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開くってなんだろう? - 秘密結社「喫煙所」(第15通目)
この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第15通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。
前のヒロさんの記事を読んで思ったことなんだけど。
最近思うのは、こういう捉え方でいられるからこそ、ひとりだけではできないことをもっと知ったり、試してみたりしてもいいのかなって思った。ときには、ひとりから開いてみる。ふたり、それ以上、いや大人数は好きじゃないから4人ぐらいまでかな。
そのうち開いていけそうな気がしている。ひとりかそれ以外かの2択じゃなくてね。
他者に自分の景色を共有し合うことが対話だとしたら、本をたくさん読んで、場を開いて、人と話しているヒロさんは、もう既に開いているように見えるけど、本人は違うのかな?
前置きが短くて申し訳ないのだけど、シンプルな疑問を置いておきます。また対話の話になってしまう。ごめん(笑)。
下は最近読んだ本の引用。参考になるかもと思って置いておきます。
対話っていうのは、他者に向かって自分を開こうとする営みです。自分だけで問題を解決しようとする。そうした場所から離れることでもある。自分の問題を自分だけで解決しようとするとき、私たちは自分の可能性をどんどん小さくしているのかもしれない。そして、他者に、世界に、あるいは歴史に向かって開かれていく。ということ、自己において深まっていくということが同時に起こり得る。
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”自分の問題を自分だけで解決しようとするとき、私たちは自分の可能性をどんどん小さくしているのかもしれない。” 既視感ありすぎて……。これでも開いてきたほうなの。
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