一人旅をしていたインド人男性と30分ほど喋りながら帰路についた。
いよいよ明日、朝日を見るのだ。
あの、ハルと藤代が見れなかった朝日を。
そんなことを考えながら、目覚ましを5時半にセットして眠りについた。

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まだ暗い道路、人もまばらである。薄ら寒い空気の中、駅前のホテルから海岸まで10分ほど歩く。ぽつぽつと空いているチャイティーの屋台には、地元のおじさんがちらほら見受けられる。

藤代が駅から海へとタクシーで向かったルートと同じように進む。

”道が、大きな弧を描いた。” P271

海の真横にある沐浴場には、まだ日の出まで1時間ほどあるのにも関わらずすでに人が集まっていた。

近くの石段に腰をかけ、朝日を待つ。
遠足なのだろうか、小学生10人ほどが自分の左右の隣に座り、まだ暗く、ライトアップされた巨象の方向を見ていた。
その隣には、青いシャツを着た男性が座っており、子供たちと時々会話していた。

近くの街灯の明かりが消え、歓声が上がる。
サリーを身にまとった女性たち、浜辺で海へと入る準備をしているヒンドゥー教の男たち、興奮を隠しきれない観光客。
皆が朝日を待ちわびていた。

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日の出の時間まであと数分。
雲がかかって太陽が見えそうにない。
ああ、自分も藤代とハルのように朝日を見れずに終わるのか、叶わない夢となってしまうのか。
そんなグレーの不安が、どっしりと僕の心の空を覆った。
やけに響くベルをかき鳴らしながら綿菓子を売る商人。
お前のせいだぞ、と言いたくなるような、そんな気持ちだった。
周りの雰囲気も、先ほどの高まりに比べると、諦めムードが漂っていた。
青いシャツの男性の顔も、子供たちと喋っていた時に比べ、神妙さが増している。

そんなとき、黄色の綿菓子が入った袋が膝に飛んできた。
隣の小学生たちが、食べていいよ、と渡してくれた。
涙が出そうになったが、ぐっと堪え、感謝を伝えた。

ふと後ろを見れば、サリーを着た女性たちが胸の前に手を合わせ、目を瞑って祈りをささげている。

まだ終わっていない。太陽は現れる、絶対に。
そんな希望が湧いてきた時だった。

”水平線が滲みながら揺らぎ、朝日があらわれた” P.271

待ちわびた朝日に、口笛や言葉にならない声をあげる観衆

隣の小学生たちは、先頭の一人が叫び出すのに刺激され、皆が叫ぶ。

後ろのサリーの女性たちは相変わらず、祈りをささげている。

思わず自然と涙がぼろぼろと溢れ、視界が、薄い世界の中へと閉じ込められるような、そんな感覚を覚えた。

”滲む視界の先に広がる群集が朝日を受けて、黄金色に光っている。

太陽はじわりじわりと天空へと昇り、海岸をオレンジ色へと染めていく。

巨大な石像が、この世界に生きるすべての人を見守るかのように、海上から見つめている。

空が、青から黄色に変わり、しだいに白く溶け合っていく。” P.274

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太陽がすっかり照りつけてきた頃、海岸を一人歩いていると、先ほどの青いシャツの男性と遭遇した。
彼は、インドの様々な聖地を旅しており、旅で感じたインド人の優しさや美しさを嬉しそうに語ってくれた。
次の行先は、ラーメースワラムという、これまたカーニャクマリと並ぶ海沿いの聖地で、朝日を見に行くらしい。

男性と別れ、朝食を食べてホテルに戻る。朝10時の電車でフォートコチへ向かった。

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フォートコチに2泊し、チェンナイへ戻って1泊し、成田へと帰国した。

チェンナイでの最終日、1週間前では入れなかったような小汚いお店に入って朝食をとっていると、店員のおじさんが話しかけてきた。

”どこに行ってきたの?”

”南インドを旅してきて、カーニャクマリの朝日がとても綺麗でした”

”おお!自分はカーニャクマリ出身なんだよ。あれは本当に美しいよね。”

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さて、このnoteを書き上げる直前に、自分が悩んでいたことは何だったのだろう。

”旅の共有”とは難しいもので、言葉にすると陳腐化する。
そんなことを考えていたら一か月が経過していた。

南インド一人旅を通して、自分が誰かに、どうしても聞いてほしいと思ったこと

それは ”全部、写らないものだ”

無理に理解されようとしなくてもいい。
他人に伝えるには、少々難しい。

でも、少なくとも、上に挙げた日の出の動画には、
写らないけど、永遠になくならない
そんなエッセンスが、現像されている気がするのだ。

記憶、という薄い世界にずっと生き続ける風景や人々

そして、それを教えてくれた

”四月になれば彼女は”​

そんな大学院生活である。

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