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病気の話、仕事の話、琴線に触れた話、思い出、懐かしい写真、、、思うがままに。

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That is my life

Noteを始めたきっかけコロナ渦の2020年、全身麻酔の手術2回に救急車のお世話にもなるという怒涛の展開。 自分の人生と向き合うことになった日々。 そんな日々を綴ってみようと思って始めた。 病気の話、仕事の話、琴線に触れた話、思い出、懐かしい写真、、、思うがままに。 簡単な自己紹介仕事 → IT系。外資だけれど、社内英語難民。 趣味 → 動画・映画・ドラマ鑑賞、 読書、散歩、旅行 健康 → 2020年、36歳で乳がん告知。治療中 夢 → 子供の頃からカナダの四季を

    • 持病持ちの海外出張〜準備、気をつけたこと〜

      以前に書いたこの記事の続き。 つつがなく工程を終え、帰ってくることができた。 準備や滞在中に気をつけたことをまとめてみたい。 持病について私の持病は、乳がん治療中であること。 今回が4年前の告知後、初めての海外だった。 治療薬の副作用については日常生活で工夫するしかないため、海外であろうと変わらない。定期的に通院している状況で、急に乳がん手術が必要になる可能性も考えにくい。リスクとして考えていたのは、手術の後遺症。 センチネルリンパ節を切除している。リンパ節郭清の方に比

      • 旅先の決め方~日本制覇に向けて~

        このアプリを使っている。 訪れたことのある、都道府県や国を記録できるアプリ。 今のところマークできているのは↓ 国内 → 29/47都道府県 海外 → 8/196ヵ国 さすがに海外196ヵ国制覇は無理だけれど、日本国内は制覇したい。 海外はせめて大陸制覇と思うけれど、南極、南米、アフリカは訪れそうもないから、オーストラリアかニュージーランドに行って、南半球に足を踏み入れてみたい。 現在40歳で、29都道府県を訪れている。87歳まで生きるとするとなかなか良いペースに思える

        • ホルモン治療と婦人科と凹み~5年か10年か~

          もう少しでノルバデックス(タモキシフェン)を飲み始めて4年が経つ。 当初「タモキシフェン単独&5年予定」で始めた。 半年が経った頃、卵巣に副作用(元々あった子宮内膜症の悪化、卵巣の腫れ)が出てしまい、ゾラデックスも追加された。 ゾラデックスを打ち始めてからは、卵巣の方は落ち着いていた。 それが最近、再びざわついてきた。 婦人科定期健診で子宮内膜の厚さを指摘される半年ごとにエコー、1年ごとに子宮頸がんと子宮体がんの検査を受けている。 そのエコーの日、子宮内膜が5.5mmに

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        • 仕事の話
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        • Breast Cancer
          75本
        • 子宮のこと
          11本

        記事

          田舎への憧れ

          私は東京育ちだ。 都心部ではなく郊外の方だけれど、留学とワーキングホリデー期間を除き、一人暮らしの現在もずっと東京にいる。 子供の頃は田舎暮らしに憧れた。 祖母の家は、まさに童謡の「ふるさと」に出てくるような田舎だった。 大黒柱、縁側、土間、いわゆる「ぼっとん」のお手洗い。 自家製の梅干しや味噌を保管する小屋。 納屋に牛小屋。 山からの水。 採れたてのとうもろこし。 朝になると聞こえてくる牛の声。 家の中に入ってくるオニヤンマ。 東京での暮らしとは違う生活がとても新鮮で

          田舎への憧れ

          満足感と納得感と救い〜45年前の旅〜

          今年は別れの多い年。 信頼していた先生の引退、友人の引越し。 そして母が空へと旅立って行き、カナダでお世話になったホストマザーも同じく。 人生が後半になって来たことを感じる。 近しい人の「死」と向き合うとき、その人の生前に想いを馳せずにはいられない。 幸せだっただろうか、楽しいことの多い人生だっただろうか、悔いはないだろうか、、、。 母は20年以上、闘病していた。 辛いことや苦しいことの方が多かったのではないかと思ってしまうこともある。 その間、花嫁姿や孫を見せるどころ

          満足感と納得感と救い〜45年前の旅〜

          宝くじ感覚で採用エントリーしたけど撃沈した

          ネットサーフィンをしていると、たまに広告に求人情報が出てくる。 いつか私が検索したときの名残なのか、ITの仕事をしている私に合った求人が表示される。 特に転職活動を考えているわけではないし、エージェントや求人サイトに登録もしていない。求人広告が出ても、普段なら見ない。 が、あるとき破格の求人が目の端をとらえた。 驚いて二度見した。これまで見たIT求人の最高額。 IT業界で高年収だと言われている、野村〇研のコンサル求人よりも良かった。 驚いて詳細を見に行った。 最高額は私

          宝くじ感覚で採用エントリーしたけど撃沈した

          会うは別れの始め~ホームステイの思い出~

          梅雨らしい雨の朝、ホストマザー(Anne)の訃報を知った。 今年の誕生日で72歳になるはずだった。肺炎だったそう。 ちょうど12年前の今頃、語学留学のためにカナダに渡航した。 10ヶ月の滞在中、ずっと同じお家でホームステイしていた。そのお家のホストマザー。 最初にエージェントの人から「Easy goingな人」だと聞いた。 Easy goingがイマイチわからず、適当ってことか聞いたら、「適当とは違う。とにかくEasy going」と言われ、わかるようでわからなかった。

          会うは別れの始め~ホームステイの思い出~

          高額療養費と昇給〜働けど働けど我が暮らし楽にならず〜

          なかなか昇給しない私の職場。 均等割の年俸制(年俸を12で割った額が毎月支給)で、ボーナスは確約されていない。昨年は出なかった。 物価上昇の昨今、ボーナスが出ず実質年収が下がった昨年度。年度末の業績評価に昇給希望を明記した。 その後、持病のことなどもあり人事面談が実施されたときには、具体的な希望額も伝えた。 さすがに多少なりとも昇給してくれるだろうと、首を長くして待っている。 現在進行形で待っている。 現時点では何の便りもないけれど、全体的に昇給の不満は出ていて、人事側

          高額療養費と昇給〜働けど働けど我が暮らし楽にならず〜

          海外出張と持病持ちの海外旅行保険

          乳がん告知を受けてから4年。 コロナ渦からの円安で、未だ海外旅行はしていない。 それがついに渡航の機会が訪れる見込み。 希望していた海外出張に無事アサインされた。よしっ!と思い、上層部の承認がおりた10分後には航空券の手配をした。 最後に行った海外も出張だった。コロナ渦の1年ほど前。まだ健康だと思っていた頃。 私の職場では出張時の海外旅行保険は、会社のクレジットカード付帯のものを使うことになっている。当時は健康上の懸念もなかったし、内容は特に気にしていなかったけれど今は違

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          モヤモヤした話〜どこからがクレーマーか〜

          自分には非がない場面で、不利益や不整合を指摘したら結果的に予想外の利益を得た、ということがある。 そういうとき、どう対応するのが正解なのだろう。 その1、間違った値札とある大手アパレルメーカーで買い物をしたときのこと。 このお店は元々の価格設定がリーズナブルなこともあり、買いたい洋服を選んだときにしっかりとは値段を確認しなかった。 セルフレジが導入されているけれど、少し前に系列の別店舗で買い物をした際にセルフレジの不具合があった。 だから念の為、購入後に値札とレシートを確

          モヤモヤした話〜どこからがクレーマーか〜

          辛いと言う前に辛いねと言ってくれる

          緩和ケア病棟はそんな場所だった。 前回記事に自身の再発疑惑が払拭されたことと、母が入院したことを書いた。その後、母はあっという間に旅立っていった。 治療を続けるのが難しくなり、緩和ケア病棟に移って1週間だった。 一般病棟は面会制限が厳しく、週に1度15分のみだったけれど、緩和ケア病棟では毎日通うことができた。最後の貴重な時間を一緒に過ごすことができて、本当に良かったと思っている。でもそれはとても辛い時間でもあった。 これまでの入院とは違う。これまでは面会に行く度に元気に

          辛いと言う前に辛いねと言ってくれる

          悪性所見なし!

          術後3年半の検査をクリアできずに受けた生検の結果。 「悪性所見なし!」 検査結果に主治医が追記した一言。びっくりマークに主治医も嬉しく思ってくれている気持ちを感じる。 診察室に入るとき、ドアが鉛のように重かった。 帰りは空気のように軽かった。 ホッとした。本当に良かった。 結果は1人で聞きに行ったし、元々1人で行く予定だったけれど、この日の前日に母が緊急入院した。 20年前にステージ3の乳がんになり、10年前に骨転移してステージ4になった母。10年間は骨転移のみで抑

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          温存手術後のマンモトーム生検~痛さと凹み~

          術後3年半目の定期検査でひっかかり、マンモトーム生検をすることになった。 4年前はエコーで腫瘍を確認しながらの、コア針生検というのをした。これは黒ひげ危機一発とピアッサーを足して2で割ったようなものだった。組織を取る瞬間、バチンという音ともに衝撃波があった。 コア針生検とマンモトーム生検の違いをよく分かっていなかったけれど、マンモトーム生検の方が針が太いよう。マンモグラフィ画像で確認しながら取るため、その間ずっと乳房は挟まれたまま。組織を取るときの衝撃波はない。値段は私の

          温存手術後のマンモトーム生検~痛さと凹み~

          健側の予防切除はできるか

          先日の記事の続き。 かかりつけ医からの手紙と画像データを持って主治医のいる病院へ。 再診予約をするために電話をしたけれど、まっっったくつながらなかった。 何十回とかけ直してようやくつながった。 初診のときはかかりつけ医が予約してくれて、がん疑いともなると手厚いんだなと思ったけれど、放置してちゃんと受診しない人もいるからだろうか。 苦労して取った予約日。 「(主治医と)予想外に早い再会で残念極まりないです」と言いながら席についた。 画像データを確認していた主治医は、 「残念

          健側の予防切除はできるか

          続報〜病名、治療、職場へどこまで伝えたか〜

          過去に書いたこの記事のその後。 直属の上司(A課長)とは体調や治療のことを度々話していた。報告という仰々しいものではなく、日々の会話ややり取りの中で自然と話す感じ。 ただその上の部長や、人事には特に報告していなかった。 治療中となって以降、何度か部長が交代した。都度、A課長経由で伝えられ、その後、軽く聞かれたことはあるけれど、ホルモン治療のみとなってからは、特に状況に変化がないため、正式に何かを報告することはなかった。 (今回の出来事は先日、検査にひっかるより前にあったこ

          続報〜病名、治療、職場へどこまで伝えたか〜