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会うは別れの始め~ホームステイの思い出~

梅雨らしい雨の朝、ホストマザー(Anne)の訃報を知った。
今年の誕生日で72歳になるはずだった。肺炎だったそう。

ちょうど12年前の今頃、語学留学のためにカナダに渡航した。
10ヶ月の滞在中、ずっと同じお家でホームステイしていた。そのお家のホストマザー。
最初にエージェントの人から「Easy goingな人」だと聞いた。
Easy goingがイマイチわからず、適当ってことか聞いたら、「適当とは違う。とにかくEasy going」と言われ、わかるようでわからなかった。

今ならわかる。Anneを形容するのにEasy goingほどピッタリな言葉はない。陽気とも適当とも違う、とにかくEasy going。そしてとても愛情深い。

この週末は在りし日の留学生活に思いをはせながら過ごした。
ホストブラザーへ私が撮ったAnneや家族の写真を送ろうと、大量の写真を振り返った。
文化の違いにとまどったり、驚くことがいくつもあったホームステイ生活。
懐かしい話を振り返ってみたい。

食事

私の通っていた語学学校では、大半の留学生がホームステイをしていた。
移民の多いカナダにおいても、田舎だったため12年前当時では基本的にみんなローカルな家庭にステイしていた。Anneの家もそうだった。

朝は各自でトーストやシリアル。
ランチは夕食の残りかサンドイッチ。
バターは常温保存。やわらかく塗りやすいバターをパンにたっぷり。
ピーナッツ「バター」にもバターを塗る。
夕食はお肉にポテト、食後にはスイーツ、野菜は生野菜、ブロッコリーも生。マッシュルームも生。たまに茹でた野菜。ピザの登場回数も多い。
魚はたまにサンドイッチにツナ缶くらい。

感謝祭やクリスマスにはターキー(七面鳥)。ターキーにはグレイビーソースかクラベンリーソースをかけるのが一般的。
ちなみにそのターキーは前もって安売りのうちに買って冷凍しておく。どの家庭にも冷蔵庫の他に単独の冷凍庫があり、その中にはセールの戦利品が入っていた。

私は食べることは大好きだけど、グルメな舌ではないようで、カナダな食生活にもすぐに慣れた。最初の頃はスイーツが甘すぎに感じたけど、最初だけ。甘くて食べきれなかったアイシングクリームやバタークリームのケーキも、いつの頃からか余裕で完食するようになった。

食後のデザートはウォーカーのショートブレットを大きな丸形にしたようなクッキーや、オートミールのこれまた大きな丸形のクッキーが出ることが多かった。たまにレモンメレンゲパイやアップルパイなどのパイ(アイス付)。
それかAnneの手作りスイーツ。よく一緒に作った。
シナモンロールやスパイダークッキー、バナナブレッドが定番だった。
シナモンロールは日本で売っているようなフワフワした生地ではなく、小麦粉で作る発酵しないタイプのものだった。それにたっぷりのバターと砂糖が混ぜ込まれたシナモンパウダーを巻いて焼く。
スパイダークッキーは日本では見たことがない。オーツとココナッツフレークを使ったチョコクランチのようなもの。焼くのではなく、冷やし固める。
これがすっごく美味しくて、大好きだった。

バナナブレッドは大らかなカナダ人にとても向いているケーキだと思う。「えっ大丈夫!?」ってくらい黒くなったバナナを使うほど、美味しいから。
カナダ人に比べてせっかちな日本人の私はそこまで待てず、日本に帰ってから作ったけどバナナの甘みが足りなかった。

誕生日や特別なときに出るケーキは大きな長方形か、日本と同じ丸形。見た目は日本のものと同じで、生クリームを使ったケーキに見える。
が、実際はどれもバタークリームでとても甘い。初めて食べたときは衝撃だった。少なくても私がいた地域のお店では、日本にあるような生クリームのショートケーキは見たことがない。
乳製品が美味しかったから、生クリームももっと一般的でも良いと思うけど、日持ちがしないから向かないのか。週末に大量のまとめ買いをする人が多い。

ホームステイをして、着々と増えていく体重を見て気づいた。
同じ釜の飯ではないけど、毎日同じものを食べて生活している。
ということは、ホストマザーの体系が未来の自分だ。典型的なカナダ人体系だったAnne。帰国する頃には私も8kg太っていた。ジムにも通ったけど、ハイカロリーな食生活にまったく追いつかなかった。そのまま今に至る。

お金の話

ステレオタイプだけど、関西人並みにざっくばらんにお金の話をする。
これには驚いた。Anneだけがそういう性格なのかと思ったけど、そうではない。周りや、その後ワーキングホリデーで働いたときの経験などからいってもそう。

ケチとは違う。
ただとにかく躊躇なくという感じ。

たとえばどこかに一緒に出かけることになったとする。
そういうときは事前に「〇〇は私が出すから、△△は自分で出して」とか「××ドルくらい自分で出してもらうけど、行く?」など、日本人だったらちょっと聞きにくいけどどうなんだろう、、、?ということをしっかり話題に出してくれる。

ちなみにホームステイ費用以外にお金が発生したとき、向こうが出してくれるかはそのお家による。

田舎だったため、持ち家でプール付きだったり、セカンドハウスがあるというホストファミリーも散見した。
Anneの家は地下も入れて4LDK + バストイレ + トイレという間取りの賃貸タウンハウスだった。日本人の感覚からしたら十分なサイズのお家だったけど、Anneはシングルマザーだったこともあり、裕福なお家ではなかった。
日本ほど貯金しない文化もあると思うけど、基本的にその日暮らしな感じだった。カナダは年金制度が日本より充実しているようだったから、それでも生活できるのだろう。

ホームステイ費用は、3食 + 語学学校への送迎 or バス代込み。
たまに夕食や休日のブランチに一緒に外食したり、映画を見に行くこともあった。
小学生か!と突っ込みたくなるけど、食器を洗ったり家事を手伝うと「今度、映画行くときに私が出すわ」と言ってくれた。笑。
だから大体、映画代は出してもらっていた。

ちなみに当時22歳で一緒に暮らしていたホストブラザーも、たまに掃除など手伝ってお小遣いをもらっていた。笑。

外食は、出してもらったときと自分で出すときとあった。
3食付きなのだから、基本は出してくれるべきと思う人もいるかもしれないけど、そこは各家庭によりけり。日本よりピザやファーストフードを食べる頻度が多い。そういうファーストフードは出してくれる。Anneもそうだった。

そんなに頻度は多くなかったけど、レストランで外食したときは自分で払うこともあった。私の分を出したくないのではなく、単純にそのときの懐事情だったと思う。お金に余裕があったら出してくれるし、厳しそうなときは自分で出してねという感じ。

あと少しビックリなのは、冬に語学学校へ行くときのタクシー代。
Anneの家から語学学校までは歩いて30分程だった。歩くのも楽しかったし、冬以外は歩いて通っていた。あとはバスチケットを買ってもらい、たまに天気が悪いときはバスに乗っていた。

カナダの冬は寒さと雪が厳しい。
住んでいた地域も、冬はずっと雪に覆われた景色だったし、気温はマイナス10度くらいが普通。風が吹くと体感はさらに寒くなる。
さすがにそんな中、毎日歩くのは無理だし、バス停までもやや距離があったから、特に朝は無理ということで送迎してもらうようになった。
が、Anneは朝がとても苦手だった。だからAnneが起きれないときは、ダウンタウンに通勤する近所の人に乗せてもらったり、そうじゃないときはタクシー代をもらってタクシーで通っていた。
最初にタクシーに電話したときは私の発音が悪くて全然聞き取ってもらえなかったけど、そのうちツーカーで通じる常連さんになった。

家族との差

12年前当時のホストファミリーは、The カナディアンな家庭が多かった。友人のステイ先のファミリーに会う機会もあったけど、大らかなカナダ人のイメージそのままの人ばかり。

缶詰ばかり出るとか、独特の民族料理が出るとか、会話や交流がないといったお家は聞いたことがない。
滞在中に誕生日やクリスマスを迎えたら、どの家でも留学生にもプレゼントを用意してくれていた。クリスマスの前には、語学学校の先生から「ホストファミリーは必ずあなたたちにもプレゼントを用意している、あなたたちも何か用意した方が良い」と言われたくらいだ。
カナダ人のプレゼントは、完全に質より量。高価なものを用意する必要はない。キャンディーやチョコの詰め合わせ、ボディソープやボディクリームなどで十分。それを家族や友達みんなに渡す。

ただそれ以外の家族の行事などに関しては、温度差を感じたという話も聞いたことがある。孫の誕生日会があったけど特に声をかけられなかった、夜は鍵がかかって入れないエリアがある、とか。

これは自分が仮にホスト側になったらと考えると、仕方のない部分もある。そもそも、見ず知らずの他人と家族のように一つ屋根の下で暮らすということ自体がすごい。わかっているのは身元と、留学する経済力はあるということだけだ。

一生に一度の受け入れであれば、せっかくなら本当の家族のようにと思うかもしれないけど、留学生を受け入れているお家は常に登録しているようだった。根本のカナダ人の気質がフレンドリーで大らかで、人を迎えるのが好きな人が多いとは思う。それでも合う合わないもあるし、長く続けていれば色んなことも起こるだろう。ある程度はビジネスと考えていても仕方がない。

それでもやっぱり留学生からしたら、日本の家族がいない異国の地で、ホストファミリーと自分との間に隔たりや疎外感を感じる瞬間があったら、寂しく感じることもある。特に年齢が若いほどそうだろう。

私が10ヶ月ずっとAnneの元にいて、しかも我が家のようにくつろいで過ごすことができたのは、これがなかったからだと思う。

Anneには息子が3人いて、長男はすでに子供がいて独立していた。
当時22歳の双子のホストブラザーズが一緒に暮らしていた。
ただ彼らももう自分たちの生活があったから、特別なとき以外は一緒にご飯を食べることはなかったし、Anneと2人で過ごしていた。

Anneはどこかに出かけるとき、基本的にどこにでも一緒に連れて行ってくれたし、Anneがお家で誰かをもてなすときは呼んでくれた。
Anneのお友達の家、お姉さんの家、生家での会、孫と出かけるとき、、、色々な場所に一緒に行った。
私を連れて行ってくれたAnneも、受け入れてくれた周りの人も本当に温かいと思う。私の誕生日のときには誕生日会を開いてくれ、Anneのお友達がプレゼントを持って来てくれた。
感謝祭のときにターキーディナーに来たAnneのお友達は、ホストブラザーズに渡すのと同じように私にもお小遣いをくれた。

Anneの60歳の誕生日会にも参加し、60歳の記念にクリスマスに予定されていた息子たちとの家族旅行にも一緒に行った。
これは最初は私は留守番の予定だったのだけど、色々とあって最終的に一緒に行くことになった。それでも、どんな事情があっても、家族旅行に他人も連れて行くなんてなかなかの懐の深さだ。

このすべての日々が、一人っ子で現在にいたるまで独身の私にとってはとても貴重な体験だ。まだまだ書ききれないたくさんの思い出があるけど、とりあえずこの辺にしておこう。

Anneとは6年前、旅行で再訪したときに会ったのが最後。そのとき、どうしてあなたのお母さんも一緒に連れてこないの?と言っていた。
今頃、空の上で、母に会っているだろうか。










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