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田舎への憧れ

私は東京育ちだ。
都心部ではなく郊外の方だけれど、留学とワーキングホリデー期間を除き、一人暮らしの現在もずっと東京にいる。

子供の頃は田舎暮らしに憧れた。
祖母の家は、まさに童謡の「ふるさと」に出てくるような田舎だった。

大黒柱、縁側、土間、いわゆる「ぼっとん」のお手洗い。
自家製の梅干しや味噌を保管する小屋。
納屋に牛小屋。
山からの水。
採れたてのとうもろこし。
朝になると聞こえてくる牛の声。
家の中に入ってくるオニヤンマ。

東京での暮らしとは違う生活がとても新鮮で楽しかった。
最終日にはいつも帰りたくなくて泣いていた。
ずっと東京より田舎が好きだと思っていた。田舎に住みたいと思っていた。

「〇〇ちゃん(私)は田舎には住めないと思うよ」
大学時代に地方出身の友人から言われた一言。

そのときは「そんなことないよー、住みたい」と思ったけれど、今思うとするどい一言だ。

今も田舎は好きだし、緑が多い場所も好き。
祖母の家の影響か、海より山の景色の方が好きだけれど、海に沈む夕日も好き。のどかにそんな景色を毎日見ながら暮らせたら幸せだろうなと思う。
思うけれども、それはきっと現実ではないから。
同じく現実的でない話の比較として、都心の高級住宅地に自分が思う理想の大きな家を建てて、家事はすべて代行で生活できたらそれもまた幸せだろうと思う。

どちらも非現実的な現実逃避の話として、楽しんでいるだけだ。

大人になって気づいたことがある。
私は田舎というより、祖母の家が好きだった。
曾祖母、祖母、叔父夫婦、従姉妹たち、集まる親戚。
そこにいる人たちをひっくるめた「祖母の家」が好きだった。
生活環境も人も、私の日常とはかけ離れていて異文化体験のように楽しんでいたのだと思う。

友人は私が田舎に住めない理由を「△△もないし、××もない。〇〇ちゃんは△△が好きじゃん」と田舎の不便な部分をあげていた。
今、同じことを言われたら全力で「確かに」と思う。

今は自分でも認識している、私は便利な生活が好き。
都市部なら日常生活に必要なあらゆるものが近く、また多くの選択肢がある。
電車やバスなど公共交通機関も充実している。
車がなくても困らない(免許自体、持っていない)。
スーパー、銀行、病院、ショッピングモール、映画館、、、。
何かがない、となってもすぐに買いに行ける。

結局は今の生活が合っているのだと思う。
さすがに都心のビル街や人の多さは疲れるから、程よい場所。
それが私の都だ。

それでたまに休暇でのどかな場所を訪れる。
そのときには「あぁこんなところで暮らせたら幸せだろうなぁ。東京戻るの嫌だなぁ」と毎回思うのだろうけれど。
それがきっと丁度良いバランス。

同じく、地方の政令指定都市などの大都市も住みやすそうだなとは思う。
なかなか縁がないけれど、都市部の便利さと、少し郊外に出ればのどかな景色も見れそうで、週末ごとに気軽に楽しめそうなところは魅力的。

なんていうことを、地方出身の同僚から「ずっと東京なんてすごいですね」と言われて考えていた。
とある有名な観光地が地元のその同僚。
昔、旅行で観光地を訪れるとそこに日常がある人たちがいることが不思議だった。だから私からしたらその同僚の方がなんだかすごいなと思うのだけれど。

日本もなかなか広い。





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