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「あの頃、確かに球場にいた」思い出(1)

こんにちは。20世紀応援団アーカイブです。 この度、Twitterにて、「皆様が大切にしているあの頃の思い出」を募集しました。
正直、「1通もこないかもねぇ」「その時はほら、出直し!しましょう」なんて言い合っていたのですが、予想を超える方々から応募をいただき、一同感激しています。本当にありがとうございました。

今回は、応募いただいた思い出の一部をご紹介いたします。同じ時代に球場にいた方もそうでない方も、「あの頃」に思いを馳せていただければ幸いです。

昭和の頃は応援団(燕軍団)も内野にいましたので、家族で内野観戦が多かったため、今は外野観戦中心、燕軍団も外野という異なる環境でした。
79年だったと思いますが、応燕団の方と目が合って、「お坊ちゃんももっと大きな声で!スコット!スコット!」と目の前でロックオンされてしまったので、恥ずかしがり屋の小学生の私は、「スコット!スコット!」と大きな声で応援しました。

以来、大きな声で応援することができ、そう楽しみを教えてくれたのは、燕軍団の岡田団長でした。

年齢:50代 よく行っていた球場:神宮球場

往時の岡田団長をご存知の方であれば、目に浮かぶ光景でしょうか(笑)。 子供や外国人観光客を一日応援団長に仕立ててしまうのは、団長の得意技でした。
79年(昭和54年)のスワローズといえば、前年の初優勝・日本一の狂乱も束の間、瞬く間に最下位へと転がり落ちてしまったシーズンです。その中で孤軍奮闘ともいえる活躍をしたのが、新外国人のスコット選手。「スコット!チャチャチャ!」という応援のリズムをご記憶の方も多いかもしれません。
そんな厳しいシーズンであっても、このように思い出として残っている試合があったというのは、とても感慨深いものがありますね。

高校生の頃、古田さんをバラエティ番組でお見かけしてヤクルトスワローズのファンになりました。初めて行った球場は地元の横浜スタジアム。内野と外野、どちらのチケットを取っていいかもわからず、とりあえず3塁側内野席の1番安い席を買い、おひとり様観戦。その時、内野から見た外野席の応援が楽しそうで神宮によく行くようになってからは専ら外野席。晴れているのに大きい緑のビニール傘を持って。
高校3年生の夏、仲良くなった同じ学校の子がヤクルトファンで意気投合。1995年8月6日、古田さんの誕生日に一緒に神宮へ行こうということになり、前日画用紙に「古田さんお誕生日おめでとうございます」と書いた紙も用意。横浜駅で一緒に東横線に乗り込み、神宮へ行ったことを今でも思い出します。試合は、突然の雷鳴のせいで現在ロッテの監督の吉井さんが乱調で広島に負けてしまい、ガッカリしたこともよーく覚えています(笑)

年齢:40代 よく行っていた球場:神宮球場

詳細な日付の記載までいただき、ありがとうございます。確かにこの試合、吉井投手の乱調でスワローズは黒星を喫しています(笑)。気になって「吉井 雷」で検索したところ、ドンピシャな記事もヒットしました。
https://bunshun.jp/articles/-/36928

私も、吉井投手と言えば、雷のイメージがあります。あとは大阪ドームで謎のレーザーポインターに襲われたり…不運な印象も多い投手でした。もちろん、めちゃくちゃ素晴らしいピッチャーでしたよ、念のため!野村監督をして「あれこそがプロのピッチャーだ」と言わしめたという記憶もあります。

当時のスワローズはオフシーズンにテレビによく出演していて、それをきっかけにファンになる方も多かったと記憶しています。城選手がコールされた時だけ、やたら女性の歓声が目立ったり…(笑)。そうそう、ビニール傘も当時は普通サイズだったので、満員になったスタンドが東京音頭を歌う際は、誇張ではなく緑の絨毯に見えたものです。
ちなみに、晴れた日にビニール傘をもって球場へ来てくれるファンの方への感謝を、岡田団長はこのように語っています。


今回ご応募くださった皆様、ありがとうございました。引き続き皆様の「あの頃の思い出」を募集しています。今回ご紹介しきれなかった思い出も、近日中に掲載したいと思いますので、ぜひ気長にお待ちください。


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