よか家族22
怪獣おじさん(母の兄)
たった一発の原爆が浦上方面を地獄のどん底に突き落としました。
ほぼ全滅だったそうです。
その中で水を求めて、水を、、、水を、と言いながら大橋の川のに入っていったと聞きました。
水を飲めば死ぬという事がわかっていたのか、飲まずにはいられなかったのでしょう。
肩を抱いて起こそうしても手を引いて、あげることも、できなかった手を握ることさえできなかった、
手を握るとずるずると皮がむけてしまうのだそうです。
私は小さくてよかった、その現実を見ていないから、そんなことを思っていた。
それから何年たったでしょうか。
ある日兄から(怪獣叔父さん)お前どうして今生きているか知っているかと聞かれました。
何でと言ったら俺が助けたんだ、爆風で床下に飛ばされたと言う
避難所まで行ったら私が居ないことに、気が付いて探しに壊れかけている、家まで行ったそうです。
いえの中でなき声する、だけども何処にも居ない、鳴き声のする所に、行ったら床下に落ちていた。
だから俺が助けなかったら家とともに死んでいたんだと、、
翌日家は焼けてしまった。母と言えば色々な仕事をしていた、父が原爆で亡くなる間で働いたことが1度もなく仕事は何をしたら、いいのか
判らず色んな所で仕事を頼んで回ったそうです。
だから、土方とか左官さんの手伝いとか、できるだけ賃金の高いところを探して、働いたそうです。
慣れない仕事で寝込んだこともあるそうです。
自分は何にも買わないで、私たちのことばかり、、、明日遠足だと言えば残業まして、お米を買いおにぎりを作ってくれました。
グリコキャラメル、とかゆで卵など本当に嬉しかったです。
**** 3代目追記 ****
ここで母は筆をおき、続きをかくことはありませんでした。
とはいえ、よくここまで方言で入力練習をしたものです。(当時64歳)
母が助けられた話はもうひとつ説がありまして、おばあちゃんと話が食い違っていますw
どちらにしても生きていてよかった。
おじいちゃんは長崎市の岩川町で働いていたので、原爆投下地点のほぼ真下です。
おばあちゃんは結婚指輪を目印に探し回ったけれど見つからなかったそうです。
おばあちゃんはずっと指輪をしていて、これはおじいちゃんとの思い出だからはずさないよと笑顔で話していました。
次回から生活が落ち着いてからのことを書きます。
ここまで目をそむけたくなる景色描画がったかと思いますが、読んでくれてありがとう。
おばあちゃんと母が喜びます。
スキしてくれたら3代目が喜びます。
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